【読書メモ】『前へ!:東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』(著:麻生幾)
いまだに、能登半島地震における政府の初動、対応が遅いといった話を目にすることがあります。主に岸田政権をたたきたい界隈からで、左右問わずに出てきているのがどうにもやるせないのですが、、具体的な初動対応については、フォローさせていただいているPULPさんが丁寧にまとめてくださっているので、よろしければご確認ください(と丸乗りしてみます)。
で、今回の一連の対応等を追いかけて思い出したのは、『前へ!:東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』との一冊。
2011年3月11日14時46分、皆さんはどこにおられたでしょうか。私は当時勤めていた渋谷の会社で仕事をしていました。非常階段への扉だけ確保して机の下に潜り込んだことを、不思議と覚えています。あれから10年以上が過ぎ、毎年、季節が春を迎える頃には自然と当時のことを思い出すのですが、どんな形であれ「前」を向いて歩んでいこう感じさせてくれた本でもあります。
東日本大震災は、日本にとって「戦(いくさ)」であった、そしてその戦場の最前線で戦った戦士たちを追いかけたノンフィクションとなりますが、つくづくに痛感したのは、「緊急時の対応力で、人も組織も、ソノ本質が見える」ということ。
1分1秒を無駄にできない状況下で、ただ無為に十二時間を浪費するセンスのなさ。東京電力管内で起きた福島原発事故は間違いなく人災でしょう。東北電力管内でも同じような状況があったにもかかわらず、特に問題が起きなかったことと比較するだけでも、この東京電力の異常さが一層際立って見えます。
そして東京電力内部だけでなく、当時の民主党政権のグダグダもそれにいっそう輪をかけていました。密室協議とか、全体の判断責任をとるべき総理大臣が一現場にいって怒鳴り散らして帰ってくるだけとか、必要な情報は隠したままで、ただ現場に無意味な要望とその責任すらも押しつけるだけの経済産業大臣とか、、
まさしく『失敗の本質』でつぶさに語られていた、旧陸軍の失敗をそっくりそのままなぞっているかのような在り様でした。兵站の軽視や精神論で怒鳴るだけで、決して責任をとろうとしないことも含めて。「歴史は繰り返す、その面差しを変えて」とは誰の言葉でしたか。少なくとも、彼ら(現・立憲民主党)に危機管理を任せる勇気を、私自身は到底持ちえません。
それはさておき、本編の主人公は副題にもある「無名戦士」たちです。自衛隊、国交省東北地方整備局、警察、消防隊、そして、災害派遣医療チーム(DMAT)。現場で最善を尽くし、持てる力のすべてを出し切った人々の、物語。
そんな「現場での力」が際立つだけに、大半のトップの体たらくもまた浮き彫りになりますが、、そんな救いようのない中でも、当時の「国土交通大臣大畠章宏さん(現・国民民主党顧問)」はきっちりと仕事をされていたのを思い出しました。
こんなリーダーであれば頼もしいと、そして、存分に動くことができるとも。そういえば当時、この方のお名前をテレビなどで拝見することは少なかったような、、それはただ、ひたすらに「前」に進んでいたからでしょうか。非常時のリーダーとはかくありたい、なんて風に感じた一冊でもありました。
なわけで、能登情勢は今現在(2024年1月29日)も「非常時」が継続していると思いますが、その最中にも関わらず「背中撃ち」を平気でしている方が散見されるのが、非常に残念です。これもまた「危機の時には、その人(組織)の本質が剝き出しにされる」との現象なのでしょうか、、残念です、本当に、、期待していた人もいるだけに。非常事態を任せられるかどうかリーダーには必要な資質の一つだよなとか思いながら、『ローマ人の物語』のどこかにもそんなエピソードがあったなぁ、、うろ覚えですが。