詰め込みすぎないスケール感『アントマン&ワスプ』
2015年に公開された『アントマン』は、当初はエドガー・ライトが監督・脚本を務めるはずが後に降板。そのバトンを託されたのは同じくコメディ畑出身のペイトン・リードで、自身が小さくなることで身の周りの何もかもが大きく見えるユニークなアクションシーンの楽しさはもちろん、ポール・ラッド&マイケル・ペーニャによる笑いの畳み掛けがとにかく素晴らしい。『エイジ・オブ・ウルトロン』の後の公開ということもあって、肥大化しすぎたMCUにおける清涼剤のような、良い意味でスケールの小さい作品であった。
MCUや『スター・ウォーズ』界隈でもクリエイターの降板が相次ぐ中、3年の時を経てほとんどのスタッフ・キャストが続投しての続編が観られるのは、ファンにとって幸運なことだ。『インフィニティ・ウォー』の後の作品ということもおそらく意図的で、シリアスに傾いたMCUのバランスを整えるためであろう。何はともあれ、アントマンと愉快な仲間たちが帰ってきた。
アントマン=スコット・ラングの魅力といえば、「親しみやすさ」のようなものだと考えている。元泥棒というヒーローらしからぬ経歴ではあるものの、ある企業が不正で得た金を被害者に返金するといった義賊的な行為がその発端であるなど、正義感を持ち合わせた人物である。地球や宇宙の存亡を賭けて闘うアベンジャーズとは比べものにならないほどに小さな、愛する娘や元妻、仲間たちがいる世界を守るために闘う姿は共感を呼ぶし、元妻の再婚相手とも良好な関係を築くほどのコミュニケーション能力は、他のヒーローには真似できないスーパーパワーだ。
本作は、スコットの2年に及ぶ軟禁生活の、最後の三日間が描かれる。幽霊のように現れては消える宿敵ゴーストや量子世界に消えたジャネットの救出が物語のメインだが、スコットは自身の外出がFBIに知られないように気を配りながら、解決させなければならない。スコットにとっては愛する娘と会えなくなることが、サノスの存在よりもはるかに恐ろしい。どんなに緊急事態に陥ってもFBIが来るとなれば、何もかもを中断して家に戻ろうとする必死さが、笑いを誘う。
思えば、本作のヴィランであるゴーストも、世界の征服だとか全宇宙の生命を半分に、といった大それたことを企てる悪役ではない。それどころか、本作においては「世界の危機」に発展するような事態はほぼ発生しないと言っていい。ヒーローもヴィランも個人的な目的に精一杯で、(本人にとっては切実だが)俯瞰して観れば誰もが小さな目的のために争っている。
究極的にスリムで小さなスケールの物語。MCU10年の集大成たる『インフィニティ・ウォー』の後に控えた、箸休めとしての本作『アントマン&ワスプ』。数十人のヒーローが集結するお祭りだって楽しいが、それだけだと観客も息切れしてしまう。そうならないよう気楽に楽しめるエンタメ活劇を、マーベルは用意してくれた。
モノを大きくしたり小さくしたりと愉快なアクションてんこ盛りの『アントマン』。ビルや車を小さくして持ち運ぶなど、ドラえもんの秘密道具にも近いワクワク感は本作でも健在だ。さらに、『シビル・ウォー』で披露したジャイアントマンが怪獣映画を思わせる演出で登場するなどサービス満点で、後半のアクションシーンは笑みが止まらない。
コメディも抜かりなく、常に間の抜けた表情のポール・ラッドは、そこにいるだけでシリアスな空気を破壊する、最高のコメディアンだ。それに負けず劣らず劇場の笑いを掻っ攫っていくのは、マイケル・ペーニャ演じるルイスのお約束の「アフレコ芸」で、ずっと観ていても飽きないだろう。この二人が揃った時点で、コメディとしての品質保証は充分だ。
物語のスケールもヴィランも企みも何もかもが小さいが、だからこそ良い、ということもあり得るのだと、今や全世界で最も大きなコンテンツであるMCU自身が証明してくれた。肩に力を入れないで観ることができるヒーロー映画も、今となっては貴重である。本作のユーモアとジョークに身を委ね大いに笑い、エンドロール後までしっかり見届けることを心掛ければ、必ずや満足して劇場を出られるだろう。