第1478回 江戸の旗本のお墓を掘る

1、読書記録351

本日ご紹介するのはこちら。

竹内俊之編 2022『東京都新宿区 市谷柳町遺跡Ⅳ(緑雲寺旧寺域)』株式会社四門

お世話になった方からご恵送いただきました。

本稿ではご遺骨など生々しい画像は掲載しませんが、お墓の遺構写真は出てくるので、苦手な方はスクロールせずにここで閉じていただけると幸いです。

2、個人の歴史がここまで明確に

調査地点は牛込川田窪の谷筋で、牛込七軒寺町と呼ばれる境内地や大名の下屋敷などが散在する地域です。


延宝4~7年(1676~79)年に緑雲寺という寺院が移転してきたのですが、享保10年の大火で類焼の憂き目に。

再建した後は、環状第3号線の拡幅にともなって大正時代に移転するまで維持されていたそう。

 令和2年の道路工事拡幅に伴って不時発見があり、調査が行われることに。

調査面積は110㎡ほどに留まるものの、階層に応じた多様な形態の近世墓が43基も検出されたことは特筆されます。

出土遺物は総数1903点で、18世紀後葉から19世紀後葉にかけての常滑大甕が棺として使われています。

文献資料の検討により、当該地は勘定奉行を務め、3000石の旗本久須美祐明とその家族の墓であることが判明します。


祐明の墓は石室木廓甕棺、息子、孫は木廓甕棺墓であることは墓の階層性を考える上での好資料となります。

口縁部を打ち欠いた瀬戸美濃系鉄釉小碗(27号遺構出土)


明和7年の銘をもつ供養塔などは個人的に気になる遺物。



 墓地図(大正期)との照合、出土人骨、副葬品の検討から、系図上の人物と出土遺構の対応関係を明らかになったことが驚きです。


最も構造的に高い階層性を示す9号遺構が勘定奉行まで昇りつめた祐明の墓、



次いで同構造の墓(13号遺構)で成人女性とすればその妻、5号遺構A~Dは推定年齢との関係で文久二年のコレラ流行で同時期に亡くなった家族と推定されています。



そのうち、祐雋(すけとし)は『刀要録』という刀剣に関する著作を行うほど造詣が深く、2代目水心子正秀に作刀を依頼していたことが分かっているとのこと。

5号B遺構で出土した刀は個人蔵として伝来している打刀と大小セットになる脇差の可能性がある、というのもワクワクしますね。


3、大都市の足元に

いかがだったでしょうか。

そもそも大都会東京でこのような本格的な発掘調査が行われていることもご存知ない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

逆にそこは江戸時代から世界に冠たる大都市。

どこを掘っても江戸時代の遺構は出てくると考えても良さそうなものです。

そして文献資料なども豊富なので、ここまで詳細に個人史が明らかになる、というのは考古学全体でみると稀有な存在です。

陸奥国の辺境にいても、時には都市の発掘調査成果にも関心を持って最新情報にアクセスしたいものです。

ご恵送いただいた方に感謝ですね。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



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