滅びるのは恐竜か、人間か。『ジュラシック・ワールド/炎の王国』
作中では、恐竜の血を吸った蚊から恐竜の血液を取りだし、DNAを復元して恐竜のテーマパークを作り出す。現実では、CGやアニマトロニクスを用いて恐竜をスクリーンに蘇らせる。『ジュラシック・パーク』は、誰もが夢見るロマンを現実にさせてしまうからこそ、長きに渡り愛されるシリーズなのだろう。タイトルが変われど、『~ワールド』もシリーズの連作であり、恐竜へのロマンを捨てられない人類がまたしても痛いしっぺ返しを食らう作品だった。生態系を操ることは、やはり人間には過ぎた行いであることも、このシリーズは繰り返し訴え続けた。
そんなシリーズ待望の最新作は、歴史は繰り返すかのように「恐竜の絶滅」が現実のものとなり、その命を救うか否かで人々は議論する。自らが創り出した命の責任は誰が負うのか。神に委ねるのが正しい選択か。この問いに対し、主人公となるクレアは支援を受け、恐竜保護のため島に向かう。今作のクレアは、感情と倫理を秤にかけて動くキャラクターであり、終盤にてその決断の是非がリフレインされるのも見逃せない。
かくして、島でのサバイバルが幕を開ける。噴火の時が迫る中、オーウェンは自らが育てたラプトルのブルーを探す。自然に戻ったブルーとの意思疎通は成るか。観客にも緊張が走る中、邪まな企みが二人の仲を裂く。恐竜の兵器化に目を付けた者が、コミュニケーション可能な恐竜としてブルーの捕獲を命じたのだ。
ついに噴火が始まると、恐竜たちの生存本能は激化し、『炎の王国』の邦題に相応しい大スペクタクルが展開される。迫る溶岩から逃げるように恐竜たちが一斉に駆け抜けるシーンは、大スクリーン映えする前半の白眉である。創られた命とて、死を恐れ生き延びようとするのは自然の理であることを意識させ、大作映画らしいVFXてんこ盛りの映像は迫力満点。満を持してT-REXが登場するシーンでは、「恐竜」代表としての堂々とした振る舞いに拍手を送りたくなる。
何度も予告編で観たはずの、噴火から逃げるサバイバルは、本編における前半戦でしかなかった。後半では、人間が遺伝子を弄ぶことの愚かさを問いつつ、洋館を舞台にしたホラーが始まるのだ。
思い返せば、栄えある一作目『ジュラシック・パーク』でも、人間にとって最も脅威なのはラプトルだった。恐竜といえばT-LEXのような大型の肉食恐竜を連想するも、『ジュラシック~』と聞けば思い出すのはラプトルたちの狡猾さだ。頭が良く俊敏で、獰猛な小型の肉食恐竜。夜のキッチンで彼らに追い立てられることの恐怖が、恐竜の「恐」を決定づけた。
そして本作では、遺伝子を組み替えられて創られた「インドラプトル」が、恐怖を演出する。檻に閉じ込められた獰猛な獣から始まり、短い時間で学習し、獲物を追い詰める。音を立てず屋敷に忍び込み、鋭い爪でゆっくりとベッドをめくる様は、ジェイソンやフレディらと肩を並べられるほどのホラー仕草だった。
創られた命という悲哀感たっぷりの設定を引っ提げ登場し、映画後半の主役恐竜としてサスペンスを盛り上げ、遺伝子組み換えという行為の是非を問いつつ、オーウェンとブルーの種族を超えた友情の前に散る。こんなに美味しい役どころの恐竜が過去いただろうか!と膝を打ってしまった。
そしてクライマックス。人間の生息地に集められた恐竜たちの命を預かる決断を迫られるオーウェンとクレア。オーウェンは人間社会の倫理を尊重し、恐竜たちを解き放つことに反対する。クレアも一時は迷いを見せつつも、スイッチを押すことはなかった。しかし、クレアを支援したベンジャミン・ロックウッドの孫娘、メイジーがスイッチを押し、恐竜たちを解放してしまう。自らもクローンとして創られた命であり、同じ境遇の恐竜たちの命を尊重する。それは自分に言い聞かせるような、切ない抵抗の意思にも見える。
かくして、恐竜たちが人間界に再び放たれた。シリーズが同じ世界観である以上、第2作『ロストワールド』事件再来である。この行為ついては、もちろん許されるべきことではない。ただし、それは人間社会の倫理においては、という前口上が付く。自らが創り出した命の落とし前をどのようにつけるのか、人間たちは試されている。この決断に対し拒否感を覚えるのも当然で、恐竜たちに奪われた命は、取り返しがつかないのだ。かつて地球生命の頂点に君臨していた恐竜たちは絶滅し、やがて人間の時代が到来した。そして今、その序列は大きく転換しようとしている。人間社会がどのように変化するのか、その全貌は、続くシリーズ第3作を待つしかない。
原題『Fallen Kingdom』とは何を意味するのか。鑑賞前と後では、その受け取り方は大きく変わってくるだろう。娯楽映画シリーズとして大胆な挑戦に舵を切った本作は、シリーズの要素を継承・進化させつつ、観る者の倫理観を問う強烈なエンディングで幕を閉じる。次回作へのプレッシャーが巨大すぎて制作陣の胃腸が心配になるほどだが、この挑戦の終着駅は必ず見届けたい。ブラキオサウルスのように首を長くして待っていよう。