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【書評】乙野四方字 著 『正解するマド』

 先日、久しぶりにアニメのことについて書いた。

 アニメ『正解するカド』の面白さに圧倒され、しかし当時賛否を呼んだという終盤の展開に戸惑い、それ以来本作のことをずっと考え続けている。そして本作のことを誰かと語りたいという気持ちに至り、簡単な紹介文をこしらえて投稿したのが、以下のものになる。

 そしてついに、自分の外に「正解」を求めるようになってgoogleの検索窓を訪ねた結果、アニメのノベライズが発刊されていることを知った。ノベライズといっても本作に限ってはアニメをそのままなぞるものではなく、スピンアウト、という表現が用いられている。その紹介文には、一筋縄ではいかないあらすじが記載されていた。

野崎まどが脚本を手がけたテレビアニメ『正解するカド』のノベライズを依頼された作家・乙野四方字は、何を書けばいいのか悩むあまり、精神を病みつつあった。ついにはアニメに登場するキャラクター、ヤハクィザシュニナの幻覚まで見はじめる。記憶をなくしたというザシュニナに、乙野は一縷の望みをかけて小説の相談をするが…傑作SFアニメから生まれた、もうひとつの「正解」とは?衝撃のスピンアウトノベライズ。

 冒頭、作品を書き進めることが出来ず、担当編集者に締切の延長を頼み込む、追い詰められた作家の独白からスタートする。自分が書けないことで大勢の人間が苦労する。そのことを分かっていながらも、どうしても書けない苦悩。胃がキリキリと痛みだすようなスタートだ。

 この作家こそ、主人公の乙野四方字(おとのよもじ)であり、本著の著者である。アニメ『正解するカド』のノベライズに行き詰る作家として自分を登場させる大胆なメタフィクション。では、今自分が読んでいる『正解するマド』とは誰が、何を書いたものなのか。あらすじの時点で、本作は一つのミステリーを提示している。

 その鍵となるのは、ヤハクィザシュニナ。アニメ『正解するカド』のキャラクターであり、宇宙の外側の世界「異方」から来訪した存在。そのザシュニナが、乙野四方字の前に姿を現したのだ。無論、アニメのキャラクターが現実に登場するなどありえない。ノベライズを担当するにあたりアニメの脚本を読んでいる乙野四方字の記憶が生みだした幻覚か、それとも「異方」から現れた本物の異方存在ザシュニナか。小説が書けずさらに不安定になっていく乙野四方字の精神を、読者は体感していくことになる。

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異方存在「野崎まど」

 本作を読んで驚いたのが、著者・乙野四方字が野崎まどの信者、と言っていいほどの大ファンであり、それを包み隠さない点にある。これでは最早野崎に当てたラブレターというか、それが主題だったのではないかとさえ錯覚するほどに、野崎まどへのリスペクトが詰め込まれている。

 野崎まど、とはSF作家であり、アニメ『正解するカド』の脚本を手掛けた人物だ。乙野四方字が『カド』のノベライズを手掛けるきっかけになったのも野崎まどを敬愛するが故であり、そして精神を病む間接的な要因でもある。

「アニメとはまったく違うものを書いてほしい」
「乙野四方字にしか書けない、乙野四方字の『正解するカド』を」

 尊敬する作家からこのようなお題目を与えられて、乙野は思考を巡らせた結果、一文字も書き進められなくなってしまう。目標としていた作り手の存在が、自分自身の壁となって立ちはだかる。モノ作りに携わる人であればいつか直面する恐怖かもしれない。

 まぁ、本当にこのような葛藤があったのか、あるいはそれも創作かはさておき、「『正解するカド』のノベライズに行き詰る乙野四方字の物語」は「乙野四方字にしか書けない、乙野四方字の『正解するカド』」でもある。冒頭の段階で、野崎まどから与えられた課題はすでにクリアしていたのだ。
(※もちろん、商業的に面白くなければ出版社のYESは下りないわけだが)

 それに気づかずザシュニナに野崎の著書を与え、地の文で何度も引用するなど、乙野四方字はとても野崎に心酔していることが窺える。その内容があまりに面白くて、読書を中断してamazonにて野崎まどの著作を検索するほど、刷り込みが巧みなのだ。実のところ、本作を読むまで名前すら知らなかった「野崎まど」のことが、今となっては気になって仕方ない。野崎まど作品に触れる「マド」としての役割を、本作は果たしている。度々引用される野崎まどとその著書は、書名『正解するマド』にも大きく関わってくるのだが、駄洒落にも思えるその名前の真意に気づいた時の、震えが来るような感動は、忘れられぬ読書体験となった。

「ノベライズ」としての『正解するマド』

 元々、映画やアニメの「ノベライズ」を読むのは好きだ。「原作を観ればいい」と言われればそれまでだが、キャラクターの心情描写や台詞、作品に散りばめられた様々な設定や概念を「文字」として取り込むことで、作品への理解度がさらに増していく。その感覚を求めて、気に入った作品のノベライズ版を手に取ることが多い。

 その点において本作は、TVアニメの脚本を読んでいる乙野四方字が記憶を無くしたザシュニナに語りかける形で、あるいは記憶を取り戻したザシュニナへの応答という形で、アニメにおける主人公・真道幸路朗とザシュニナのやり取りを引用する。それによって、読者にアニメの内容を想起させ、違和感なく設定やアイテムの解説を織り込むことに成功している。「異方」の概念は文字情報に置き換えることで、格段に飲み込みやすくなるため、アニメの副読本としても最適とも言える。

 さらに本作は、アニメにおけるザシュニナの目的の一つであった「人間に異方の感覚を認知させる」ことを、実際に読者に体感させてしまう領域まで踏み込んでいる。小説というメディアの特性を活かしたある仕掛けによって、読者は知らぬ間に「異方」そのものを知覚し、「次元変換」を施していたというのだ。これが何を意味するかは原典となるアニメを観ていないと伝わらない部分が大きいのだが、終盤は「してやられた」驚きが満載のクライマックスが待っているとだけお伝えしたい。

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 読了するに至り、本作は紛れもなく『正解するカド』のスピンアウトであり、ノベライズであり、副読本であり、続編であった。同時に、「SF小説」「野崎まど」への興味を促す入口であり、実験小説でもあった。アニメの答えを求め手に取ったはずが、さらなる思考の迷宮に囚われるとは予想外。作品の世界観をさらに広げる一冊として、アニメ鑑賞済みの方全員に押し付けたいほどの力作。

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