10年ぶりの『仮面ライダー鎧武』Reステージ(2):大人と大義に一撃を。
10年ぶりに『鎧武』熱が再燃。今回は15話から23話まで、お話の軸がオーバーロードに以降する前のカチドキ初登場回までを2クールとして、やっていきたい。
と、本題に入る前に、ひとまず『仮面ライダー×仮面ライダー 鎧武&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE大合戦』も併せて再見。この映画、前半パートの『ウィザード』完結編が好きすぎて、実は鎧武パート以降を本腰入れて観たことが、実はあんまりない。なので、今回はウィザード編をカットして、鎧武に集中して観てみる。
本腰入れて、なんて言っておいてアレですが、制作時期的にもそんなに重要な一作、というわけではない。ダンスがまだ生きていた頃の、牧歌的な1クール目の雰囲気を思い出すにはピッタリなんですけどね。
ポイントとしては、ライダー同士の闘いが遊びではなく殺し合いである、ということを14話に先んじて知る、というところかも。後の小説版を踏まえると本作もきっちりと『鎧武』の正史なので、この辺りがキャラクターたちに残した成長度合いかな。
むしろ、武神ライダーを従えているレジェンドキャストを観ている方が楽しかったりする本作。現時点で高橋龍輝さんが演じる最後の歌星賢吾がコレだったり、本編以上にデレデレしている照井夫妻や名護さんが観られたりする。伊達さん岩永洋昭さんに織田信長は、似合いすぎ。あと、最大の爆笑ポイントは光実の「おまえの罪を数えろ!」です。
さて本題。ガキどもの遊びで人が死ぬ、が1クール目なら、続く2クール目はそんな子どもたちをモルモット扱いしていた大人たちが何を目論んでいるのか、あるいは何と闘っているのか、のお話。早い話が、一連のユグドラシルの行動は全て、人類の生存戦略のために行われており、沢芽市はそのための実験都市かつ最もクラックの出現頻度の多い“破滅の近い街”であり、紘汰らはドライバー量産のためのデータ収拾を目的に泳がされていた、ということになる。
ヘルヘイムは種子を撒き、その驚異的な繁殖力で実を生成、実を食べた者はインベスと化し、やがては文明まるごとを飲み込んでしまう。紘汰や戒斗がロックシード集めに訪れていた森は、実はすでにヘルヘイムによって侵食されてしまったどこかの異世界であり、彼らは知らず知らずの内にそこをゲーム会場にしていたのだ、という意地悪な仕打ち。そしてヘルヘイムの実を食べた者がどうなるかは、初瀬がトラウマと共に刻みつけてくれている。地球に残された時間はあと十年であり、全ての人類を救うことは不可能。ゆえにユグドラシル―貴虎は、その限りある人類を救うためのプロジェクトのリーダーを担い、人一人には重たすぎる責任が両肩に乗せられていたのだ。
ヘルヘイムは己が生存のために繁殖しているに過ぎず、そこには意思疎通による交渉も不可能。ただただ迫りくる侵略には、抗うこともできない。これを「理由のない悪意」と表現する筆致には、2011年以降だな、と感じてしまう。というのも、特撮ファンみんなお世話になっている「超全集」に掲載の虚淵玄インタビューでの発言が印象的だったので、以下引用。
さて、いずれ来るとわかっている破滅に対してどうするかと言うと、できる限りの人間を生かすという、プロジェクトアークである。戦極ドライバーはヘルヘイム環境下でもインベス化を防ぎながらその実の栄養を摂取することを可能とし、現在の穀物や家畜などがインベス化しても生きられるようになるという。しかし、ドライバーの生産量には限界があり、生かすことのできる人類は10億で、残りの60億はインベス化して脅威となる前に排除するしかない。アークとは生きるもの殺すものを選別する行為であり、ユグドラシルは巨大製薬会社という立場によってそれを可能にする下地がある。彼らは全人類の生殺与奪を握っているのだ。
紘汰は、沢芽市や全世界の人類を偽り、犠牲を伴う救済を一手に担うユグドラシルに憤りを覚える。10を生かすために1を切り捨てるやり方を、彼は容認できない。それは、主人公として、ヒーローとして、正しい。正しいが、正しいだけなのだ。紘汰は貴虎に怒りをぶつけるが、彼は10も1も救う手立てなど、持ち合わせていないのだ。ただ感情のままに「許せねぇ」と拳を上げる、ただそれだけである。
10年前は学生で、今は大人になった身として『鎧武』を見返せば、こんなにも見える景色が違ってくるのか、と驚いてしまう。「大人」からすれば、葛葉紘汰のなんと煩いことだろうか。代案もなく、ただただ感情的に喚くガキ。貴虎は冷徹に見えるかもしれないが、重大過ぎるプロジェクトを抱え、その進捗を守ることに手一杯なのだろう。「真実を公表すれば世界中がパニックになり暴動が起こる」「戦極ドライバーの技術を巡っての戦争が起こる」「民族や宗教、文化が異なる我々が、共通の敵を前に手を結ぶなど絵空事」と語る貴虎たち大人の方が、圧倒的に正しく見える。だって、現実がそうであったことを、私達は知っているのだから。
正しさと正しさがぶつかり合って、正解が見えない。そんな状況で葛葉紘汰はどう筋を通すべきか―。という局面で彼を唆すのがサガラ、である。
気に入らないルールがあるなら、壊せばいい。そんな誘惑と共にカチドキロックシード(果実から生成した、というのが示唆的だ)を残し去るサガラと、何か吹っ切れたようにユグドラシルタワーへと向かう紘汰。カチドキアームズとなった鎧武は、いざとなったら沢芽市を焼き払うスカラーシステムを破壊する。
一体それが、何になると言うのだろう。紘汰の行動は、目先の沢芽市の滅亡の危機を救ったのは事実だが、根本の問題を先送りにしただけ、とも言える。むしろ、どうしようもなくなった際に沢芽市の人々はスカラーによって一瞬で天に召されることなく、ただただインベス化を受け入れるしかなくなるとしたら……と考えると、捉え方によっては紘汰の方が大罪人、とも受け取れる。
先程、「民族や宗教、文化が異なる我々が、共通の敵を前に手を結ぶなど絵空事」という話をしたが、人類救済を掲げるユグドラシルの中核メンバー(ゲネシス組)自体が一枚岩ではなく、「禁断の果実」なるキーワードに向かって各々がそれぞれの野望を内に秘めていることが示されていく。そもそも子どもたちの中でも、紘汰に賛同する者はほとんどおらず、真実を知る光実と戒斗も別行動を続けている。
大人も子どもも、団結など出来ていない。そんなカオスの中、紘汰だけが気に入らない理不尽な理屈に反旗を翻して、何かが解決したような気がする。仮初のカタルシスと棚上げにされる諸問題という相反する要素が入り乱れる2クール目は、とにかく異色、という気がしてならない。勧善懲悪の図式を廃し、ヒーローの正しさも、宿敵の残虐さも担保されず、答えの出せない問いだけを投げかけて一区切りする。紘汰の行いは正しいのか正しくないか、という議論すらも意味を成さないし、何なら意味が無かったという気がしないでもない。観ている間はずっと面白いのに、実際のところ話が動いていない(問題が解決に向かわない)という、あまり経験したことのない鑑賞体験が『鎧武』中盤戦の醍醐味なのである。
どうしても紘汰VS貴虎の構図に話が寄ってしまったので、もう一つの見どころのパワーバランスについても触れておきたい。
1クール目では貴虎や凰蓮のように「大人」が強い、という図式であったが、ここにきて次世代ドライバーのゲネシスドライバーが参戦。しかもそれを独占しているのは引き続き大人たちなので図式はさらに強化され、ゲネシス>スイカアームズ>戦極ドライバーというヒエラルキーが形成される。
その強さをさらに印象付けたのが、専用武器のソニックアロー。近接戦闘もこなせるめちゃくちゃ強い弓としてマルチな活躍を披露し、エナジーロックシードとの連動要素も実装。17話での鎧武ジンバーレモンVSマリカ戦では近距離で弓を撃ち合いながら闘うという『ジョン・ウィック チャプター2』の駅のシーンを彷彿とさせる名バトルが展開。金田治監督は春映画だとアレなのに、こういう目の覚める殺陣をいきなり繰り出してくる。
そう、ここでも番狂わせは鎧武なのだ。彼はサガラに渡されたゲネシスコアとレモンエナジーロックシードによってジンバーレモンアームズに変身し、飛び急でヒエラルキーのトップに並び立つ。ついに単独でブラーボを倒し、次いでシグルドを撃破。エナジーロックシードとソニックアローの力でのし上がっていく様は爽快であり、それがまたしてもサガラの介入という末恐ろしさがずっと付きまとう、作品に緊張感を持続させる仕掛けがニクい。
その煽りを受けたのが、みんな大好き戒斗さん。「力こそ強さ」を標榜しつつ、ゲネシス組に全敗、オーバーロードとの初接近を努め、ちゃんと地面に転がる様を見せつけてくれた。彼の下剋上は、もう間もなく。それまで耐えるのだ。バナナは凍れば釘をも打つからな(?)
平和だった頃を懐かしむように、18話をもってビートライダーズはほぼ解体し、ダンス要素は鳴りを潜めることになる。ガキの遊びは終わりを告げ、皆がそれぞれの方向へ歩いていく。
光実は、少しずつ少しずつ、踏み外していっている。彼が「悪い子」として完成していくにつれ、悲劇のジェットコースターはまだ上り坂だが、いずれは堕ちるしかない。舞の笑顔を守るための彼なりの闘いはしかし、やがてはもっと悪い人の手に収まっていく。先の展開を知ればこそ、後戻りできたのに……!!というポイントが要所要所にあって、それが歯がゆくて、不謹慎だが面白い。
力を求める戒斗は、裕也の死を受け止めて前に進む紘汰は、これからどう歩むべきなのか。破滅が迫る世界において、強さと正しさとは何なのか。盛り上がりが緩むことなく、むしろ加速していく『鎧武』の物語。折り返し地点を迎え、まだまだ寝不足の日々は続きそうだ。