規格外の映像と王道の物語。深夜特撮の金字塔『牙狼〈GARO〉』を振り返る。
現在、人生で何度目かの牙狼の黄金期が到来している。闇夜に輝く金色の狼、人間の邪心に住み着く魔獣を切り裂く。一度展開が終了したと思いきやパチンコ化によって人気が爆発、アニメや劇場版など媒体を変えながら、毎年何かしらの新作が観られるようになるなんて、当時中学生だった自分に言い聞かせても、おそらく信じないだろう。
牙狼との出会いは以前『月虹ノ旅人』の感想にて言及したため、そのまま引用するが、当時は深夜放送の本編をVHSに録画して翌朝観ていたことを思えば、VHSはハードディスクに代わり、私は社会人になった。光陰矢の如しである……。
シリーズ全ての始まり『牙狼〈GARO〉』は2005年放送。雨宮慶太監督による『鉄甲機ミカヅキ』以来となるオリジナル特撮として製作され、その特異さは一話からギンギンに輝いていた。確か当時は「ハイパーミッドナイトアクションホラードラマ」と銘打たれ、聞きなれない上に盛りすぎなジャンルにひるみはしたものの、今となってはこれ以上に本作を的確に表現する言葉は見つからない。
「ハイパーミッドナイトアクションホラードラマ」のハイパーミッドナイトとホラー、の部分を担うのが、本作がまとう「大人向け」の雰囲気だ。
ホラーは人の陰我に宿ると言うが、その対象はとても広い。猟奇的な連続殺人鬼はまだわかりやすい方だが、お金が欲しい、美しい女を抱きたい、誰もが羨む美貌を手に入れたいといった、人間が普遍的に持つ「欲望」にまで魔の手を伸ばし、ゲートを通じてこちらの世界に侵食していく。伝説の1話『絵本』では絵画から裸の美女が立体化し好色家の峰岸徹を喰らう、というショッキングな映像で、本作のカラーを視聴者に強く印象付けた。
その後も「その人の欲しいと思う時計に変貌する」「人々を争わせた後に大玉にして喰らう」等々、ホラーは好む陰我やその戦い方に個性があり、時に残酷に、時にポップで笑っちゃうような方法で人間に憑依していく。そんなホラーが醜悪な本性を現した時が、魔戒騎士の出番だ。
黄金騎士ガロ。金色に輝くニューヒーローは、一瞬にして私を虜にした。豪華絢爛、金碧輝煌を人の形にしたようなその姿は、仮面ライダーやスーパー戦隊しか等身大ヒーローに触れたことがなかった当時の私には、大いなるカルチャーショック。こんなゴージャスで眩しくて、雄々しく気高く美しい。そしてガロは重厚感たっぷりの金属がかち合う足音を響かせ、そして一気に飛び掛かり、ホラーを断ち切った。間違いなく、これは一目惚れだった。
とはいえ、それ自体が芸術品のような煌びやかさに満ちている黄金騎士ガロのスーツの運用は実に難儀したらしく、「素手では触れられないので着付けに時間がかかる」「重たくてアクションに向いていない」など、現場での試行錯誤が伺える証言がインタビュー等で飛び出している。
ところが、本作はその“扱いづらさ”を逆手に取って、民放の特撮ドラマとしては規格外の映像とアクションを打ち出すことに心血を注いでいる。スーツでのアクションに制限があるため、黄金騎士ガロの激しいアクションはCG/VFXによるものがほとんどだが、当時の地上波で観られる番組の中でも『牙狼』は突出してゴージャスで、素人目にも「お金がかかっている」とハッキリわかる仕上がりに。
CGをメインにすることでガロは重さから解き放たれ、空中戦をはじめとする縦横無尽な活躍と映像的アイデアで毎週必ず視聴者の度肝を抜く。とくに神回と名高い7話『銀牙』での高層ビルの表面を下りながらのガロとゼロの闘いの映像はもはや大作映画のそれであり、「TVでこれが観られるのか!!」という昂りは『牙狼』シリーズの醍醐味となっている。
また、ガロをはじめとする魔戒騎士には時間制限があり、変身そのものが「必殺技」の役目を果たしているため、特撮ヒーローとしてのアクション周りは特別なシチュエーションでない限りは実は短い。その代わり、演者による生身のハードなアクションをウリにしているのも『牙狼』の特徴である。極力スタントを使わず、演者本人が生傷を増やしながらワイヤーに釣られ、剣を交え殴る蹴るの激しい戦闘を繰り返す。これもまたスーツでの激しいアクションが出来ない制約をカバーするものでありながら、作品を紹介する際には必ず「本格アクション」の文言が使われるようになるほどに、『牙狼』シリーズには演者自身の身体を酷使した激しいアクションが不可欠なものになっていく。
CGと生身のアクションがTV特撮としては異例のクオリティと激しさをまとっていた、まさに規格外の映像体験を毎週届けてきた一方で、ドラマ要素は驚くほどに王道で奇をてらわず、それでいて真っ直ぐにアツい努力と友情と愛の物語が紡がれてゆく。
人知れずホラーから人々を守る魔戒騎士。その在り方は「守りし者」という言葉で作中何度も繰り返されるように、人々を守るために鎧を纏い闘う者の唯一にして絶対の使命である。鋼牙もまた、師でもあり父親でもあった大河の教えに順ずる、いわば「公」の守りし者として日夜ホラーと闘っていた。ところが、ホラーの返り血を浴びてしまったカオルを殺すことができず、ホラー狩りの餌という名目で生かし、時に距離を縮めていくことで、自身の中で守りたい者の存在を自覚していく。
守るべき対象でしかなかった「人」を愛し慈しむ心を持ったその時、「私」情の使命に目覚めた鋼牙は幾度となく迫ってくる強敵や試練を乗り越え、より強くなっていく。やがてそれは、両親が愛を育み、そして自分に注がれた愛を継承するかのように、誰もが成しえなかった奇跡を産む。纏う者の意思や信念を読み取るソウルメタルの鎧が鋼牙の強い愛に応えた時、黄金の煌めきはどんな闇をも切り裂く力に変わる。
一方、もう一人の魔戒騎士、銀牙騎士ゼロ=涼邑零は鋼牙の命を狙う形で物語に介入し、いがみ合いながらも共闘を重ねることで和解。二人はやがて友(ザルバ)となり、互いの背中を預けながら最終決戦に向かっていく。ここまでの綺麗な2号ライダームーブを見せつけてくれた零はその後単独のスピンオフが製作されるほどの人気キャラクターとなり、演じたのがあの『仮面ライダー555』の北崎でおなじみ藤田玲氏なのも、ニヤリとしてしまう。
物語は1話完結によるホラー討伐を主としたものでありながら、全体を貫く縦軸として「死にゆくカオルを救えるのか」というタイムリミットが存在している。守りし者としての使命を果たしながら、大切な個人のために傷だらけになりながらも闘う騎士たち。ついに果たされた呪いの解除と自由。だが、運命はまたしてもカオルに魔の手を伸ばす。登場するだけで何者でもないはずがなさすぎるオーラを放ち続けていた京本政樹が、その“キバ”をむき出しにする。
闇に呑まれ、闇に堕ちた最強の騎士、暗黒騎士キバ。彼はホラーの始祖たる存在メシアを顕現させるゲートとして幼少期のカオルを選んでおり、ついにその時は訪れる。最強の存在を喰らい唯一無二の騎士になろうとするキバは、鋼牙にとっては父の仇であり、そして今愛する者を奪わんとしている。怒りと激情を露わにする鋼牙は一度は闇に呑まれそうになるが、友によって救われ、愛によって得た翼で羽ばたき、メシアを下す。それでもなお怨念のように食らいついてくるキバ。全てを黒に染めんとする暗黒と、人々の希望を背負った黄金の闘いは、ちょっとどうかと思うスケールの最終決戦にもつれ込む。
最後の最後まで、民放地上波の限界に挑戦するかのようなアイデアと予算をつぎ込んだ圧巻のラストバトル。そして感動のクライマックスを持って、黄金騎士ガロの長い闘いは終わり、そしてまた始まる。人間がこの世にいる限り陰我は存在し、それを喰らうホラーもまた滅びることはない。魔戒騎士の闘いには、終わりがないのだ。けれども、帰りを待つ人が、友が、愛おしい者がいるこの世界を守りたいと思う信念を刃に込めて、魔戒騎士は闘い続ける。その決意と共に、『暗黒魔界騎士編』は幕を閉じるのだった。
その後シリーズは一時沈黙するもパチンコ化によってまさかの復活を遂げ、以降は鋼牙シリーズの続編や息子の世代へ、あるいは世界観を一新した道外流牙のシリーズやアニメ版などが次々と制作。魔戒騎士の系譜は今なおその輝きを放ち、15周年を迎えることができた。
さすがに今の目の肥えた視聴者にとって、2005年の特撮番組に新鮮な驚きを与えることは難しいかもしれない。が、やはり『牙狼〈GARO〉』はどれだけ時を経ても色あせない、金字塔なのだ。その眩しい鎧に心を奪われる新規のファンが増えることを、ずっと望み続けている。