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不確かなものを描く事

描きたいと思ったものは、人によって千差万別

・・だと、思います。

絵だけではなく、自分の手を使って作られたのの全てが自分の考えから生まれていると思います。例えば、料理の献立は「これを食べたい」「この食材を使い切りたい」「あそこのレストランの味を表現したい」など。

「絵や芸術はもっと崇高なものだっ!」と言われれば、その人の価値観なのでそうだと思いますが・・食べる事も崇高です。食べたものを糧として人の身体は動いているのです。【崇高】を作るには身体が資本です。

モノを食べずに考えだけ先走ってストレス過多になり

思考も気力もなえてしまえば

何か壮大なものを思いついても形に出来なくてはどうしようもありません。

この考えは若い頃の苦い経験からくるものなので、全ての人に強要するものでは無いのですが・・

私の絵は、実体験が入っています。それはストレスを感じやすい体質からくるものなのですが、人に分かってもらうのは中々大変なものでした。

桜の咲く頃に、体調が悪くなる

人の集まる祭りに行くと酔ってしまう

隣の人が泣いていると泣いてしまう事があるetc・・・

感受性とは良い響きです。

しかし、誰にも分かってもらえないその苦痛。

嘆いてばかりの日々でしたが、不意にとあることを思いついたのが今の作風につながるきっかけでした。

桜の咲く頃に体調が悪くなる人

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寒い冬が終わり、土から目が芽吹きそして春の温かさを待っていたように春の花々が咲き誇る。生命力の溢れる、温かい春の訪れ・・

「また来たか・・」とため息を付くのが毎年恒例。

学生時代によく体調を崩す事が多く内科に行ってみたのですが検査結果は異状なしの健康体。周りには分かってもらえず仮病扱いされ悩んだ末に心療内科に相談したところ・・「自然のストレスを感じやすい体質」・・という良く分からない回答でした。

画材店に勤めていた頃がその体調が最高潮に悪い頃だったと記憶しています。

とある朝に強い吐き気が襲ってきて、それから三日の間「固形物」「水」「ブドウ糖の点滴」外部から何も身体に採れない日々を過ごしました。近所の病院に担ぎ込まれましたが原因不明。一応検査をして栄養を取るためにブドウ糖の点滴を打ちましたがすぐ戻してしまう始末。一応その当時に不眠などかかえていたので処方された薬を見せると「うちで(内科で)出せる薬は無いから、君自身で直すしかない」と精神的なモノで起こった症状であると説明を受けました。その頃は「自分は何も悪い事はしていない」と混乱したましたが、今思うとストレスが体調に出やすい体質だったのだな・・思い返します。

ストレス・・精神的・肉体的刺激によって生じる心身のひずみ。

仕事のストレス、人間関係のストレスな喜怒哀楽の内での「怒」「哀」からくるものと思われがちですが「喜」「楽」が過剰におこってもそれも精神的なストレスになるのです。喜びすぎても怒りすぎても精神的な調和は取れないようですね。

では「自然のストレスとは何ぞや?」それは喜怒哀楽でいう「喜」「楽」にあたるものと思います。春は冬に比べ気温の上昇により温かくなります。気圧の変化もあると思いますが、人の気分も上がりますね。春先に精神的に落ち着きのない症状が出る人の話を聞いたこともあります。

個人的な事ですが最近「薬膳」の勉強をしています。コロナの世情という事もありますが自分の体調の悪さを落ち着かせたいという考えもあります。

簡単に書くと薬膳は「人は自然の一部である」という考え方があり、春は動物が冬眠から覚め木々が芽吹くなど、自然界では陽気が増加する。自然界の一部である人間も陽気が増加傾向にある体調に変化が起こるという考え方があるのです。

「自然のストレスを感じやすい」というのは、気温の上昇や過剰な気分の高揚を感じ取って起きる感受性からくる症状だと思います。

人の指が枝になる

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私の作品で人物の指が枝になっているものがあります。私にとって人ではなく樹であるので普通の事なのですが、見た目怖いそうです。そうですね、よくホラー映画とかにあるかもしれませんが自分と違う見た目とは怖く映る時があります。

私にとっては樹である、そして気持ちを代弁している姿でもあるのです。

「樹にひとの感情を見立てて制作をする」現在のスタイルは、自分の体質や憤りを自分に納得させるために描いたのが始まりです。

春先の体調不良に、指先がムズムズ落ち着かない症状と背中の中心が裂けるような痛みがよくあります。良く分からず薬を飲んで治るものでもないので精神的にイライラして落ち着きません。人に訴えてみても首を傾げられるだけです。

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それをどう自分自身に納得させて落ち着かせるか・・

自然のストレスを感じやすい・・という事は、花が咲く時期と生命力が溢れる事を感じられる体質である。だったら悲観的にならずこの感覚を残せないか・・と思ったのです。

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見えない事を目の前にないものを想像し制作するのは好きな事ですし昔からやっていた事ですから、そう思うと自分の感覚や症状に興味がもててそれにそこから生じる自分の感情の波に興味が出てきました。

要は考え方なのですね。

悲観的になるには悪い事ではありませんが、もったいないと思うのです。

考えている時間が。

物事は視点を変えると解決策が見えてくるものです。解決に至らなくても自己を素直に反省し次に生かせる気持ちになれます。

時間には限りがあります。

年齢関係なく、一日が過ぎてゆくように。

不思議と当初は自分だけ分かっていればいいや・・と思っていたのですが、共感してくれる人もいてこのスタイルをやって良かったな・・と思えるようになりました。


不確かなものを描くは自分との話し合い

最近は不確かなものが無いように感じる時代になりました。

分からない事があれば検索すれば解決する。私の春の症状も検索すれば自律神経の乱れによるもので、生活習慣を正せば解決する・・とあります。症状は解決するかもしれませんが、そこから生じた不安の感情は解決しません。

不確かなものを描く・・という行為は、私にとって自分と話し合うという事です。

何も無いところに何かを生み出すという時は、自分の経験と記憶を引きずり出すことで時に見たくない事も思い出すこともありますがその一つ一つの積み重ねから構築され白い画面に表れてくるのです。

自分の良く分からない体調と弱い自分と向き合って今のスタイルが生まれました。絵を描くだけではなく生きていく上で「自分と向き合う事」は大事な事だと思います。どんなに便利になろうが人の意見を聞かされても、最後にジャッジするのは自分自身ですからね。

もしSNSやギャラリーなどで気になった作品があるのなら、どうして自分はそのモノが気のなったのか自分と話し合ってみるのも良いと思います。

そこに私の作品がいたら光栄です。

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