10年ぶりの『仮面ライダー鎧武』Reステージ(4):キミはこの力、どう使う?
とあるきっかけから10年ぶりに追いかけることになった『仮面ライダー鎧武』、その1話を再生したのが一週間前の金曜日ということは、この短い期間でTVシリーズ全50話を走破したことになる。その他のコンテンツを差し置いて優先順位トップに躍り出たフルーツ鎧武者の物語は、それほどまでの求心力を持っていた、ということなのだろう。今回は、37話から最終回まで。
本題に入る前に、全部やる、といった以上外せない夏の劇場版『劇場版 仮面ライダー鎧武 サッカー大決戦!黄金の果実争奪杯!』について。2014年はブラジルでのFIFAワールドカップが開催され、盛り上がりは最高潮……と思いきや、映画公開時にはすでに日本は予選敗退していて、報道も下火になりつつあるタイミングでの公開だったことを、なんとなく覚えている。
サッカー要素ばかり取り沙汰され、劇場で観た際もハテナマークが脳内を飛び交ったけれど、TVシリーズとの連続性を強く意識して観ると、中々これが面白い。サッカーで勝敗を競う世界は復活したオーバーロードのラピスが望んだ世界なのだが、オーバーロード=フェムシンムは弱者の淘汰と強さを競っての同士討ちで滅んだという歴史があり、死者を出さずして勝敗を決める手段としてスポーツを取り入れる発想は面白く、何より人もフェムシンムも常に闘い頂点に登り詰めるという欲望からは逃げられない、という諦観が薄っすら流れている。
サッカー要素は実は序盤とクライマックスバトルだけで、おおよその中身は「突如凶暴になったアーマードライダーたちによるバトル」というのも、サッカーがそもそもの隠れ蓑だった、というところ。コウガネの手によって闘争心を増強させられたライダーたちが急に怒りだして、戦闘に入る様は幼子にはやや怖すぎるかもしれない。中盤のバトルも戦争めいた大掛かりなものとなり、フェムシンムの歴史の踏襲のみならずTVシリーズで繰り返し描かれてきた「共通の敵を前にしても人類は手を取り合えない」を最短距離で見せてくれる。
その上で、ラピスの心に希望を植え付けたのが、我らが葛葉紘汰なのだ。闇に染まっても、誰かのために力を振るうこと、それに見返りもなく、差別されるとしても、それでも諦めない。映画公開後のTVシリーズでも描かれる、葛葉紘汰という人の在り方を、今作で先行して描き、強調する。舞が想うように、紘汰はいつだって「駆けつける」人だった。その後姿が、ラピスを絶望からすくい上げ、邪悪なコウガネを再び封印する。
TVシリーズの怒涛の展開に挟むのが難しく、紘汰が別世界に行って帰ってくる話しか出来なかったもどかしさもあるが、夏の劇場版らしい「作品テーマやコンセプトの集大成」としての見ごたえと、実はよく観ると怖くて悲惨な話、という意味でまさしく『鎧武』だな、という一本。
さて本題。兄・貴虎を討ち取った光実は、ついに戻れない領域まで堕ちてしまった。光実はレデュエと結託し人類の管理を目論みつつ、舞を誘拐。光実の目的はあくまで自分のための居場所づくりであるため、人類の存続など眼中にない。従来の世界が一度滅びたら、自分の居心地のいい世界を造ればいい。そしてそこには、舞の存在が不可欠である。
光実はこれまで「卑怯な子ども」としての印象が強かったが、貴虎を倒したことでもう後戻りできないと感じ、「覚悟」を決める。それは、自分の理想を叶えるために邪魔なものを全て排除し、そのために力を振るうこと。駆紋戒斗の倫理に最も近く、そのため戒斗も今の光実を強者として評価する。恐れるものもなく、迷いもない。そしてそれは、光実に対して非情になれない紘汰に欠けているものでもあった。
運命は、残酷にも決断を迫ってくる。極ロックシード=黄金の果実の力を使ううちに、紘汰は人間からオーバーロードへと変化していった。レデュエによって見せられた幻覚の中で、人々から怪物と恐れられ、裕也が変身する鎧武に襲われる紘汰。これまで紘汰が鎧武として行ってきた所業を反転させ、インベスの視点を体感することによってこの世界に居場所がないという事実を痛感させ、初瀬の死が自分に降り掛かってきていたかもしれない可能性を幻視する。常に誰かのために闘い続けてきた紘汰に対して、「お前を迫害する奴らを守る価値などあるのか?」と問いかける、実に意地悪な再演。
ここで心が折れていたら、人類は救われなかっただろう。紘汰はインベスになった身体のままレデュエたちと闘い、裕也を驚かせる。いつだって誰かを守るために闘ってきた紘汰は、たとえ自分の姿や本質が変わろうと、そこだけは唯一の不変であると宣言する。これまで迷いと決断を繰り返して闘ってきた紘汰の、最後の決断。人間を辞めてでも、誰かのために闘う。その覚悟を、裕也が優しく見守る。
誰よりも黄金の果実に近く、世界を思いのままに出来る人智を超えた力を手にしかけている紘汰は、自分のための世界の創造を否定した。今いるこの世界を、姉ちゃんや仲間がいる世界を守るために、闘い続ける。第4クールとは、「覚悟」の物語なのだ。大人に、そしてヘルヘイムという強大な存在によって翻弄されてきた子どもたちが、自分で自分の運命を選択する。自分の理想を成就させるために最後まで闘い続ける、その覚悟を問う物語。
しかし、呉島光実の方舟は崩壊してしまう。最後のオーバーロードであるロシュオによって黄金の果実を託され「始まりの女」となった舞。心臓と結びついた黄金の果実を摘出しなければ、彼女の“人間としての“命はない。摘出に際し紘汰の妨害を食い止めるため(そして光実を自滅させ果実を独り占めするため)にヨモツヘグリロックシードを手渡す戦極凌馬。使用者の生命力を代償とするその力で鎧武・極アームズを下し、紘汰までをも手にかけた(と思い込んでいる)光実が戻って目にしたのは、舞の亡骸だった。
他人を蹴落とし、見下し、邪魔なものは全て排除してきた。誰かの善意を利用し、思い通りの状況を作り出そうとした。頭が回り知恵もある、大人を出し抜く才覚もあった。その末路が「より悪い奴に利用される」とは、まさに寓話的であり、この世界の残酷なルールそのものだ。
自分の居場所、そして舞を守るという一途な思いが屈折して、作中もっとも深い闇に取り込まれた呉島光実。彼は深い後悔と絶望を抱えながら、黄金の果実を巡るレースから降りることとなった。自分を縛り付ける影と思い込んでいた兄・貴虎の幻影による自責を続け、みんなの弟的存在だったミッチの面影が遠い過去のように思える最高の闇堕ちキャラ。彼の救済は、もう少し時間を置かねばならない。
ここで少し裏話。ここまで挙げてきた3本のnoteにおいて、実はあまり駆紋戒斗について文量を割いたことがなかった。実は、迷っていたからだ。彼の活躍をどう表現するべきなのかを。
駆紋戒斗。誰よりも強さに拘泥し、しかし作品全体を見渡せば白星の少ない彼は、序盤から最終決戦に至るまでかなりの苦労人である。戦極ドライバー世代の中でも強者ではあったとしても大人には敵わないし、ライバルの鎧武には「主人公補正」なる作品外からの圧力もある。その割を食らってか中々パワーアップの機会に恵まれず、ゲネシスドライバーを手にしようやく追いついたと思えば今度はオーバーロードが立ちふさがる。バロンが変身解除され、戒斗が床を転がるシーンを、何度観てきただろうか。
だが、この男の強さとは決して闘いにおける力のそれだけではない、というのがクライマックスに効いてくる。駆紋戒斗の強さとは、ブレないことなのだ。紘汰が迷いながらも闘い、光実が誇りを投げ捨て落ちぶれたのに対して、駆紋戒斗の思想は1話から最終話まで全くと言っていいほどブレていない。強さを貪欲に求め、たとえそれが危険なものでも臆せず取り込んでいく。黄金の果実は従来の世界を破壊する強大な力を秘めているが、それをも厭わず彼は果実を口にするだろう。駆紋戒斗は、そういう男なのだ。
戒斗は、ユグドラシルによって実家の工業所を奪われ、そのため大人や弱肉強食の社会に強い反骨心を抱いていた。戒斗の理想とは、弱者が一方的に虐げられない世界の創造。その想いを一瞬たりとも揺らがせなかった戒斗は、黄金の果実を手にするにふさわしいもう一人の人物と言える。全編を見渡すと実は紘汰との一騎打ちの回数は少ないのだが、45話までを見届ければ紘汰と戒斗が永遠のライバルであることは異論ないだろう。
黄金の果実を独占するために光実を利用し、自分以外のゲネシスドライバーを無効化する戦極凌馬。闘う力を失い、レデュエの攻撃を受け身体をヘルヘイムに侵食されていた戒斗は、自分の命を賭けてヘルヘイムの果実を口にする。ヘルヘイムの侵食にも耐えきった強靭な身体と精神は、彼をロード・バロンへと変身させた。魔王と自称する圧倒的な力によって戦極凌馬も命を落とし、戒斗は黄金の果実を求め歩みだす。
実は、駆紋戒斗が強さを認めたのは葛葉紘汰と終盤の呉島光実、そして高司舞だけ。自分と同じくユグドラシルによって住処を奪われ、それでもダンスに対する情熱をもってビートライダーズに対する迫害にも負けずチームを守り続けた舞に対し、戒斗はシンパシーを抱いていたのだろう。周囲の圧に屈せず、自己を貫き通す意思の強さ。それを見出していたからこそ、始まりの女であり黄金の果実となった舞を欲する戒斗。自分の隣にいるべき相手を見据え、迷いのない想いをぶつける戒斗の強者としての意思が表れたこの台詞は、45話でもお気に入りのシーン。
そして、ついに相対する紘汰と戒斗。紘汰もヘルヘイムの実を喰らい、インベスを従える能力を引っ提げ、最終決戦に挑む。第1話冒頭の別世界の光景が暗示していた通り、黄金の果実を掴む権利が与えられたのは、この両者だった。今の世界を守るために果実を欲する紘汰と、今の世界を壊し新しくするために果実を欲する戒斗。人間を超え、怪物となりて争う二人。
決着は、鎧武の勝利で幕を下ろす。紘汰にとっては、無数のインベス=フェムシンムや裕也に加えて、真の友である戒斗をも手にかけたことになる。が、そこには悲劇性などなかった。己が理想のために全力を尽くして、悔いのないほどに刃を交えあった、その結果としての勝敗。戒斗にとっては、自分が認める真の強さを持つ紘汰との闘いは、きっと胸躍る時間だったのだろう。戦場に咲く、男二人の友情。こうして、禁断の果実を求め争う戦国時代は、終わりを告げた。
始まりの男となった葛葉紘汰と、始まりの女となった高司舞。紘汰は、その力をつかって地球を侵食していたヘルヘイムとインベスを引き連れて、まったく未知の惑星へと向かった。人智を超えた力を得た紘汰が、その責任を引き受けた、という形で、平和が訪れる。
最初のnoteにも引用した通り、紘汰はピンチの時に駆けつけて、周りの問題や悩み事を引き受ける人だった。だからこれも、スケールは大きくとも初志貫徹、彼の中でブレなかった正義感と責任感ゆえの決断なのだ。愛する人たちのいる地球のため、この星を去っていく紘汰。淋しくはあれど、どこか晴れやかなお別れと共に、一旦は『鎧武』の物語は締めくくられる。
エピローグとなる最終話、焦点が当たるのは、呉島光実の贖罪について。生還した兄・貴虎を看病しながら、元いた居場所に戻れず彷徨う光実だったが、突如コウガネが新たな肉体を得て復活。貴虎が予備として残していた戦極ドライバーも破壊され、ヘルヘイムの植物がないためロックシードは生成不可能。唯一残されたのは、光実のドライバーと、ブドウロックシードのみ。
紘汰がいない今だからこそ、自分がヒーローにならなければならない。半ば自分に言い聞かせるように変身する光実だが、コウガネの卑怯な人質工作の前に、変身を解いてしまう。絶体絶命の中、聞こえてきたのは紘汰の声―。そう、いつだって紘汰は“駆けつけてくれる”人だった。
かつて街の平和のためにインベスと闘っていた頃のように、チームワークで邪武を追い詰める鎧武と龍玄。紘汰は、光実が自分の犯した罪を乗り越えて、今の自分を許せなくても新しい自分になればいいと説き、それを支えてくれと貴虎に頼んでいた。人は変わることが出来るし、何度だってやり直せる。ただのフリーターが神様になったように。
光実の罪は、簡単に許されるべきものではないだろう。直接の加害者はオーバーロードやユグドラシルであるにせよ、それと無関係ではいられないし、光実自身がそれを一番自覚しているはずだ。それでも、紘汰や舞がいない世界で生きていけるように、変わっていかなければならない。
目を離せば自分の命を絶っていたかもしれないほどに壊れてしまった光実が、紘汰が繋いでくれた命を必死に生きようとしている。そんな彼を、ヒーローは決して見捨てない。そして、今の光実を受け入れ、支えてくれる仲間がいる。紘汰が序盤に繰り返してきた「変身」という言葉の意味が、ズシンと心に残る幕引き。一度は病原菌とまで激しく罵った葛葉紘汰の「希望」によって光実が救われる。こうして、『鎧武』の物語は終わるのだ。
『仮面ライダー鎧武』、これにてまずは一区切り。運命に翻弄され、他者に嗤われ見下され排斥されてきた子どもたちが、本当の強さをもって自分だけの運命を切り開き、そこにヒーローの後ろ姿を見出す、胸のすくような英雄譚であった。
と同時に、平成2期ライダーが作品構成、商業的にも安定に乗った中でその定石を一旦崩し、チャレンジングなスタッフ構成と物語で視聴者の心を揺さぶり続けた意味でも、今振り返れば稀有な作品であった。虚淵氏をはじめとするニトロプラスの作家陣を取り込み、その深い熱量を何とか映像に落とし込もうと苦心したスタッフ・キャストの皆々様の努力に、10年経った今改めて感謝したい。『鎧武』の面白さは色褪せること無く、むしろ今なお楽しめる不朽さを持つ作品であることを、10周年を機に再確認できたことが、このマラソンのなによりの収穫であった。
……というタイムリーなタイミングでCSMゲネシスドライバーが予約受付中(2023年12月現在)ということで、値段とお財布をにらめっこしながら、もう少し『鎧武』行脚を続けていこうと思う。鑑賞予定は、以下の通り。ここまでお付き合いいただいた方も、どうか次のステージもお立ち寄りいただければ幸いです。
ファイナルステージ
MOVIE大戦フルスロットル
Vシネマ『鎧武外伝』2作
小説 仮面ライダー鎧武
舞台 仮面ライダー斬月(ノベライズ含む)
仮面ライダーグリドンVS仮面ライダーブラーボ
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