第118回 あの頃欲しかったものを作りたい
1、夏の終わりにはまだ早い
ミヤギは8月31日よりも少し夏休みが短いので、明日が最終日です。
小学生の娘の宿題をチェックしながら、自分の10代の頃を思い返してみました。
絵日記と習字と読書感想文。娘はまだまだ低学年なので手がかかりますが、私の同時期よりいい仕上がりになっている気がします。単なる親バカでしょうか。
2、夏休みの宿題は
宿題を最終日に泣きながらやった覚えはないので、余裕を持って終わらせていたのでしょうか。
父親の仕事は単身赴任も多く、あまり熱心に宿題に付き合ってくれた印象はありません。
工作も絵も自由研究も大嫌いでやっつけでやっていましたが、読書感想文だけは大好きでした。
リアルでも、SNSでもあまり読書感想文にいい思い出がある人をみたことがありませんが。
純粋な創作をする想像力が不足していた気もしますが、読んだ本の感想とか、良さを発信するのは性に合っていたのでしょう。
当時はビブリオバトルという言葉はありませんでしたし、プレゼンとかディベートという言葉すら現場の先生がどこまでわかっていたのか、という状況だったと記憶しています。
どんなに素晴らしい本に出会った感動をシェアしたくても、今のようにSNSもなく、誰も受け取ってくれませんでしたが。
そういえば地元の新聞になにかを投稿したら図書券がもらえたのを覚えています。
今でも夏休みになると小・中学生が投書しているのをみると自分と重ね合わせてほっこりします。
文化系はまだまだ発信の場に飢えているのかもしれません。
そう、今は誰でも好きなことを発信できるのですよね。きっとそれを受け取ってくれる人もいて、どう工夫すれば受けてが喜んでくれるのか、受け手が増えるのかも本人の努力次第です。
いい時代になりましたね。
3、きっと世界は明日も
E-sports という言葉があるように、ゲームの世界も普通のスポーツと同じように賞金やスポーンサードで生活できるプロが増えていきそうな流れになって来ました。
まだまだ発展途上ですが、CHIPというアプリでは、一個人がファンクラブを開設して、自分の価値を提供する場を持つことができます。
ヒスペディアさん(@kidotakayosi74
)がTwitterでつぶやいていましたが、
文学部や歴史学の縮小傾向を嘆いて、大学に依存しない歴史研究施設の必要性に触れられていました。
普段行政の中にいると、お国の文化庁と現場の状況にずれを感じてしまいます。
個人的には民間主体の歴史文化の発信普及施設があってもいいのではないかと思います。
今はクラウドファンディングとか様々な資金調達の方法もあるでしょうし
歴史ファンが本当に欲しい情報を、最先端の研究をわかりやすく翻訳して届ける存在は需要あるのではないのでしょうか。
自分が好きなものを磨き上げて、同好の士に届けることができる、そんな仕組みを作ることのハードルが下がって来ています。
今の10代の心に寄り添えるほどの知見は持ち合わせてはいませんが、
少なくとも世界はまだまだ面白くなりそうだからみていかないともったいないよ。
というくらいは伝えたいと思います。