この怒りは、「投影」というものだった。
少し前に、大泣きして怒ったことがあった。じぶんでもびっくりするくらい子供みたいにワーワー泣いた。
なんで泣いたかというと、ある人に「あれは言い訳だって言ってたよ」と間接的に言われたことが原因だった。
「えーーー言い訳とかじゃないしぃ。」と笑いながら言った次の瞬間から涙が出てきて、顔も体も強張って、自分でコントロールできないくらいだった。
その人は、わたしの学びのために指摘してくれたことがあって、それに対してわたしは「勉強不足だった、これからも教えてほしい」と言うような内容の手紙を送ったら、「言い訳」と受け取られた言う話なんだけど。
それが悔しくて悲しくて、
なんで正直にできなかった、と言ったことに対して「言い訳」と言われないといけないのか、
しかも、わたしに言うのではなく、別の人に言われないといけないのか。
バカにされたように感じた。
わたしの見えないところで、わたしのことをバカにして笑っているように思った。
だから高学歴の人は嫌いだ、怖い、と思った。
怒りは1日では収まらずに、2、3日ずっと調子が悪くイライラしていた。
こんなになると言うことは、わたしの中で「言い訳」「バカにされる」と言うワードは何か重要なキーワードなんだなぁと漠然と考えた。
でも、過去を振り返っても、トラウマになるほど失敗したことはあってもバカにされたようなエピソードがあるわけではない。
でも、確かに自分の学歴や頭のよさには全く自信がないし、特に、大学を中退していることは恥ずかしく触れたくない話だ。
そうだ。中退していることがとても恥ずかしいし、できれば誰にも知られたくない。
だから、他の経験で自信をつけたと思っていても、
転職して履歴書を書かされるたびにイライラしてしまう。
そうか。
わたし自身が一番じぶんのことをバカにしている。
何をやってもダメで、大学を中退したなんてダサくてカッコ悪くて、勉強ができないバカだと思っている。
それを、ちょっとしたきっかけがあった時、
じぶんじゃなく人からバカにされたってことにして怒っていたんだ。
履歴書を見た人はきっとバカにするだろう、とか
高学歴の人は大抵わたしをバカにしている、とか
そうやってじぶんに怒っているのを他人のせいにしていた。
これは心理学で言う防衛機制の中の「投影」と言うらしい。
わたしは、じぶんがじぶんをバカにしている事を認めるのが辛すぎるため、他人が言っていることにして、辛い気持ちを緩和していたと言うことになる。
確かに、じぶんが価値があると思うために必死なところがある。
人柄だけはよくしたい、と言う思いでいつもニコニコしていたり、元気に振舞うなどしている。
これは防衛機制の中の「代償」と言うらしい。
バカな部分を人柄でカバーしようとしていたと言うこと。
わたしは、じぶんがバカだ、と言うコンプレックスのために
いろいろな方法で守ろうとしていたみたいだ。
「バカだ」と言うことは認めていたつもりだったし、それでもいいと思っているつもりだったけど、
真の部分では違うってことか。
バカなままでは嫌だ、って思っているのか、わたしは。
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