左右問わずに極端まで振り切れると「全体主義」に陥る、との現象。
昨日今日に始まった話ではないことから、日本共産党や日本赤軍、中核派などに代表される極限の左巻な輩の言い様が「多様性!」を標榜しながらも「自分たちの意見以外を認めない」とのグロテスクさにまみれていて、その行動様式に「排他的」「攻撃的」「暴力示唆で脅迫」などのタグが付けられているのは、ソレらと同質な公明党(創価学会)などのカルト宗教団体も含めて、実害がなければ、敬して遠ざけるくらいで生暖かく見ている位なのですが、、
確か、前回の都知事選(2020年)の頃だったかと思いますが、自称保守といいながらも極限の右巻きでしかなかった日本第一党とその取り巻きが、標榜している内容こそ左巻きと真逆であっても、その行動様式については本質的には似通っているなぁ、との現象を見て、あぁ、「ナチスってこういう風に生まれ出てきて、暴走していってしまったのか」との危機感を覚えながらも、興味深く感じた事がありました。
そしてここ最近にもまた、同じような自称保守の「全体主義集団(日本保守党)」が生まれ出でようとしているのが気になっています。彼らが内輪で擦りあっているだけならどうでもよいのですが、外交的な大問題(日台分断)をやらかしたにも関わらずに、自省の様子はさっぱり見受けられず、自身の過ちと向き合えないのもまた「全体主義の集まりとソレを統括する独裁者」の特徴だよなぁ、なんて事を感じる時に思い出すのが、江崎道朗さんの『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』との一冊。
出版年(2017年)には現代史の一つとしてくらいの流し読みだったのですが、前回都知事選(2020年)の時に全体主義の危機感から読み返して、また今現在も、同じ気分で読み返したくなっています。というのも、日本が普遍的価値観を共有できている(ないしはできそうな)国々で、同時多発的に、
との現象が散見されるようになっているからです。不思議と、日本国内のオールドメディアはあまり伝えてくれませんが、、あらためて、右も左も極限まで行くとどうしてこうも「全体主義化」するのかと、思うたびに、、
なんて歴史的な見立てが想起され、戦前との類似性が出てきているのかな、「歴史は繰り返す、その面差しを変えて」なんて風にも感じてしまっています。そして、、
先の大戦後、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」に基づいての公職追放などで漁夫の利的に引き上げられた「左翼(敗戦利得者)」によって、「右翼全体主義」ばかりに戦前日本の舵取りの誤りの責任を負わされてしまいましたが、戦前での「全体主義」とのくくりには「右翼も左翼も同じ枠」に入るかな、との視座は忘れたくないところ。そういった意味では、、
との感覚と、その上での、
との見立ては、基礎学問として大学で近代史に触れていた一人として肚落ちします。そして、このような経緯を歴史として学んでいくのであれば、
と思いますし、また、敵を知り己を知れば、との視座に立てば、
のも、その通りと思います、自分の軸がしっかりしていれば「知識」としては反対の意見も知っておくべきでしょう。あらためて、知識に裏付けされた自分の言葉をもって、必要に応じて表現していくことを意識したいな、と。もう7年前の本になりますが、先読みのごとくにいろいろと示唆に富んでいて、過去の歴史的事実・真実を、自分の言葉で理解することの大切さを感じたのは、今でも変わりませんかね。
個人的には「他人の考えの多様性に寛容でない全体主義思想を、色合いが左右どちらであっても一生涯受け入れることはない」と思いますが、それを信望する人々が「全体主義思想を掲げること自体は否定しません」、可能な限りに関わりたくはないですが。人は本質的に自由を求めるもので、その機会は均等であるべきと思いますが、それを普遍的に維持していくには、戦っていくことも必要なのだろうと、最終的に棲み分けることも踏まえて。そういった意味では「力なき正義は無力」は数多ある真実の中の一つだと思いますが、不当な暴力を許容してはならないとの立ち位置とのバランスは、など考えてしまったりもします。
それそれとして、左右問わずに極端まで振り切れるとの輩をみると、個人的には「ヒトラーの尻尾」だなぁ、とか思ってしまうガノタです(未履修も多いですが)。今年は積み(罪)プラを減らしていかないとなぁ、、置き場所の確保も含めて。。