見出し画像

絵とエッセイ㉕夢に背中を押される話

(今回は、制作の目標のような話なので、無料でお読みいただけます)

「待って、待って」
大きい構内に自分の声がこだまする
途絶える事のない人の群れ
止まる事のない、巨大なエスカレーター
目の前には遠く離れていく新幹線
チケットを間違えて交換している間に家族とはぐれ
自分はホームに残され、家族は私を残していってしまう
余りの心細さに、叫んだ

「待って」
その声で、目が覚めた。
iPadに時刻を聞くと午前3時21分。
天上は真っ黒で、狭い部屋には私一人。
両の手は握りしめられ、少し長くなっている爪が皮膚に食い込んで痛かった。
もう一度、目を閉じて状況を整理する。
自宅の寝室、早朝三時過ぎ、私を置いて行った人たちはもう他界している。
暫く深呼吸をして納得する
「これは夢」
悪い夢と言うやつだ。

夢診断と言うものがある。
【夢】を【診断】
「現実的ではない事で診断するなんて・・」
正確に記録できないし、夢のお告げなど不可思議なものでしかない
懐疑心的な気持ちが強かった。
とにかく、分からないものは信じたくなかった。
形のないものへ拒否感。
〈恐いから見ない〉
〈分からないから嫌い〉
とりあえず、見なかった事にしてスルーしたい。
「夢に左右されたくない」そんな気持ちもある。
しかし、振り返ってみると【悪い夢】を見た後は必ず後をひくのは何故だろう。
情景が、声が、頭の端に引っかかり忘れる事が出来ない。
夢はあまり覚えていないが、リアルな悪夢は細かいところまでよく覚えている。悪ければ悪いほど、背景までも覚えている事が多い。
「夢は脳の情報を整理整頓する為に見る」
しかし、悪い夢程、理解したくない納得できない事柄が多い。
「自分は絶対、そんなことを思ったりしない」
夢によっては、自分の嫌いな部分を見せつけら愕然とすることがある。

なぜ、懐疑的だった夢診断を【怖い夢】【嫌な夢】の時だけ見るようになったか?それは、数年前に見た、とても怖い夢がきっかけだった。
絵に描くほど印象的で自分の脳裏に今でも残っている。

どんな夢かと言うと〈足を引っ張られる夢〉である。

真夜中の家の階段。
全体に明かりは無く真っ暗な階段を上っていた。
すると、私の足を、骨ばったごつごつした手伸びてきて、引きずり降ろそうという夢だ。
その時も自分の叫び声で起きて、動悸がひどく一睡もできなかった。
余りにも現実味があり、見覚えのある手だったので、その時〈夢診断〉を恐々と覗いてみたのだ。

基本的に引っ張られる夢は、心理学的に抑圧された感情や未解決の問題への気付きを示しているらしい。そして、多くの場合は不安や心配事によるストレスが反映されているというのだ。

その頃は、父の在宅介護で疲弊していた頃だ。
毎晩眠る事が出来ず、ストレスで突発性難聴になり、気力だけで生きていた気がする。
とにかく、意思疎通ができない事で悩んでいた。
私の話を理解できず、自分の要求だけを訴えられ続ける日々に、限界を感じて、これからどう父と接していいのか分からなくなっていた。

「この人を守らないといけない」
コロナ過での在宅介護に、自分の事は後回しにする覚悟を決めた。
介護サービスも使えない時期、理解できない親の行動に、戸惑う事が多かった。
しかし、やらなければいけない。
「私しかこの人を守れない」
そんな決意とは裏腹に、やることなす事、全て裏目に出て、昔に培った介護職の経験など何も役に立たなかいことに絶望感を覚えた。

〈家族に引っ張られる夢〉は、家庭環境や家族との関係に対する不安や責任感を反映し、自己のアイデンティティや生活の方向性に関する内面的な探求を暗示しているとある。
しかし、とある一文に心臓を刺されるような衝撃があった。

足を掴まれる夢は、【あなたを邪魔しようとする存在を暗示している】

「邪魔・・」

そんな事は思っていない、私が思うわけはない!
こんなにも向き合おうと努力しているのに、そんな事はあり得ない!
「そんな事を思うなんて、理解できない」
夢判断が全てだと言わないが、確かに夢の中の手は父の様な気がしてならない。
「これは単なる夢だ。何かの偶然だ」そう思う事にした。
自分がそんな事を思っているなんて、信じたくはなかった。

しかし、その後には心身共に限界がきて担当医に在宅介護を見直すように進められる事態になる。
「このままでは共倒れになります。お父さんと距離を置きましょう」
一年以上寝る事が出来ず、突発性難聴になり毎日のように耳鳴りでイライラした。思い出すと食事の味もよく覚えていない。
そうか、もうダメないんだ。
指摘されて、気が付いた【自分の限界】
嗚呼、そうなんだ。
「・・そうか、一人ではもう無理なんだ」
あの夢は、心身共に疲れ果てた心からの警告だったかもしれない。

そう思わされる出来事だった。
身体の限界はとうに分かっているに、心と言うのは実に頑固だ。
自分は心に鈍感な上、頑固なので夢に出てきたかもしれない。

そして今回は「置いて行かれる夢」を見た。
出てきたのは間違いようもない家族。
とても後味が悪く、夢の中の自分の〈待ってくれ〉との声が耳に残って離れない。
何かあるとしか思えない。気になって、朝から気分が重い。
なので「夢診断」を見てみたのである。

〈置いて行かれる夢〉
劣等感を象徴していると考えられる。
「自分だけ取り残されている」という負い目が、夢に反映されているかもしれない。
また、そんな現実から脱したいと思う気持ちを暗示している。
〈電車〉将来に対する不安の暗示
〈家族に置いて行かれる〉人間関係のトラブルを知らせる警告夢

分からん・・しかし、気になる言葉が多すぎる。
「もう・・不安しかない」
ありのままを受け入れるほど素直な性格ではないが、夢の中の自分の嗚咽が生々しくて気が気でない。

そんな時に出張セッションの案内を見かけた事を思い出し急遽、受けに行く事のしたのである。
「置いて行かれる夢を見て、不安になったからセッションを受けに来た」
何とも曖昧な理由だが、些細な不安も解消したい。

今年は年末に描き始めた【新しい絵を発表する】自分にとっては大事な年。
2023年の価値観の変化、変化を身体に馴染ませる2024年から、変化を自分の制作として発表する元年である2025年。
「良しこれから!」と息巻いていた時に、〈不安〉の夢を見てしまったのだ。
「自分は新しい活動についてどう思っているのか」確かめておきたかった。

セッションは毎回お世話になってる小池安雲さん(アグモさん)である。
色彩心理の先生でもあるので、私の過去から引き起こされる心理的行動で何度も話をしたことがあるので、気心も知れている。
しかし〈悪い夢を見たから来た〉という動機は曖昧過ぎていかがなものかと、我ながら思う。
自分が今考える今年の行動や実践したい事、その方法について調べている事を順序だてて語っていると、不意に意図もしない問いが返ってきた。

「卯月さんは、何を制作で伝えていきたいと考えているのですか?」
?・・・・・・・・・え。
そう問われて突如、頭が真っ白になった。
制作に関するSNSでもエッセイでも、何回も言葉にしてきたつもりだった。しかし、〈自分自身〉と問われると声に出ない自分に言葉が出なかった。
アグモさんによると、行動に対する方法や不安などは語るけれど、根本的に何を〈自分〉は伝えたいのか話題に出てこないから質問したということだった。

「自分の事・・ですか」作品の事ではなく?

(自分の事を人に伝える)思えば長年、避けてきた事だった。
我ながら共感力は幼いころから高かった。
それを生かそうと介護職になったが、結果〈伝えること〉については挫折した。
「自分と同じように他人も思ってくれるはず」
お互い察し合う事が当たり前だと思ってきた。
しかし、どうも伝わらない。
どうして伝わらないのか?と幼いころから疑問に思ってきた。
「他人に気持ちが伝わらない」
家族間でも壁を感じることが多く、それが劣等感を育てた。
共感されない苦悩は家族間では〈愛情〉をもらえなかった事と同じ意味をも持つようになった。

だから、独学で技術を磨いた。
自分の意見が、気持ちが、伝わるように〈伝え方〉を勉強した。
介護職の時は、信頼を得る技術であるユニマチュードを本を読みながら実践し経験を積んだ。
父の介護も〈父の事を理解できない〉だけでなく〈自分の言葉が理解されない〉ジレンマが心身を蝕んでいたように思う。
しかし、父と距離が取れなくなり限界を迎えた時に、気が付く事が出来た。

「受け取り方はそれぞれ違う。100%の理解はあり得ない」

〈共感されたい〉という一方通行の方法は、相手を理解する努力を蔑ろにしてしまっていたのだ。
今までの自分の伝え方を振り返ってみた。
接客業でも介護職でも「話し易い」とよく言われた。
人の話は受け入れるが、そこに自分の意見を挟まない様に注意し、さらに、自分の経験や過去を話すが〈気持ち〉を話す事は無かった。
「良く話すが、分からない」
そんな印象を抱かれたこともあった。
自分の事を話すという事を意識的に、自分も気付かず避けてきたように思う。
伝えようとする技術で本心を隠してきた。
価値観の変化で自分を受け入れる事が出来たが、それだけでは足りなかった。【自分の気持ちを受け入れ、人に伝える事】
今まで「自分の気持ち」は絵を描き、文章を書く事で、それを見て読んだ人に委ねてきた。
しかしそうではない事にやっと気が付いた。
【何かを伝えるには自分の意識から変えなくてはいけない】
「伝えたい事ではなく、方法しか話さない」
アグモさんの問いは、まさに目から鱗だった。

現代は、SNSやAIで「言葉」の意味を知る事は容易になった。
しかし、「言葉」と言うのは記号であるから、知るだけでは「言葉」を理解したとは言えない。

理解するという事は、物事の筋道を知る事。訳を知る事。物事が分かる事。

「言葉」の意味を理解して使い方を考え、与えられた「言葉」を自分になりに解釈するまでが理解と言える。


「タロット引いてみましょうか」
自分に愕然としている時にカードを差し出された。
セッションの終わりにはいつもタロットを引く事になっている。
自分が選んで引いたカードから、答えにつながる「言葉」を読み解く作業だ。
数枚引いて表に返しながらアグモさんが頷く。
「卯月さんは〈自分を掘り下げる作業〉はもう終わってますね。
 今年は〈解放〉の年、自分をさらけ出す、オープンにする、具体的な事を起こす年です」

(自分の作品で伝えたい事)を思い浮かぶだけ声にしてみた。

「自分を振り返る事で、感情に色がつき〈制作〉も〈生活〉も大きく変化した。自分を受け入れれば視野が開ける。変化を受け入れる大切さを自分の活動や制作で伝えていきたい」

セッションの締めくくりの問いに答える為、苦心して声に出した回答は、案外、的を得ていたようだ。
「今の良いと思います。分かりやすかった」
自分の気持ちが、理解されるのはこんな感じなのかと、その笑顔を見て思う。
〈苦手意識から脱する行動〉
とりあえず、行動の修正が必要であることを理解した。

気が付くと、もう「置いて行かれる夢」の不安は何処かへ行ってしまったようだ。

自分の事を自身に隠す技術が卓越しているので、それをオープンにする作業は熾烈を極める。
「悩む前に、行動しないと、止まってしまう」
先ずは、劣等感の克服。
とりあえず行動するしかないのだ。

「人は思ったものにしかなれない」
感覚で描く作品は形になってきた、その感覚を「自分の感情」として気持ちを伝える事を繰り返そう。
何度でも。
何事も、精進である。

ちなみに「夢の中での嗚咽」は人間関係や人生、考えに悩んでいる事を示している可能性があるとの事。自分の心と向き合い、不安や劣等感と向き合い解決したいという自分の意志の表れを暗示しているかもしれない。

何故そう思うか?
「置いて行かれる夢」を見た後に「鬼の夢」見たからだ。
鬼ごっこをしていて、気が付くと鬼の面をかぶっている子供と向き合って目が覚めた。
〈鬼ごっこ〉は自分の心の闇と上手く付き合っていく術を見つけられる暗示
〈鬼の面〉は本心を隠してい生きている証

「そろそろ、本心を出して生きていこうよ」

もしかしたら準備はできていて、後は私の度胸次第かもしれない。
度胸を見せろと背中を押されたような・・

夢とはあながち馬鹿にできないものである。


夢を見た後に制作した一つ「息吹」
冬から春へ躍動する変化を描きました
サンキャッチャーの光が当たり綺麗です

絵とエッセイ

制作日記

原画販売


いいなと思ったら応援しよう!

卯月螢 /心の風景を描く「心象画」
宜しければサポートお願いします。いただいたサポートは画材購入や展示準備など制作活動に使わしていただきます!