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京丹後、 バラ寿司

京都は京都でも、田舎の方。

みんながイメージする京都ではなく、

社会の教科書で勉強するような有名な寺がある京都でもなく、

田んぼと畑と山がある京都。

京都駅から電車(私は汽車って呼んでた)で2、3時間かかる。

東京から京都駅まで新幹線で3時間で行けるっていうのに、

京都駅から家まで同じ時間かかるってどういうこと?って思いながら帰る。

そんなところが、わたしが育ったところだ。


田舎過ぎて、世界が狭くて、

地元の人はみんな「丹後はええわーー(丹後最高っていう意味)」っていう。

普通に学校に行って20代半ばで結婚して子供を作る、ということが最大の幸せで、女は当然そのような道を進むべき!という、ザ・田舎の考えを持っている人が90%(わたし調べ)

ちょっとみんなと違うとすごく目立つし、みんなと違う考え方は「そんなん誰も言わへん」と言われておしまい。

そんなところも地元が嫌いなことの一つだ。

わたしは、過保護な親から逃げ出したい思いもあり、上京することを決め、

18歳で田舎をでた。


それから20年経って、

実家に年に1回帰るか帰らないかのわたしが、

今年の自分の誕生日に、初めて地元の郷土料理を作った。


「バラ寿司」と言って、お祝い事やなんかの節目とかによく食べるちらし寿司のような物で、いつもおばあちゃんが大きな長方形の木の入れ物に大量に作っていた。

小さい頃は、「またか」くらいの気持ちで食べていた。

母もおばあちゃんが作ったバラ寿司を持ってきたのをみて「またようけ作って(またたくさん作ったね)」と言っていた。

おじいちゃん、おばあちゃん、父母わたし、の5人家族で、唯一育ち盛りだったわたしも、たくさん食べる方ではなかったので、3人兄弟を育てたおばあちゃん感覚で作ってしまうと消費するために3日くらいはずっとバラ寿司を食べることになるため、「またか」となってしまうのだ。

それくらいありがたくもなく、なんとも思っていない料理だったのに、

20年後、まさか自分で作りたいと思うなんて、全く想像していないかった。


きっかけは、京都駅でお土産用のバラ寿司を売っていたこと。

地元の駅で売っていたのをみたことはあるが、

京都駅で売っている!!とびっくりした。

というか、そこで初めて、バラ寿司が京丹後の郷土料理だということを知った。

自分の地元に郷土料理なんていう物があったんだ、と驚いた。

京都駅に売っているということは少なからず需要があり、お土産に買っていく人がいるということ。

あのバラ寿司がどうやら、少しありがたい物だったんだ、と気づくと

東京で会った人に話してみたり、お土産に持って帰って食べてもらったりするようになった。

それまでのわたしは、京丹後出身のわたしなんかが、「京都出身です」というのが苦痛で、京都を名乗なんて京都の人に申し訳ないという気持ちになるため、出身を聞かれるといつも「関西の方」と濁していた。

方言が違うから京都弁も喋れないし。


でも、最近は、少し変わった。

バラ寿司、という郷土料理がある地域として、いいなと思うようになった。

誰かに認められていることがわかった途端、いいなと思ってしまう自分はどうかと思うが。

そしたらだんだんと、バラ寿司だけじゃなく、古い鉄道や山や田んぼがある景色もいいなと思うようになった。

見ると心がふわーーっとなる。


バラ寿司を作りながら、おばあちゃんのことやお母さんのことを思い出した。

おばあちゃんに聞けばわかることなのに、YOUTUBEで知らない人に教わっていることへの違和感というか

残念な気持ちもあった。

でも、おばあちゃんはもういないからしょうがない。

お母さんは生きているけど、料理が嫌い、と一生言っていて、バラ寿司みたいな手間のかかる料理なんかは絶対作らない。


完成したバラ寿司は美味しかったけど、実家で食べていた物とは全然違う物だった。

もっと聞けばよかったな。

一緒に作ったりしたかったな。

山菜料理とか、竹の子料理とか、おばあちゃんはたくさん作ってくれたけど、当時のわたしはそこまで興味がなかった。

ハンバーガーとかフライドチキンとか、そういう方が興味があった。

あんまり可愛くない孫だったなぁ。

今でもきっとそうだなぁ。


今、実家から6時間離れた場所に暮らしている。

バラ寿司のように、聞いておきたくなることがもっとあるかもしれない。

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