差し伸べられたのは分岐点。『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』
東京での公開から数ヶ月遅れで我が地元にやってきた『ベイビーわるきゅーれ』一作目を、ミニシアターの小さなスクリーンで観たのが3年前。続く二作目は大手シネコンにて全国一斉にロードショーされるようになり、そして今回の三作目は地上波で連続ドラマが並走して放送中、かつ池松壮亮や前田敦子がキャストに集うような作品になっていた。いくらなんでも、デカくなりすぎである。
して、今回の『ナイスデイズ』は冒頭の空撮映像から感じられるように、過去二作よりも格段にリッチになっている。宮崎県の協力もあってか、県庁や豪華なリゾート施設といった名所を巡りながらのバトルや装いを大胆に変えての潜入などのバラエティ豊かなシチュエーションが設けられ、ちさととまひろが「出張」を目一杯楽しむ姿だけでも眼福というもの。二人が必死に殺しに励む先のゴールが「宮崎牛」なのも、九州に住む人間として嬉しくなってしまう。
一方、画面がゴージャスになっても、ベビわるならではのバイブスを維持してくれているところも本作は愛らしい。ちさとはまひろの誕生日祝いを成功させるべく奮闘し、それは度重なるアクシデントによって当初の想定とは違った形になれど、二人でささやかにお祝いをするシーンは、テントの中という舞台も相まって、その瞬間を閉じ込めたくなるくらいに幸せに満ちている。そんな二人が、死別を覚悟しなければならない強敵に遭遇し、それでも生きて帰ることを誓い合う。この関係性を存分に愛でる余地があってこその、『ベイビーわるきゅーれ』だ。
ところで、そんな二人を死で分かちかねないほどの最凶の殺し屋、冬村かえでを演じた池松壮亮が、今作のMVPなのは観た方なら異論はないはずだ。『ベイビーわるきゅーれ』は二人がおばあちゃんになるまで続いてほしいと日頃から言ってはいるものの、冬村かえでを超えるキャラクターが今後生み出せるのか、という懸念が生じるくらい、とんでもない奴だったからである。
※以下、本作のネタバレが含まれる。
冬村かえで。社会に順応できず、他者とのコミュニケーションに難を抱えておりながら、依頼された150人の殺害と筋トレには異様なストイックさを見せる。ためらわず、楽しむようにターゲットを殺害し、その手法や手際を洗練させてゆく向上心も見え隠れする。どこからともなく現れ、ちさとやまひろのチームを窮地に陥れては、状況をかき乱していく。もはや誰も手が付けられない、まさに最強の殺し屋としてスクリーンに顕現する。
そんな冬村かえでは、おそらくは深川まひろのアナザーとして創造されたキャラクターなのではないだろうか。まひろには、死地で背中を預け、日常では欠けている部分を補い合うパートナーがいる。一方のかえでには、仕事を斡旋する仲介人はいても、命を託せる仲間はいない。どこまでも孤独で、助けを乞うにも彼は不器用すぎて、次々と死体を増やしてしまう。
もしまひろが、ちさとと出会わなかったら。社会不適合者のレッテルを貼られ、誕生日を祝ってくれる人も、一緒に食卓を囲む誰かが隣にいなかったら。冬村かえでは、まひろの「もしも」として立っているからこそ、彼女はそれに怯え、弱音を吐いてしまう。より殺し屋として純化した、凶暴で孤独な殺戮モンスター。ここまで彼女に「死」を覚悟させたのは、冬村かえでの他にはいなかった。
だからこそ、冬村かえではちさととまひろの二人で乗り越える必要があった。過去二作ではラストの大勝負はまひろ(というか演じる伊澤彩織さん)に託される傾向があったけれど、今回はちさとも身体を痛めつけて、鬼の形相で冬村に食らいついていくしかない。自分の手がナイフの刃でえぐられようと、大切な相棒を守りたいという「愛」があってようやく、まひろはかえでに一矢報いるのである。
そこで差し伸べられたのは、血を拭うためのハンカチ。かつて冬村が名も無き少年から受け取った、誰かを思いやる象徴としてのそれは、彼が最も欲し、追い求めた人のぬくもりだった。それをかえでに返すまひろ。選択肢は二つ。拳銃を取るか、ハンカチを受け取るか。
これは、分岐点だった。非情で孤独な殺し屋か、情を受け人間として生きるか。そのスイッチが提示され、しかし冬村は拳銃に手を伸ばした。誰かを心の底から信じることが、出来なかった。まひろとかえで、両者の境遇の違いが、運命を二分した。誰からも誕生日を祝われることのなかった男は、一人で三途の川を渡る業を背負わされる。
ラスト、打ち上げの焼き肉に安心を得られるのは、ちさととまひろが二人でいる、その幸福を噛み締められるからだ。たとえ安物でも、誕生日にケーキを用意してくれる誰かがいる。それだけで、この厳しい社会も悪くない、むしろ“生きてて良かった”と心からそう思える。一歩間違えれば、誰からも振り返られることもなく死体になっていたのは、まひろかもしれなかった。そんなもしもを乗り越えた先の安寧に、観客も胸を撫で下ろす。救われなかった一人の男の孤独に、切なさを刻まれたまま。
『ナイスデイズ』を超えた先の『エブリデイ!』がある。今はその喜びを噛み締めて、二人の穏やかな日常を見守りたい。二人が二人でいる限り、悲しい別れは訪れるはずがないと、冬村かえでがそう教えてくれたのだから。