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「推し」がいるから私がいる。アニメ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』

 ステイホームを要求される大型連休だからこそ、どうしても触れてほしい作品がある。見放題配信されるサイトが一気に増え、放送当時よりも格段に観やすくなった今こそ、「『推しが武道館いってくれたら死ぬ』を観てくれ」と大声で言える時がきた。歌って踊るちゃむの姿を観て、おれと一緒に死んでくれ。

 岡山県で活動する7人組の地下アイドルグループ「ChamJam」と彼女たちの熱狂的なファンを通じて、「推し」を持つ人々の共感を呼んだ人気コミクのアニメ版。収入の全てを推し活に投じる主人公の「えりぴよ」を始めとするアイドルファンたちの「推し活あるある」に共感して楽しめる一方、アイドル側のドラマも熱く描かれ、武道館という大きすぎる目標に向けてアイドルとファンが生活の全てを投げうってその夢に突き進む、そんな悲喜こもごもが展開されてゆく。

 職業フリーター、収入は全て舞菜のCDにつぎ込み、着る服は高校時代のジャージのみ。社会不適合一歩手前になるほどにアイドルにのめり込んだ主人公えりぴよは、その強すぎる愛ゆえに舞菜の重荷になっていないかと悩みながらも強オタ行為を止められないし、舞菜は舞菜で一歩引いてしまう性格ゆえにえりぴよと上手くコミュニケーションが取れず、短い握手会の時間ではお互いが想いを告げられずにいる。舞菜にとってもえりぴよは唯一のファンであり、アイドルとしての活動を通してでしかえりぴよに会えないことに寂しさを募らせながら、今度こそ感謝を伝えようとして、いつも失敗ばかり。

 そうした二人の「好き」がなかなか交わらない様子を、見悶えしながら見守るのが『推し武道』を楽しむ最初の入り口になっている。えりぴよにとっては舞菜が人生を生きる支えとして、舞菜にとってはえりぴよがアイドルを続ける原動力として、お互いが相手を何よりも大切に想いあっているのに、それが伝えらえないもどかしさ。アイドルとファン、最も幸福な関係を無意識に築いているのに、当人は迷惑じゃないか?重たくないか?(実際重い)と思いつめ、一歩踏み出せない。それでも、二人の間に確かに存在する「愛」が日々積もり積もっていく過程を尊いを感じてしまうからこそ、本作は多くの人に支持されアニメ化までされたのだろう。

 さて、本作における「好き」や「愛」は恋愛感情におけるそれのみを意味しない。推しを摂取した時に口からこぼれる「はぁ……好き……」は、そもそも抱いた感情を言語化できなくなったオタクの呻き声(あるいは断末魔)として広まり、極まった場合は「限界」などと称されるが、確かにこの感情に当てはまる言葉を探り当てるのは難しい。が、あえて呼ぶなら「希望」ではないかと、推し武道を観て気づかされる。

 例えば、学校や会社に向かう足取りが重たくて、どうしようもなく気分が晴れない時、好きなアーティストの楽曲を聴いたら心が少し軽くなった、という経験をしたことがある人は多いと思う。嫌なことを忘れさせてくれるもの、気分を高揚させてくれる何か。それは人であったり音楽であったり映画であったり食べ物であったり、その対象は人の数だけ存在する。そうした、その人だけが持つ心の支えが、「推し」というものなのだろう。

 私も推しがたくさんいて、それはハチャメチャに顔のいいインド人俳優だったり、怪獣やヒーロー(と中の人)だったり、行きつけのお店の看板メニューだったりする。最近は二次元のアイドル(『アイドルマスター シャイニーカラーズ』に登場する25名全員)に夢中で、彼女たちの楽曲を聴くことで出勤前の憂鬱な気分を和らげたり、週末のライブ配信を楽しみに置くことで平日の業務に耐えている。そうした、辛いこと・嫌なことも乗り越えなければならない人生を、少しでも照らしてくれる灯りのようなものが、私にとっての「推し」の定義だ。

 無論、推し=希望とは私一個人のみならず、そしてオタクという人種のみに適応するものではないはずだ。前述の通り、「推し」はアイドルや俳優といった偶像のみを指す言葉ではない。人の数だけ推しが存在し、その価値はその当人のみが知り、しかしその素晴らしさを知るからこそ他者にも知ってほしいと布教することもある。それは時に「趣味」という言葉に置き換えられ、それらを同じくする者が集い「仲間」が生まれることもある。アイドルファンや映画ファンが集うオタ活と、ゲートボールや囲碁を介したコミュニケーションを楽しむサークル活動は、その実全く同じものだと思っていて、個々人の趣味嗜好が合う者同士が集うことを「同好会」と呼ぶ日本語のセンスに、とても美しいものを感じずにはいられない。

 話が逸れまくったが、『推し武道』はアイドルという推しを持つ者が集い、推しのために命を燃やす者たちを描く作品だ。推しに貢ぐためなら労働も苦ではないといくつもバイトを掛け持ちする主人公えりぴよにとっては、舞菜の笑顔と幸せこそが生きる希望であり、原動力なのだ。「存在してくれてありがとう」という、下心が無さ過ぎて逆に不安になるくらいのえりぴよの無償の愛が、アイドル・舞菜を生かし続けている。推しがいるからこそ生きている、推されているからこそ生きていられる。えりぴよと舞菜には、「推す」ことで活力を得ている人間の行いそのものをポジティブに描く、大げさに言いきってしまえば「人間賛歌」に近い何かを感じる。

 人間は、それこそ今「不要不急と言われがちなもの」が無ければ、生きていけないのだ。健康で文化的な最低限度の生活とは、衣食住が揃っていればいいのか。否である。苦難を乗り越えるための心の支えが無ければ、人はすぐに折れてしまう。であるからこそ、目の前の命を救うことと同じくらいに、文化や文明が収束後も変わらず存在し続けられるためにお金が投じられる世界になってほしい、と思わずにはいられない。

 また話が逸れてしまった。『推し武道』は「アイドルファンが主役のアイドルアニメ」というやや風変りな作品なれど、浮かび上がるテーマは全人類向けと言っていい、誰もが抱く普遍的な「好き」の原動力を描く作品である。好きなものがあって、それを心待ちにするときのワクワクするような気持ちを胸に学業や仕事に立ち向かう全ての人に、本作は刺さるはずだ。原作漫画⇒アニメの順で履修し、アニメ化によって声と歌とダンスを与えられたちゃむ(ChamJam)を観てタイムマシンで過去に戻り生きてるおばあちゃんを見て号泣するのび太みたいな感情になるのがオススメです。


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