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アニメ『約束のネバーランド』を観て残酷な世界と向き合うことを学んでくれ

 視野を広げるために募集したオススメを観る案件ですが、GWの18時から観始めてそこからノンストップ、日付が変わる頃に全12話を完走してしまった。目が離せないサスペンスと運命に抗う少年少女の熱い命の鼓動。それらがギュッと濃縮された少年ジャンプの人気コミック『約束のネバーランド』のアニメ版。2期が2021年1月から放送が予定されているというが、コロナの影響がなければもっと早く観られたはずだと思うと、目に見えぬ疫病に殺意すら覚える。それくらい、どっぷりハマってしまった。

 そんな『約束のネバーランド』という作品だが、あらすじを未見者に話すのも少し躊躇われてしまう。例えば本誌連載で何も知らずあの1話を読んだとしたら、衝撃のあまり言葉を失い、次週が待ちきれなくなったに違いない。その驚きを目減りさせてしまうのは、とても心苦しいものがある。そのため、『約束のネバーランド』のことをまったく知らない方は、どうか原作・アニメの1話だけでもチェックしてみてほしい。あなたの24分間を約ネバに捧げてほしい。キーワードは「箱庭」「12歳」「楽園」「農場」である。

原作コミックの1話が読める

無題

配信サイトが豊富でアクセスしやすいのも嬉しい

なんのための命

 ここからは最低でも『約束のネバーランド』の1話を鑑賞(読了)済み、冒頭の展開を把握いただいている前提で進めていきます。

 舞台は、美しい草原が広がり、高い塀に囲まれた孤児院「グレイス=フィールドハウス」。ここでは身寄りのない子どもたちが集団生活を行い、院のシスターである「ママ」=イザベラの庇護の下、誰もが穏やかで幸せな生活を送っている。子どもたちは6歳から12歳の間に里親の元に送り出され、外の世界に旅立っていく。そんな日々が続くはずだった。

 その孤児院の中でも、毎日の学力テストで満点(フルスコア)を叩きだす優等生の3人、12歳のエマ、ノーマン、レイは大の仲良し。だが、エマとノーマンは里親の元に旅立つ少女の忘れ物を届けようと近づいてはならぬ門を訪れた時、残酷な真実を知ってしまう。

 このハウスの正体は、「人間飼育場」であった。人肉を喰らう「鬼」に奉仕するため、育てられた子どもたちはやがて「出荷」され、彼らの胃袋を満たすためのご馳走と化す。優しきママのイザベラは、子どもたち「家畜」を育てるための役割を負っていたのだ。

 真実を知ったエマとノーマンはレイを仲間に引き入れ、孤児院からの脱出を企てる。だが、イザベラは脱出を計画する子どもの存在に気づき、補佐役としてシスター・クローネを派遣。さらに子どもたちの中に内通者がいると発覚する。見つかれば即「出荷」、命がけのサバイバルは果たして成功するのか。

 『進撃の巨人』『仮面ライダーアマゾンズ』のように、食物連鎖の頂点にいるはずの人類が「食べられる側になる」話は、それだけで末恐ろしい。従来の価値観の転覆、それまでの安寧が脅かされる恐怖は、ジワジワと読み手の心を侵食していく。『約束のネバーランド』では自分たちが「家畜」であること、異形の存在「鬼」がいることが冒頭明らかになり、その絶望たるや計り知れないものがある。やがて外の世界で里親と暮らすことを夢見る少年少女は、その実ただの食料でしかなかった。なんのためこの世に生を受け、歳を重ねてきたのか。普段我々が他の生物を喰らって生きる"当たり前"の(そして見て見ぬふりしている)残酷さを、人間に置き換えて突き付けてくる。1話を観ての感想は「やられた!」だった。

 「鬼」の存在からギレルモ・デル・トロの名前を出したのは早計だったけれど、やはり強く影響を感じたのはカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』より。とある目的のために施設で育てられている子どもたち、とある子どもがそれに気づき生きようと模索する物語。そこに胃が千切れるようなサスペンスと痛みの表現をスパイスしたのが『約束のネバーランド』という作品で、不謹慎ながら作中の子どもたちが追い詰められるほどに面白さが増していくちょっぴりインモラルな一作だ。これが少年ジャンプ連載というのも驚きである。

脱出ゲーム的面白さ

 孤児院の真実を最初にしったエマとノーマンは、親友であるレイを引き入れ、脱出のための情報集めを秘密裏に行うのだが、この工程が面白い。三人は毎朝の学力テストで毎回満点の優等生なのだが、エマは身体能力に長け、ノーマンは戦略家、レイは博識で知識量については右に立つ者はいない。そんな彼らがそれぞれの得意分野を活かして各々の役割を果たす、大人にバレないよう水面下で動くチームワークがとてもスリリングだ。

 三人の(とくにエマの)目標は「子どもたち全員で逃げること」であり、そのためには目的の共有と身体づくりが必要不可欠である。だが、子どもたちは学力も体力もバラバラで、このままでは統率など取れようがない。その対策として編み出されたのが、「考える鬼ごっこ」という遊びを通じた教育メソッド。普段何気なく行っている鬼ごっこに「どうやったら逃げ切れるか」「どうしたら鬼を欺けるか」考える機会を与え、時にはチーム分けをすることで子どもたちの間で連携を培わせる。ママの目を欺きながら、無意識的にチームワークと思考能力を定着させる手法が鬼ごっことは!

 そして夜は屋敷の探索と、協力者を探すこと。脱出に役立ちそうなアイテムを見つけたり、趣旨に協力してくれそうな歳の近い子どもを選出すること。回を追うごとに一つ、また一つと有益なアイテムや情報を手に入れ、少しずつ脱出への糸口を掴んでいく、探求の妙。

 しかし、そこに大人たちの目が介入する。どうやら子どもたちにはそれぞれ発信機が埋め込まれており、逃げようとすれば必ずママに知られてしまう。さらにママ=イザベラは、孤児院の真実を知り脱出を企てる2名がエマとノーマンであることをおそらく感づいている。その状況下で平静を保ちながら、自分たちが「特上」である価値のみで生き永らえているエマとノーマンの、首の皮一枚繋がった状態での綱渡り。そして真の意味で「子どもたちを愛している」と語るイザベラは、徐々にホラーの側面をこの作品に付加していく。この異様な状況下でも、彼女は子どもたちに幸せな人生を与えるママとして、その役割を全うしている。そんな彼女のエピソードも大変エモーショナルなのだが、まずはイザベラの恐るべき追跡能力に震えながら鑑賞するのが正しい作法だ。

 それだけでなく、シスター・クローネにも彼女なりの行動規範があり、子どもたちに接触してきたり、子どもの中にママ側のスパイがいたりと、堅牢に守られたこの箱庭を抜け出すのは容易なことではない。アニメでいうと毎回次週へのフックが強烈で、観ながら何度も欺かれ、一日で全話堪能してしまうほどに止め時を見失ってしまった。

諦めない強さ

 『約束のネバーランド』という作品は、トライ&エラーの連続である。綿密に練られた計画が頓挫したり、世界のさらなる真実や残酷な出来事によって登場人物が心折られる展開が何度も用意されている。ただしエマたちはどんな状況でも諦めない。ただの純朴な少年少女に思えた彼らは、時にその可愛らしい顔を歪ませながら、叛逆の爪をしたたかに研いでいる。

 とても精密に組まれたシナリオである。例えば、背景で子どもたちが興じている遊びであったり、何気ない台詞に至るまでが最後の作戦に活かされる圧巻のクライマックス。ラストの2話、最後の脱出作戦はこれまで10話かけて積み上げてきた全てが一気に爆発する、とてつもないエモーショナルな展開が足し算的に度重なっていく。「それが伏線だと気づかせないものこそが伏線たりうる」のだとすれば、『約束のネバーランド』はそれに成功している良質な作品ではないだろうか。何よりそこには綿密な下準備によるロジックもさることながら、キャラクターの感情がきめ細やかに織り込まれ、常に涙腺に刺さるようになっている。これまでの挫折、犠牲、苦渋を飲んだ過去を踏み台にに、行く先不確定な未来へ跳躍する鮮やかさ。どんなに絶望的な状況に追い込まれても諦めなかったその集大成が、畳みかけるように視聴者に襲い掛かってくる。その熱さに、涙なしには観られなかった。

 号泣必死のクライマックスはご自身でお確かめいただくとして、すでに2期の放送が決定しているのが何よりの喜びである。この世に「鬼」なる存在がいる以上、塀の外が安全である保障はどこにもない。きっとまた、残酷な世界は12歳の子どもたちから容赦なく色んなものを奪っていくだろう。それでも、彼ら彼女らに生きようとする気持ちが心に灯り続ける限り、それを応援せずにはいられないのだ。月並みな言葉だが、「諦めないこと」が活路を見出すのだと、この作品から教わったばかりなのだから。


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