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絶対的な絶望を撃ち抜く、『スーパーダンガンロンパ2』が創る未来への希望。

 10年ぶりに『ダンガンロンパ』を再読する。そこには『2』を遊ぶための準備体操、という意味合いがあった(のだが結局ドハマリしてしまったのは以前の記事をご参照いただきたい)。

 『2』発売当初はまだPSPも現役で遊んでいたし、前作(以下、『無印』と呼称)もかなり楽しませてもらった。なのに、金銭的に余裕のない苦学生だった私は『2』を購入することもなく、ダンガンロンパの知識は『無印』で止まったまま、以降のシリーズとは縁のない生活を送ることになった。そんな自分が、己で稼いだ金でかつての名作タイトルを買い漁り血眼になって遊んでいるのは、当時抑圧されていた”何か”を満たしてあげたかったのかな、とも思わなくはない。

 自分語りはさておき、こうして『2』を遊ぶ機会に恵まれた。しかも、この情報社会においてほとんどのネタバレを踏むことなく、まっさらな状態で向き合うことができる。その幸福を噛みしめようとスタートボタンを押した時、やがてその前向きな気持ちが全て「絶望」一色に染められるなんて、まったく思いもしなかったのだから、つくづく私は『ダンガンロンパ』のいいお客様だ。作り手の手の平の上で転がされ、咽び泣き、表情を曇らせる。さぞ、滑稽だったことでしょう。テメーのせいだよ狛枝凪斗。

以下、『ダンガンロンパ』『スーパーダンガンロンパ2』の
重大なネタバレが含まれます。

 まずそもそも、「ダンガンロンパ“2”は成立するのか?」という疑問が、タイトルを遊び始める前に脳内を駆け巡っていた。

 前作で明かされた通り、「超高校級の絶望」によって引き起こされた事件により世界は混乱状態にあり、文明も崩壊しつつある。『無印』においてはコロシアイ学園生活を生き延びた6名が学園を飛び出し外界に放たれたが、その消息も不明。しかし、本作の主人公・日向創が希望ヶ峰学園を訪れた際の描写を見る限り、少なくとも彼の入学はそれらの事件以前ということになる。つまり、本作は『無印』と同一時間軸の出来事、あるいは前日譚になるのではないかという”推理”が働いた。ところが、作り手はプレイヤーの陳腐な想像をあざ笑うかのように、アクロバティックすぎる弾丸でこちらを”論破”してくる。

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 CV:緒方恵美の謎のキャラクターと太った十神。「さぁ深読みしてくださいね」と言わんばかりに放り込まれた特大級の違和感に、前作プレイヤーの思考回路はショート寸前。しかもCV:三石琴乃の剣道女子がいるせいでよりエヴァンゲリオン色が強くなった面々が、CV:タラちゃんのウサギによって強制的に南国の島に監禁され「ここで暮らしてネ」など言われて、驚かない日本人がいないはずがなかろう。

 こちらの混乱もなんのその、自己紹介をしてキャラクターの名前をあらかたインプットした頃合いを見計らってモノクマが乱入、平和な修学旅行は「コロシアイ修学旅行」へと変貌し、いつもの『ダンガンロンパ』になっていく……。同級生を殺し全員を出し抜けば島から脱出、学級裁判、疑心暗鬼に陥っていく「超高校級」の面々。さぁ舞台は整った、という段階で作り手はさらなる冷や水をぶっかけてくる。

 そう、最初の被害者は十神白夜その人だったのだ。前作キャラ(?)をあっさりと序盤で消費し、「初めて殺人を目撃した」作中キャラクターたちの焦燥と緊張をさらに上回る衝撃を提示する。この時から薄っすらと本作並びに製作陣に対しては「鬼畜」という所見を抱いていたのだが、鬼は鬼でも大鬼どころか超スーパーメガデス大鬼でした、くらいの所業が待っていたのである。

 狛枝凪斗。CV:緒方恵美かつ「ナエギマコト」のアナグラムである名前、「超高校級の幸運」という才能などなど、前作プレイヤー向けのフックとしてはあまりにあざとく、”いかにも”すぎて当初から容疑者として除外していた。その推理は当たっていたものの、十神殺害に全く無関係でも無かったのだ。彼は「自分で考案した殺害計画を乗っ取らせ、実行犯を庇いながら学級裁判をかく乱する」という信じがたい挙動に打って出る。

 その正体は「超高校級の超高校級マニア」であり、同級生同士が殺し合わなければならない「絶望的」な状況でこそ超高校級の「希望」がより輝くという持論の元、殺し合いと学級裁判における論破を自ら推進するという、常軌を逸した目的によって動いていたのだ。しかも彼はモノクマ(黒幕)が用意した人材ではない第三勢力である、というところで、ヤバさに磨きがかかっている。

 生き延びるためにやむを得ず殺すでもなく、殺人を目的とする猟奇的殺人鬼ですらない。自ら手を汚さず(クロにならず)して死を招く狛枝凪斗は、『無印』のどのキャラクター像にも当てはまらない、超ド級のイレギュラー。その思想たるやこちらの思考の範疇を超えており、中でも「希望のためなら自分が殺されても構わない」と宣うほどの強烈な卑屈さとねじ曲がった欲望の前に、絶句と奇声を交互に繰り返しながら1章を読み進める羽目になった。

 ちなみに、この戦慄の第1章は公式にてプレイ動画の公開が許可されており、それを触れずしてプレイに至ることになった幸運に感謝すると共に、
「ここまでなら開示してもよい」とお考えの製作陣への畏怖が積み重なっていったのは言うまでもない。正気か????

 ほとんどお通夜みたいな空気の中で、第1章を読み終える。年末進行も相まってか、これを読破するのは消費カロリーがデカすぎることを察し、「一日一章まで」という誓いを立て、読み進めていくことにした。

 続く第二章では、自由時間に交流を深めていったこともあり、一緒に生活することになった同級生たちにも少しずつ愛着が湧いてくる。いつも眠たげだけど世間知らずゆえに色んなことに興味津々な様子を見せる超高校級のゲーマー・七海千秋、屈強な身体と竹を割ったような性格の持ち主である超高校級のマネージャー・弐大猫丸、超高校級の飼育委員にして純度100%の中二病だが思いやりと優しさに溢れた田中眼蛇夢(たなか がんだむ)、ハイテンションでムードメーカーを務める超高校級の軽音楽部・澪田唯吹。学級裁判を有利に進めるスキル獲得を名目としつつ、贈ったプレゼントに喜びこちらに心を開いてくれる学友たちとの交流は、狛枝凪斗が放つドブのように濁った絶望から心を救うには十分なものだった。

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…………………。

 そう、これはダンガンロンパ。(主人公を除けば)推しが死なないなんて保障は皆無なのである。この瞬間、シリーズを遊ぶ上でいつか訪れるだろうと身構えつつ、しかしその日が来ないよう祈っていた「推しが殺される」の実績の解禁を迎えてしまったのである。『無印』の推しである大神さくらちゃんは「大義の上での自殺」という特殊な形での退場だったゆえに、悲しく思いつつも乗り越えてきたが、今回は違う。島を抜け出すための礎として殺され、あまつさえトリックの道具として弄ばれてしまったのである。

 思いの外、しんどい。これが醍醐味では、という上級者の方もおられるだろうが、同じ釜の飯を食ったはずの仲間に推しが殺されるというのは、事前の想像以上にクるものがある。殺される前に恐怖は感じただろうか、痛みはあっただろうか……。絆をコンプリートし、獲得したのが「推しのパンツ」という小高和剛そういうところだぞと言いたくなるブツがよりによって“形見”になってしまったこと、クロが「どうやらイジメや虐待を受けていたらしい」と会話から察せられる罪木蜜柑だったため、やるせなさに拍車がかかる結末となった第三章。

 続く第四章では「推しが推しに殺される」という高難易度の実績を解禁するに至り、貰ったパンツとコントローラーを投げ出したくなるミラクルが発生。イチゴとマスカットが床と壁に投影された塔を行ったり来たりしながら推しの死体を探り、推しの矛盾を論破する作業は思いの外心労だったのか、セーブして電源を落とし秒で眠りについたのは我ながら感受性が豊かすぎたな、と苦笑してしまう。

 そうしてズタボロになりながらも『2』の洗礼を浴びる一方、ヤツはすでにこちらの想像を遥かに超える大仕掛けを済ませていた。

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ロンギヌスの槍……ってコト!?!?

 狛枝凪斗の狂気については、もう「わかった気」でいた。その油断を突くかのように、この有様である。猟奇的で、残酷で、惨たらしい死に方。さすがにこれは苦しかったろうと、一時は同情してしまう。ところが、鍛えられた推理力が警鐘を鳴らし始めるのだ。狛枝凪斗は本当に殺されたのか?自殺なんじゃないか?と。

 しかしその結末は、またしてもこちらの想像を超える。プレイヤーには後に明かされるのだが、超高校級の才能を持ち集められたはずの彼らが実は「絶望の残党」であることを知り、希望の信奉者に対する最も屈辱的な結果となったこれまでを清算する形で狛枝凪斗は「裏切者=未来機関の人間のみを生還させる」ために自らの命を捧げ、そのために「クロがクロであると自覚させない殺害」という離れ業を実現させ、学級裁判の誤った判決を誘うという、前代未聞の殺人事件をプロデュースする。「超高校級の幸運」という自らの才能を信じ、誰も予想だにしなかった殺害を実行する。それは『無印』においても苦戦の跡が見られたほどに高度な発想と緻密な仕掛けを要するシナリオなのだけれど、『2』は本当にそれをやり切ってしまった。

 あまりに巧みで、「こちらの推理も届かない」という掟破りなオチも含めて、狛枝凪斗の”逆襲”は完璧であり、今年遊んだどのゲームと比べても最も震撼し、恐ろしささえ感じた。コレを大晦日に喰らったのは、自殺行為と言う他なかった

 かくして、最大級のピンチに陥ってしまったプレイヤーと超高校級の彼らだが、議題は「狛枝凪斗が生還させたかった裏切者とは誰か?」に移る。そしてその答えは、最も信じたくない指摘を迫られることになった。事前に絆をコンプリートした=パンツを貰ってしまった(ホントこれ何とかしてくれ小高)七海千秋こそ、未来機関の人間だったのだ。

 そして次第に垣間見える、”この世界”の真実と彼女の正体。それはこれまでのコロシアイと騙し合いを根底から覆しかねない、もっと言えば「何でもアリじゃん」とプレイヤーを冷めさせてしまいかねない大仕掛けなのだけれど、少なくとも七海千秋は日向たちと培った絆によって変わり、自らの「意思」によって彼らを救うことを決める。哀しい別れだけれど、確かに希望が灯った。すなわち、「希望」が最も強く輝く瞬間が「絶望」に一矢報いるその瞬間を、誰よりも希望の信奉者であった狛枝凪斗が演出し、しかしその瞬間を目撃できぬまま果てるという、勝ち負けすら曖昧なまま衝撃の第五章は幕を閉じた。まだ最終章あるんだぞ?????????

こんな感動的な対話の後、パンツを渡される狂気のゲーム

 さて、ここまで深く言及はしてこなかったが、狛枝凪斗と同じく希望に、ひいては希望ヶ峰学園に並々ならぬ執着を抱いていた人間がもう一人いて、それは日向創その人なのである。

 彼は当初から超高校級の才能が何であるか明かされず、本人もその記憶を失っているということもあり、そのことへのコンプレックスを伺わせる描写も含まれていた。が、持ち前の勇気で学級裁判をいくつも乗り越えてきた日向が、普通であるはずがない。その予想は、「希望ヶ峰学園の予備学科に通っていた普通の学生」で一度覆され、終盤にて再度「超高校級の希望=カムクライズルの器」という驚きの回答を叩きつけられる。

 誰よりも秀でた才能に憧れ、しかしそれを持たずして産まれた日向は、非人道的な希望ヶ峰学園の実験によって人工的な希望の持ち主に”製造”され、その強すぎる希望はやがて他者の「絶望」の引き金になった……というのが「希望ヶ峰学園史上最大最悪の事件」に、ゆくゆくは「人類史上最大最悪の絶望的事件」に繋がっており、日向創は人類を滅ぼしかねないほどに肥大化した希望と絶望をその双肩に背負う、とてつもない人物であることが明らかになった。

 そして、その謎と共にアイツが帰ってくる。

 超高校級の絶望こと、江ノ島盾子。死してなお人工知能として立ちはだかる彼女は、学級裁判に挑む超高校級の彼らと、そしてプレイヤーを絶望のどん底に叩きつける。

 超高校級の彼らが実は「絶望の残党」であること、これまでの修学旅行生活が「絶望を厚生するプログラム=ゲーム世界での出来事である」という真実。敵かと思われてた未来機関こそが希望ヶ峰学園の生き残り=絶望の残党を保護する役割を担っていたこと、モノクマ(江ノ島ウイルス)の介入によって死んでしまった級友たちは現実社会でも死亡したことになってしまうなど、次々と開示されていく真相。と同時に、未来機関の使者として苗木・霧切・十神が介入し、クライマックスに向けてテンションは最高潮へ。

 そして逆転へ……と思いきや、絶望もその手を緩めない。カムクライズルの器たる日向創は、プログラム世界でこそ表面化した彼本体の人格であり、現実世界ではカムクラが”表”である以上、みんなと絆を結んだ日向創は強制シャットダウンを実行すればその意識は再び”裏”へ、すなわち「死」する運命にあること。また他のメンバーについても強制シャットダウン=「絶望の残党」のまま目覚めてしまうこともあり、その結果は絶望的だ。しかし、強制シャットダウンしなければコロシアイで亡くなった者の身体に江ノ島盾子の意識が乗り移ってしまい、超高校級の絶望が蘇ってしまう。つまり、どっちを選んでも絶望、という局面に達してもなお、絶望は選択を迫ってくる。この時点で、江ノ島盾子の勝利は確定したようなものだ。後は、彼らの選択に沿って現実社会に蘇り絶望を撒き散らすか、己が再び死ぬという絶望に浸るだけ。そんな敗北確定の状況の中、日向たちは「自分」と「世界」のどちらかを選べと迫られる。

 その選択の重さに、日向は自分の殻に閉じこもってしまう。秀でた才能も無く、他人の命を背負う覚悟もない。そんな「普通の」青年としての弱さをむき出しにした日向創は、どこまでも等身大であり、同時に希望の担い手としては脆すぎた。かくして、絶望の前に日向創も沈んでしまう。

 狛枝凪斗に否定され、見捨てられ、失望され続けた日向創という空っぽの器。彼には人類全てと仲間と自分、それらを天秤にかけてどちらかを選ぶなんて、そんな度量も勇気も持ち合わせていない、普通の高校生だった。カムクライズルの風貌をした無数の日向が絶望を口ずさみ、込められた弾丸も「虚無」のように、もはや絶望を論破する手段なんて彼の中には微塵も残っていなかった。誇れる自分になりたいと希望ヶ峰学園の門を叩いた平凡な男は、希望を求めたがゆえに直面する「分不相応」に、完膚なきまで叩き潰される。

 だが、日向創として生きてきたこのコロシアイ修学旅行には、確かな意味があった。それは、七海千秋とモノミの心に希望の火を灯したことであり、彼が切り開いた「未来」への展望そのものである。

 ここにきて『スーパーダンガンロンパ2』は、前作とは異なる希望を示す。苗木誠が「超高校級の希望」として皆を引っ張っていったのとは少し違って、「才能」に振り回されず自分らしく生きること、自分を信じる心こそ大事なんだと、そう訴えかける。才能が持って生まれた先天的なものとするのなら、これまでの経験や挫折から培った心の強さ、後天的に獲得した「自分」こそが未来を切り開く希望足り得るのだと、『スーパーダンガンロンパ2』は高らかに宣言する。

 七海から得たコトバを引っ提げて、カムクライズルの姿をした自らの絶望を打ち抜き、江ノ島盾子の言葉を切り捨て、仲間たちの悲観に暖かな希望を伝播する。こうして、日向創は自分と仲間たちの未来を””る、唯一無二の希望として顕現する。常人離れした才能もない、空っぽだと否定され続けた男が切り札となって、絶望的な復活劇に幕が下りる。エピローグの晴れやかな空を見据える日向の背中は、悲観的な運命に転びかねない強制シャットダウン後の世界にも希望を抱くことのできる、”主人公”としての堂々の貫禄を感じさせるものだった。

 『スーパーダンガンロンパ2』、これにて読了。事前の評判通り、シリーズのお約束に則り、時に大胆に破壊しながらも、前作とは異なる希望の形を提示して、巨大な絶望に立ち向かう。プレイヤーを欺くシナリオの完成度は第五章にて天元突破しており、前作越えも納得の出来栄えだ。前作のみならず小説版とのリンクを感じさせる点もあり、ファンサービスとしても満点の出来栄えではないだろうか。

 繰り返しになるが、一切のネタバレを踏まずして『2』に向き合えたことは、2021年最後にして忘れがたい思い出になった。ここまで振り回され、圧倒され、驚愕させられっ放しのエンターテイメントは、中々お目にかかれるものではない。今はただ、この作品に拍手喝采を送り、愛おしい推しとの再会を求めてアイランドモードへ突入したくてウズウズしている。

 さて、ナンバリングタイトルはあと一作残っている。希望ヶ峰学園の仄暗い事情とその崩壊を知って、一体次はどんな論破を楽しませてくれるのだろうか。全幅の信頼を寄せつつ、今はまだ、『2』の余韻に浸っていたい。


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