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感想『小説 仮面ライダー鎧武』継承と“平成ライダー愛”で結ぶラストステージ

 「いつまで待ってもビルドが出ない」でおなじみ講談社キャラクター文庫にて発売された小説版鎧武。こちらは発売当時に購入して読んでいたこともあり、読了したのは通算二度目。改めて、『鎧武』の全部を内包してやろうという気概がミチミチに詰まった、ファンサービスとしては文句なしのご褒美のような一冊だ。自分の好きなコンテンツからこの熱量のアフターが生まれるの、本当に幸せだと思う。

ザックがネオ・バロンを壊滅させてから数か月。呉島貴虎はプロジェクトアークのために量産されていた戦極ドライバーを悪用した様々な事件を解決するために、全世界を駆け回っていた。そんな中、凰蓮と共にロシアンマフィアを襲撃した際、貴虎は「黒の菩提樹」が復活し暗躍していることを知る。同じ頃、沢芽市でも市民がザクロロックシードを所持し「黒の菩提樹」の信者がどんどん人数を拡大していった。街の人々を守るため、光実とザックを中心にかつてのビートライダーズたちが奔走する中、死亡したはずの狗道供界が彼らの前に立ちふさがる。(著:砂阿久雁・鋼屋ジン/監修・虚淵玄)

あらすじは筆者著

 先述の通り、本作はこれまでの『鎧武』の全てを総括してやろうという、そんなコンセプトが書き手の中にあったような気がしてならない。TVシリーズや本著の前日譚となったVシネマはもちろん、『戦国MOVIE大合戦』や『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』、果てはファイナルステージに至るまで、鎧武がメインだろうが通りすがりだろうが関わった作品のあらゆる要素を内包して、それらを一斉供養と言わんばかりにアーマードライダーたちにぶつけてくる展開がまずもって凄まじい。それを「デウス・エクス・マキナ」と言い張る豪胆さ、地の文が第四の壁を通り抜けて読者の期待を煽るような口調にいきなり変わるといった、小説としての巧さや正しさを放り投げてエモに開き直った文体の濃い味わいも、在り方そのものが型破りであった『鎧武』を文章に表したらこうもなろう、といった感じで、不思議と馴染む。

 小説版の物語は、巻頭のキャラクター紹介の順番が物語るように呉島兄弟がメインとなって進行する。相も変わらず戦極ドライバーとロックシードに関する後始末に奮闘する貴虎と、そんな兄の右腕となるべく今は勉学に励む光実。兄は国外、弟は沢芽とそれぞれが離れた地で共通の敵の脅威に立ち向かい、やがてはかつてのアーマードライダーが集結して大合戦に発展する、という流れだ。TVシリーズではできなかったであろう国外での戦闘シーンや“傭兵”としての凰蓮の描写、あるいは自爆テロや人類の消失といったスケールの大きい表現を小説という媒体を活かして描き、併せてジンバーメロンやセイヴァーのロックシードの出自のようなやり残しを消化していく。

 呉島兄弟は、それぞれが沢芽市や人類そのものに対して負い目があり、生き延びてしまったからにはその罪を背負い、贖いながら生きていくことを自分に課している。貴虎は常に最前線で時には武力衝突も辞さない構えで世界を飛び回り、光実は今のビートライダーズの実質的なリーダーとして立ち回る。周りと少しずつ打ち解けてきたのか“ミッチ”としての彼が戻ってきたようで、時には仲間を頼りながら生きている描写に胸をなでおろすような想いがある。

 そんな彼らの前に立ちふさがるのが狗道供界なのだが、実のところ狗道は呉島兄弟とは因縁があるわけではなく、彼の中にも呉島と敵対する動機は薄い。狗道供界はリンゴロックシードを用いた最初の実験の影響で肉体を失っており、いわば「始まりの女」に近しい過去現在未来の時空を超越した存在となっていた。彼の目的は、この世全ての生命を自分と同じ精神体へと引き上げる“救済”であり、独りよがりな思想を振りかざし行動する、理念としてはメガヘクスが最も近い立ち位置となるだろう。

 その思想を、狗道供界にとっては最も見返したかったであろう戦極凌馬(生前に遺したビデオレター)にバッサリ切り捨てられる様が痛快であり、これが『鎧武』の要約として的を得ているので、以下引用。

『狗道供界はほんの少しだけ上からの視点を手に入れただけだ。そんなものは神ではない。ねえ、ここでいう神の定義は何だと思う?』
『それはね、新たな世界を創り出すものだ。狗道供界にはその思想がない。何の可能性もないんだ』
『狗道供界は神でも救世主でもない―意味のない、空っぽの幽霊なのさ』

『小説 仮面ライダー鎧武』より

 ヘルヘイムの浸食という抗いがたい運命に対し、それでも諦めずに人類を救うことを模索続けた紘汰と、自分の理念を曲げず理想のために力を振るい続けた戒斗。その激しい闘いはどちらが勝っても既存の世界の在り方を決定的に変えてしまうものでありながら、ゆえに両者は黄金の果実をその手にする権利を得て、片方の命尽きるまで刃を交えることになった。対する狗道供界には、その熱さはないのだ。世界を己の色に染め上げるための覚悟も、誰かの願いや救いの声を聴きそれを救い上げる正義の心もない、独りぼっちの空虚なカミサマごっこ。

 だからこそ、光実たちは負けられないのだ。たとえ自分の姿かたちが変わろうとも闘うことから逃げず、ヒーローとしての責任を引き受けてきた葛葉紘汰の背中を見てきた呉島兄弟は、今度は自分たちが世界を救うべく何度でも立ち上がる。あるいは、強く誇らしく生きることを誓った駆紋戒斗の意志をザックが受け継ぎ、凰蓮と城乃内も人々を守るために強大な敵に立ち向かう。

 TVシリーズ最終話、冬映画、Vシネマと多彩な媒体で描かれる『鎧武』の後日談とは、「継承」の物語なのだ。紘汰が鼓舞した希望を、戒斗が貫いた強さを、“生き残った人々”が受け継いでいく。この世を去ったヒーローの在り方を、生者たちが繋いでいく。ヘルヘイムが去ったとしても続いていく、この世を蝕んでいく悪意に対して、各々が自分にとっての英雄の姿を心に宿す。それが散っていった者への手向けであり、生きて闘う者の支えとなる。
(もう一人の戒斗の意志を継ぐ者、シャプールが故郷で生き延び、祖国を変えようとしている姿も泣ける!)

 そして本著は、さらにもう一段階ギアを上げていく。狗道供界が作り出した精神世界の中で、己の罪の幻影に苦しめられる光実。そんな彼に希望の火を再び灯したのは、明言はされずともライダーファンであれば姿と声が脳で再生されてしまう、あの門矢士であった。

 発売当時もこの章を読んで「やりやがった!」と変な冷や汗が出たことを覚えているが、発刊当時2016年、平成ライダーを総括するのなら彼以上の適任者はいないだろう。あらゆる世界を通りすがり、たくさんのライダーを視てきた存在。そんな士が語るヒーローの在り方とは、“力無き人々が理不尽な暴力を前に、ただ涙を流すしか術を持たない時―彼らは誰よりも早く『騎士ライダー』の如く駆け付ける”というもの。チーム鎧武にとっての用心棒であり、沢芽市の人々を何度もインベスから守り、そして何より呉島光実にとっての英雄ヒーローであった葛葉紘汰の姿が、士の言葉に重なる。

 そしてその姿は、数多の世界を救い闘った戦士たち仮面ライダーの歴史の一つに連なり、『仮面ライダー鎧武』として刻まれる。仮面ライダーもまた、継承されるものなのだ。ドライブ、ゴースト、エグゼイド、ビルド、ジオウ、そして令和ライダーへと、どこぞの誰かが芳醇だと語った歴史の中の一つに、『鎧武』が確かにある。『鎧武』の小説を読んでいたはずなのに、平成ライダー、あるいはヒーロー讃歌へと射程を広げる異例の展開は、外部から新しい血を招き平成1期の雰囲気を再演する試みの『鎧武』がついに辿り着いた、最大級の愛情表現と言って良いのかもしれない。

 平成2期の異色作にして平成ライダーのフォロワーたる『鎧武』のラストステージは、平成ライダーを背負って立つ士との邂逅に行き着く。その教えを受けるのが紘汰ではなく光実というのも、「継承」の物語として正しく、同時に美しい。彼がアーマードライダーから“仮面ライダー”龍玄に変身することをもって、全ての物語は結ばれるのだ。

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