【雑感】「本を読むのは手段」との割合が多そうで、その目的に寄り添えないと街の本屋さんも先細りかな、と。
今の職場近く、早稲田大学は大隈講堂の近くにも一つ成文堂書店が看板を出されていた気もしますが、どちらかというと早稲田大学向けの代理店的な要素の方が強いのかな。
外回り時などに外観を見かけるだけで店内に入ったことは無いのですが、、早稲田さん、生協系の書店が各キャンパスに入っていた気もしますが、選択肢が多いのはいいことかなぁ、なんて思いながら。
また高田馬場まで足をのばせば(早稲田から徒歩10分程)芳林堂さんはそれなりの規模(2フロア)で営業されてますし、、「街の本屋が無くなる!」と単純に煽るだけではなく、もうちょっと書き様はないのかな、、
というか、産経さん、ちょっと印象操作が過ぎませんかね。朝日さんや毎日さん、東京さんと同じ穴に入りたいなら止めませんが、、もうすこし丁寧に追いかけてほしいところ。
なんて、先日のこちらの齋藤健先生の記事を思い出しながら、、そろそろ何かしら具体的な方策でもまとまってくるのかな、なんて考えながら見ていたのですが、、(そういや産経さん、齋藤健先生のお名前間違えてませんか?)。
齋藤先生、以前から「街の本屋さん」への問題意識はお持ちだったようで、フランスの読書教育なども題材に挙げられておられます。フランス、先日の五輪ではどうしようもなくアレでしたが、「読書教育」との視座では学ぶべき点は多いかな、と個人的には(アレな方向に変容してないといいのですが)。
個人的には、「送料無料という要素(厳密には無料ではなくサブスクに近いものですが)」以前に、先ずは「欲しい書籍(情報)へのアクセスの利便性」を求めるかな、と思います。
いわゆる「読書好き」であれば"セレンディピティ"に期待した街の本屋さんの散策も楽しむでしょうけど、それは少数派だろうしなぁとも思いますので、そうすると「目的のための読書(というか情報収集)の環境」をどう提供していくのかになるのかな、とか、図書館との棲み分けを意識しながら。
その図書館における「複本」の課題は昔からありますが、読書への入り口としての機能は街の本屋よりは高いと思うのですよね、、お試しといった観点からでも。
一度読めば十分、再読はしないだろうと思えば「手放し」ますし、繰り返し再読したい、資料として使いたいと思えば「手元に置く」と思います、漫画であれ小説であれ何であれ。
そういった意味では、週刊誌などでチラ見せしてコミックスの形で、新聞の連載小説が文庫との形で、なんて風に昇華されていくビジネスモデルはある意味整合性がとれているのかなぁ、と。
また三昔前くらいであれば、余暇の手段として「活字(書籍)」に触れることがそれなりの割合を占めていたと思いますが、今の世の中は個々人の趣味嗜好が多彩になり(多様性ですネ!)、また情報端末としても、二昔前はラジオ、一昔前はテレビ、今ですとインターネットの後塵を拝する流れとなっている以上、「街の本屋」も旧来のままに「紙の書籍」だけを扱っていても先細りは変わらないだろなぁ、、とは思います。
「読書が目的の読書好き」ではなく、「読書はあくまで手段で情報を必要とする人」へのレファレンスは、司書でも書店員でも同様に求められると思いますが、、こちらの齋藤先生のご提言、一見するだけでは街の本屋の、時代からおいていかれそうな古い既得権益を守ろうとしている風にもとれてしまいますが、さて。
そんな齋藤先生、総裁選へ出馬されるとの事で、これはこれで楽しみです。今夏には出されるとお話しされていた「街の本屋さんを救う提言」とあわせて、個人的にも応援したくなる要素が増えてくれるとよいなぁ、なんて思いながら。
ふと思ったのですが、オンラインで注文した書籍を地元の本屋で受け取れて、ついでにカフェでも併設されていたらそこで一服、なんて流れができるのであれば、定期的に活用させていただくかなぁ、なんて。
これは余談ですが、媒体として「紙のみ1,000円」「電子のみ1,000円」「紙プラス電子で1,500円」とかの区分だったら「紙プラス電子で1,500円」を買うだろうなぁ、、と。また「紙媒体」を持っていたら図書館から「電子書籍版」を借りれるとかだったら嬉しいなぁ、なんて風にも思いました、オンライン申請とかで。
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