ナナシス・ブートキャンプ
キティさん曰く「推しは増やしていい」「推しの数だけハッピーが増えるよ」とのことだが、実際のところ、お金と時間は有限であり、ゆえに好きなコンテンツを並べて優先順位を定めたり、新しい沼に増えることを躊躇する、なんてのもオタク仕草だと思う。ヘンに凝り性だとちょっとでも触れてしまえば「手の届く範囲で」コンテンツを吸収したくなってしまい、結果として既知の沼も新規の沼も中途半端、なんて失敗は酒と同じ回数くらい繰り返してきた。ただでさえ予約までして買っておきながら、未開封のままのゲームソフトが棚に何本も眠ってるというのに、これ以上履修科目増やせるか!いい加減にしろ!!!
なぜだろう。知らんバンドのライブのチケットが、当たってしまった。シャニマスの歴代の現地チケット全部落選してるのに。
経緯は簡単で、要は相互フォロワーに誘われ、わざわざ遠方から九州まで来てくれるならと軽率に抽選に応募したのが始まり。普段お世話になっているフォロワーが熱狂するコンテンツに触れるのもいいし、「絶対ハマる」と太鼓判を押されてしまい、まぁどうせ外れるやろ……とe+くんにお伺いを立ててみたら、なんと当たってしまいました。
チケットが当たったのなら、話は変わります。最初はフォロワーに会う口実でしたが、今このご時世でのライブがどれだけ貴重で、演者やスタッフさんの並々ならぬ努力と調整の上で成り立っていることを仕事柄少しは知っているつもりですし、私に座席が設けられたということは誰かが一人席を得られなかった、ということでもあります。そんな人たちの前で「フォロワーに会えるから来ました。アナタたちのことも作品のことも何も知りません」だなんて態度で居座ることを、私自身が許せない。せめて、出来る範囲でも、ライブで届けようとしている気持ちやパフォーマンスを受け取れる身体にしておきたい。そんな気持ちから始まったんです、私の、支配人活動―。
準備運動
とはいえ、前述の通りナナシスに割ける時間にも限りがあり、ライブまでに全史を履修することは不可能。というか「4U」ってなに???って話で、何一つわからんわけです。そんな状態でプールに飛び込んだら間違いなく足つって死ぬ。
なので素直に同行者に頼ります。なんでも今回参戦するのはナナシスというコンテンツ全史のライブではなく、その中の1ユニットのライブということなんですね。だから最低限、作品世界の成り立ちと主人公が属するユニットの結成物語である「1.0」と、彼女たち4Uのエピソードだけ読んでおけば、最低限はいける。やったぁ簡単そうじゃんとgoogleストアで「ナナシス」を検索して、インストール。アプリ自体は軽いのに周辺データのダウンロードにめちゃくちゃ時間かかるので、公式サイトでも読みましょうね~(七草はづき)。
ナナシス・ファーストインプレッション
すっげぇ多いの、女子が。なんとリリースが2014年ってことで、7年以上の積み重ねの結果としての大所帯なんですね~。シャニマスとプロセカしか知らないからこの量の名前の女子の顔と名前を覚えきれる気が全くしない。
あと、なんかこう、キャラデザ幼くないですか?????いやまぁアイドルといえば加齢が呪いと同一視されるというおぞましい文化の側面もあるので幼い女子が集まるのも致し方無いんですけど、それにしてもなんか、子どもしかいなくてう~~~~~~~~ん?????ってなりましたね、正直。あとなんとなく見た目だけで天神ネロさんが好きって言ったらフォロワーから「アイツは茨の道」と返ってきました。九州弁で可愛いじゃないの、エネミーだけど。あ、プロデューサーさん、ダウンロード終わりましたよ~(七草はづき)。よっしゃ、ほな、いこか。
Episode 1.0
まずはナナシスの世界観に触れていきます。それでは、こちらのBGMと一緒にお楽しみください。
エンターテイメント産業特区“Tokyo-7th(トーキョーセブンス)”。かつてここは「セブンスシスターズ」という伝説のアイドルグループが頂点に立ち、セブンスシスターズの勢力によりかえってその一帯は統率が取れていた。だが、セブンスシスターズは2032年に突然解散を発表。それによりアイドルたちを取り巻く均衡は一気に崩れ、アイドルのライブから配信までを一手に担う総合施設「ハコスタ」は衰退、さらにはアイドル文化そのものが「時代遅れ」と化してしまう。
それから2年後の西暦2034年、アイドルは廃れる一方で経営危機に陥ってしまったハコスタの一つ777(スリーセブン)、通称「ナナスタ」に所属する一人の若き男が、前支配人の唐突な不在により二代目支配人に任命されることから物語が始まる。彼をサポートする新マネージャー「六咲コニー」も現れ、ナナスタを再び盛り上げるためのスカウトに勤しむことに。
伝説のアイドルグループの解散から2年。若き支配人とアイドルたち、それぞれのプライドを掛けた戦いの幕が上がる。(CV:立木文彦)
アイドルは時代遅れ。とてつもねぇ設定を冒頭から放り込んできたナナシスですが、よくよく思い返せば地上波の番組を観る機会も年々減っていき、今となってはAKB48のセンターの名前も知らないし、嵐をはじめとするジャニーズグループのユニットも次々と活動の形が変わっていくなど、所謂「国民的アイドル」がいなくなったような気がします。ある意味、現実のそれらを見越してのセットアップだったのかもしれませんね。
二代目支配人となったプレイヤー。傍らにいるのは「どっかで見たことあるような」容姿の新マネージャーのコニーさん。この二人から始まるナナスタの再生物語ですが、さっそく一人の女の子がナナスタを訪れます。即スカウトするゾ~^^
アイドルなんてだいっきらい!最初に出会った女の子、春日部ハルちゃんの衝撃的な台詞です。アイドルが嫌いだって!?アイドルは人を傷つけるものじゃない!オレとアイドルバトルで勝負だ!!!!と意気込みたいところですが、ハルちゃんにはハルちゃんの事情があります。
春日部ハルはかつてアイドルを目指していたものの、芸能を巡る大人の世界のアレコレに摩耗したり、自身の活動によって弟に迷惑をかけてしまった負い目があり、一度アイドルを挫折しています。ゆえに、ハルはアイドルという文化そのものを嫌う。それでも、彼女の歌の才能やアイドルとしての素質を見抜き、そして何よりも「ハルちゃん自身が何をしたいか」をコニーさんが問いかけることで、ハルは再びアイドルをする決心を固めます。
建前だとか誰かのためじゃなくて、アナタ自身が何をしたいのか。そのことを重視するコニーさんは他にも、「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」という言葉を残します。その言葉の意味は、後々のシナリオを読み進めることで、少しずつ輪郭を帯びていきます。
何がしたいか?その問いかけに集まるかのように、ハルを中心として12人の女の子がナナスタに集結するまでを描くのが、「1.0」の物語です。皆それぞれが違う事情や夢を抱えつつ、やりたいことに一生懸命ぶつかっていく。こうして、ナナスタの新ユニット・777(スリーセブンシスターズ)の夜明けがやってくるのです。
……とはいえ、この「1.0」はキャラクター紹介という性質上、「偶然出会った女の子が」「いきなり配信ライブに出られるくらいの歌唱力と踊る才能があって」「なんやかんやナナスタに所属する」が人数分展開されるだけでもあり、退屈に感じたのも否めません。それに、アイドルの絶対数が少ない=採用のハードルが下がっているので矛盾はしていないのでアイドルになる(名乗る)のが簡単なのは認めます。ですが、そのための訓練も詰まず覚悟も不十分な者たちが人の心を動かすパフォーマンスがいきなり出来ますか!?アイドルが時代遅れな設定なのに観客席が埋まっているような背景絵は何??とちょっとした部分が気になって、今一ハマれませんでした。
多分、「4U」という釣り餌がなければ、ナナシスに肩入れすることは無かったように思います。それほどまでに、次が良かったんですよ。
Episode 4U
九条ウメ、鰐淵エモコ、佐伯ヒナの三人で結成されたユニット4U。まず驚いたのは彼女たちがアイドルユニットを自称していない、ということ。777らナナスタに真っ向勝負を仕掛けてくる彼女たちですが、自分たちをガールズバンドと規定していて、しかも「アイドルは時代遅れ」という作品世界のマジョリティの価値観を背負っているゆえに777にとっては強大な敵として立ちはだかります(の割にストーリー上4Uの負けが目立つ)。
では、なぜ4Uは777を、アイドルを敵視するのか。ここでようやく「セブンスシスターズ」の存在の大きさと、解散が及ぼした影響の大きさにプレイヤーが触れることになります。
九条ウメは上手に友達が作れず、学校生活に馴染めない「地味子」だった。そんな中ウメはエモコと出会い、エモコの音楽の趣味に付き合う形でセブンスシスターズに出会う。アイドルの輝きに触れたウメはすぐに虜となり、暗い性格も明るくなり地味子からクラスの人気者へと変わっていく。
ところが、セブンスシスターズの解散によってウメはかつての地味子に戻ってしまい、作り上げた友達関係も一瞬で立ち消えになってしまった。アイドルを介して学校や他人―世界と繋がれていた少女は、縋る物を失って奈落へと堕ちる。
アイドルなんて幻だ。アイドルに費やした時間は無価値だった。ウメの孤独の魂は、セブンスシスターズとその中心にいた七咲ニコルを、ひいてはアイドルへ呪いを叩きつける。光を見せ続けられないのなら、なぜ与えたのと慟哭する。それは八つ当たりでもありながら、当人にとっては切実な問題なのです。
アイドルとは残酷なもので、前述の通り加齢が呪いとなるほどに、(世間的な評価と言う意味での)その輝きにはタイムリミットが存在します。その一方で、アイドルとはファンの応援や憧れが無くては成立しない職業(生き方)です。にも関わらず、アイドルとファンの関係は必ずしも永遠ではありません。ファンが推し変して離れていく場合もあれば、アイドルが引退や解散をして舞台を去ることも当然ながらあり得るのです。
セブンスシスターズはきっと数えきれない人たちに希望と元気を与えてきました。と同時に、その解散は深い絶望をも生み出してしまったのです。その被害者である九条ウメは、アイドルを憎み、アイドルを否定するかのようにロックにのめり込んでいく。
それに対して、アイドルというものの根本の在り方を変えるだとか、ロックが本当に永遠のものであるかを説くなんてことはハルたちには到底不可能です。だからこそ、ハルは別のアプローチでウメに問いかけます。
アイドルは確かに有限で、いつかファンを裏切ってしまうかもしれない。それでも、アイドルから受け取った気持ちや明日への活力は本物であり、それを伝えられるなら私はアイドルを素晴らしいと思える。そして、今度はハルから問いかけがウメに放たれます。キミはなにがしたい?―と。
ウメの隣には、同じ孤独を救い合ったエモコがいて、そんな二人を見守るヒナがいます。アイドルを叩き潰すという名目で始まった音楽活動は、いつの間にか復讐のための道具では無くなっていたのです。エモコとヒナと、「4U」として奏でる音楽が、いつしかウメの「やりたいこと」になっている。復讐のためじゃなくて、「やりたいこと」だからこそ4Uを続けたい!その想いをエモコとヒナと、そして観客が受け止めた時、4Uの再スタートが切られるのです。
アイドルは永遠じゃない。そのことを念頭に置き、私たちファンはどうするべきか。その思想を帯びた本作は777と4Uをネガとポジのように配置し、喪失を受け入れて前に進む希望を描き切りました。アイドルがだいっきらい!だったハルの口から放たれるアイドル賛歌は、二本目のEpisodeにしてすでに最終回の風格をまとっているかのような感動的なワンシーン。三人の友情を再確認した4Uも、その晴れやかな結末が印象的でした。
で、「Hello...my friend」ですよ。このEpisodeを読み終えた瞬間から、6/5は「ナナシスのライブに行く」から「“九条ウメがみんなと一緒にやりたいこと”を応援しに行く」に様変わりします。どうしよう、ウメ……というか山下まみさんを見たら泣くかもしれん。助けてほしい。
Episode 2.0/KARAKURI
とまぁ、『4U』を読んで予習ノルマは達成したわけです。が、まだたくさんの謎が残されています。なぜセブンスシスターズは引退したのか。アイドルを取り巻く環境はどうなるのか。その答えを知るために……もうちょっとお付き合いすることにしました。
続く『2.0』はこれまた777の皆が主役のお話で、彼女たちのお仕事を通じて世界観を掘り下げるターンになりました。「特区」と聞くと無条件にハイローが出てくる悪いヲタクなんでつが、各都市の命名はむしろ『境界線上のホライゾン』のセンスでしたね、完全に。
それらも早々に読了し、『KARAKURI』を観る。なんというか、ナナシスというコンテンツがアイドルに対するカウンターめいたものをコンセプトに置いているような気がして、4Uのようにアイドルと対立するユニットの物語の方が興味をそそるんですよね~。
秋奈さんおりゅ?!????!!????!
あの小豆沢こはね役でおなじみの
秋奈さん!!??!???!???!!
いやぁ、ここに来てプロセカと接続するとは思わず、小生すこし焦りましたゾ💦💦💦いや秋奈ちゃんね~~~~~~~~~~。うっわ~。CV:秋奈のダウナー一卵性双生児(ボクっ子属性あり)かぁ~~~~~~~~😊😊😊😊😊😊👍👍👍👍👍👍😚😚😚😚😚😚
おっと💦💦💦ヲタクがつい出てしまいましたが(爆)、内容はわりとシリアスなもの。4U同様に「セブンスシスターズの引退」によって生じた空白を描くと共に、ナナシスというコンテンツにおける敵、すなわち“世界”の一端が明かされます。
KARAKURIはカリスマ双子ユニットとして絶大な人気を誇るミュージシャンであり、ナナスタとは比べ物にならない程の大型施設を借りられるほどの名声と経済力を持ち合わせている。その背後にいるのが、「Dr.Serge」と呼ばれる存在。それは個人ではなく常に中身が移り変わる存在として、多くの権力者がこのエンタメ特区Tokyo-7thの頂点に立つことを目論んでいた。そのために創設された「プロジェクトKARAKURI」は孤児を集め将来のスターを育成するものであり、ヒトハとフタバは最後の生き残り―同士を凌いで勝ち残ってしまった存在です。
そんなおぞましいプログラムのゴールは、KARAKURIの二人がセブンスシスターズに勝利し、Tokyo-7thのエンタメシーンの頂点の座を奪うことだった。ところが、セブンスシスターズが引退によってその野望は解体され、二人は空虚の王座に座ることになる。勝つことを命題に作り上げられたKARAKURIは、自分たちの使命を失った「空っぽ」な存在であることを自覚しながら、ステージに立ち続けます。大人たちの醜い欲望によって人生を捻じ曲げられ、セブンスシスターズの引退によって生きる目的を失う。だからこそ二人は、隣り合う姉妹しか寄る辺がありません。
そこに現れた、シスターズの名を冠する777の少女たち。KARAKURIの二人が777に挑戦的に接し、そして対等な対決を望むのは、彼女たちが生きる意味を取り戻すための最後のチャンスであると考えたのではないでしょうか。対等なライバルと堂々と正面からぶつかり合う。それでようやく、この魂が報われる。
KARAKURIと777はグラフェスと呼ばれる大型イベントに参加することになり、合同レッスンをするなどして切磋琢磨し合っていた。ところが、とあるゴシップ記事によってKARAKURIと777の対立を煽る何者かの陰謀があることが発覚。世論もそれに飲み込まれ、彼女たちは顔を合わせることも出来ない。
依然、この世界でのアイドルに対する風当たりは厳しい。描写を見る限りでは従来のアイドルファンもいるものの、大衆の支持はKARAKURIに傾く。不確実な情報操作に悩まされる、といった現実の悪意を彷彿とさせる外部からの横やりによって、777は「やりたいこと」が出来なくなってしまう。
そんな彼女たちに代わってメッセンジャーを務めたのが、あのウメという事実がこれまた嬉しい。彼女もまたセブンスシスターズによって奪われた側の人物だが、同時に777から大切なものを受け取ったのもまた事実。グラフェスでの対決を実現させることがウメの「やりたいこと」だとしたら、こんなに感動的なことはない。
影響を鑑みて一度は辞退を表明したKARAKURIだったが、ウメの頑張りや777たち自身の宣言もあり、フェスでの対決を約束する。しかし、例の記事が未だにファンの間でも物議を醸す内容だったためか、会場でも観客同士でいがみ合いが起こる始末。そんな中、KARAKURIはヒトハとフタバ、それぞれがソロでの歌唱をステージで披露しました。
完全なる調和、双子だからこその完璧なユニゾンで勝負してきたKARAKURIの二人。それはセブンスシスターズに勝つために造られた武器でもあり、互いが互いと繋がり合うためのコミュニケーションでした。ですが、777との触れ合いによってKARAKURIは「勝つための音楽」に固執するこれまでの価値観が、別のものへと上書きされていったのです。一心同体であった姉妹も他者であると尊重し、それぞれが奏でたい音楽を響かせることをこの場で選んだのです。
これもまた、KARAKURIの二人にとっての「やりたいこと」なのでしょう。アイドルに勝つためではない、新しいKARAKURIが届けるステージは、きっとたくさんのファンを魅了するはず。そんな余韻と共に、ナナシス世界に蔓延る大きな悪の存在が、深い影を落とすのでした―。
Tokyo 7th シスターズ 僕らは青空になる
ここまで履修すれば、さすがに何かを“受け取れる”だろうという確信が芽生えてきたので、観ることにしました。待望の「完全新作」アニメ化、ってやつを。
ナナシスアニメ、実は以前別の機会に薦められた際に視聴してみたのですが、前述したキャラクターデザインと自分の好みとのギャップとか、キャラクターが大勢登場して顔と名前が覚えられなくて、視聴を打ち切った過去があります。ですが今なら、彼女たちを覚えることに脳の容量を割く必要もなく、フラットに見られるんじゃないか。そう思い立っての数か月ぶりのリベンジ。さぁどっからでもかかってこい。
これが、、、、、、涙、、、、、、?
泣いているのは、私、、、、、、??????
たぶん開始1分待たずなんですけど、「Star☆Glitter」のイントロ聴いた瞬間に「あぁ~ナナシス全部追ってた支配人はようやく歌って踊る777の姿を観られるんだね~~~」ってすべてが“理解”った瞬間ですよ。なぜか止まらない滂沱の涙。どうして?私、支配人4日目なのに……。
本作はアプリのEpisode1.0の直後、777が結成されて間もない頃のエピソード。ゆえにナナシス初見さん向けのキャラクター&世界観の解説に前半の尺が割り当てられていて、親切な映画だと言えるでしょう。ですが、その神髄はこれまでのナナシスを触れていないと、あまりピンとこないかもしれません。
いきなり結末に触れますが、777のみんなはハコスタ・HAKKAKUの存続のために全力を尽くしますが、取り壊しを撤回することは出来ませんでした。八角氏も宣伝のために巨額の費用を投じ、決して潤沢とは思えない資産へのダメージも計り知れません。ですが、彼女たちと八角氏の努力は、決して無駄ではありませんでした。彼女たちがこの物語で、アイドルが時代遅れになってしまった世界を生きる人、そして私たち支配人に見せてくれたのは「もう一度アイドルを信じること」の尊さだったのです。
八角氏と、HAKKAKU取り壊しのために躍進する滑川氏。二人は実はかつてアイドルから希望を受け取った者、という共通点があります。ですが、アイドルは有限であり、彼らの想いはいつまでも報われ続けるわけではありません。八角氏はアイドルの光を絶やさないためにハコスタを自ら運営するわけですが、滑川氏はアイドルから貰った希望よりも失った絶望が勝ってしまった。そんな絶望を思い出させる居場所が許せなくてハコスタを目の敵にして潰していく。権力と資産をもってしまったばかりに暴走する彼の哀しい想いは、しかしどうしても悪として切り捨てがたい。
失ったものを憎悪で埋め合わせてしまう滑川氏は4Uのウメを彷彿とさせます。そんな時アイドルは、ハルたち777は何をしてあげられるでしょうか。いいえ、してあげるのではなく、こう問いかけます。「何がしたい?」と。
思い返せば、HAKKAKUを存続させたい!と頑張るのも、全ては彼女たち777のやりたいことから始まっています。このアニメにおいても、基本の姿勢は変わりません。ナナシスは常に、やりたいことを尊重する。たとえ叶わなくても、ライブがしたいからライブをする!そのためなら事務所の機材も動かしてやってやる!その躍動するエネルギーこそ、アイドルが象徴する生命力の源でしょう。
そして八角氏もライブ成功のためなら私財を惜しみません。彼もまた「自分のためにやる」と決心して、行動します。そこにはアイドルとして、だとかハコスタの支配人の責務として、などという建前はありません。助けたい、楽しみたい、踊りたい、歌いたい。その原動力がアイドルの煌めきを生み出し、そこからファンが元気を貰う。
彼女たちが抗い続けてきた結果、HAKKAKUが無くなることを知った過去のファンたちが最後のライブに集結し、思い出の場所の有終の美を777というアイドルの輝きが満たす。哀しい思い出ではなく「楽しかった」「最高のライブだった」という気持ちで送り出してあげることで、滑川氏のようにアイドルという文化そのものから離れてしまった人たちの心にもう一度火を点け、八角氏もまた次の舞台へと歩を進める。アイドル賛歌の物語として、とても綺麗な着地ではないでしょうか。
そして、それに至るまでのシーンが感動的でしたね。失意の中悩み続けるハルでしたが、かつて八角氏が推していたアイドルとコニーさんの口から「誰かの背中を押す」というワードを受けたこと、そして自分が背中を押してもらったエピソード=アプリ版1.0でのコニーさんとの会話シーンがアニメ化されて、「何がしたい?」の気持ちを思い出して、掃除から始めるんですよ!!!!!!!!!ア”ッ”!!!!!!!!!!!!
──ねぇ、君はなにがしたい?
そう、ナナシスは常にこの問いかけとセットなのです。アイドル「だから」とかじゃなくて、今キミがしたいことは何なのか。その言葉が前向きに、わだかまりや絶望を振り払う希望になることをアプリやアニメで繰り返し描いてきた以上、これがナナシスの基本理念といって差し支えないはず。
諦めないこと、妥協しないことを教えてくれた777の少女たち。その姿を観て背中を押してもらった当時の支配人たちの末席に、自分も入れてもらえるだろうか。この暖かい気持ちは、いつまでも胸の中に持ち合わせていたい。
未来へ
繰り返し言いますがライブで山下まみさんを観た瞬間に終わると思います。隣に座った方は諦めてぼくの屍をお家まで運んでください。は、早く観てェ~~~~~~~!!!!!!!!!!!
で、ナナシスの履修なんですけど、シャニマスをhomeとしているのでそちらを優先しつつ、天神ネロさんには会いたいのでボチボチ進めるとは思います。天塵つながりだしね。次の記事で会えたらいいですね。