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守りし者として、強くあれ。『牙狼〈GARO〉ハガネを継ぐ者』

 2024年現在のシリーズ最新作にして、道外流牙の10周年という節目に放送された『ハガネを継ぐ者』は、新しいスタッフによる新機軸が盛り込まれたチャレンジングな一作で、かつて主人公交代という「新」に果敢に挑んだ“流牙らしい”組み立ての連続ドラマであった。そしてその試みは、大胆であるからこそシリーズに新しい風を吹き込んだ結果の面白さに満ちたもので、私個人としてもかなりお気に入りの一作になってしまった。

 道外流牙の物語としては2017年の劇場版『神ノ牙-KAMINOKIBA-』以来となる本作では、バディとなる魔戒法師の莉杏は登場せず、シリーズから続投するキャラクターは流牙とザルバのみ。ここ数作のスピンオフ同様にシリーズの生みの親である雨宮慶太氏は原作とデザインワークスに留まり、過去作品に携わられてきた松田康洋氏の他、『ガンダムビルドリアル』の田中佑和氏、『KG カラテガール』の木村好克氏が集う。雨宮監督、横山誠監督がメガホンを取らない流牙の物語に観る前は不安を覚えたが、それは1話を観た瞬間に消え去ることとなる。

 今作の流牙は数々の修羅場を潜り抜け、闇ですらも己の力に変え戦い抜いてきた「黄金騎士」として若き騎士から崇められる存在であり、物語上においても主人公というよりは未熟な若者を導くメンターとして位置づけられている。演じる栗山航氏の10年の歳を重ねた貫禄に追従するように、道外流牙はすでに成長途中の若者というキャラクターを抜け出し、全ての騎士の手本たる存在として立ち振る舞う。その姿に、10年を見守ってきたファンは感慨深さを覚えるだろう。

今回の僕は師匠的な立場なので、どちらかというと「静」のアクションを重視するようになっています。流牙はもう達人の域に達しているということで(以下略)

『牙狼ぴあ2024 -RYUGA-』
栗山航インタビューより抜粋

 そんな本作の新たな試みとしては、魔獣ホラー表現のCGから特殊メイクを用いた生身のアクターへの移行と、アクションシーンの現代的なアップデートが挙げられる。『闇を照らす者』ではガロやホラーのアクションのほとんどがフルCGで描かれ、続く『-GOLD STORM- 翔』ではスーツは製作されたものの、その活用は限定的であり、いわゆる「スーツアクター」としてのガロやホラーの演技はあまり見受けられなかった。

 TVドラマとは思えないリッチでハイクオリティなCG映像はシリーズの醍醐味として充分に面白いのだが、食傷気味に感じていたのも正直なところ。そこに風穴を開けるように、今作『ハガネを継ぐ者』は全身スーツではなく衣装と顔の特殊メイクにより人間に乗り移る魔獣を表現し、激しく生身のままでアクションをするホラーを実現。人間の生々しさと異形の化け物の意匠が融合したそのデザインは、おぞましくもありユニークで、強さを巨大さで表現することの多かった過去作と比べてもかなり新鮮に映る。

 また、アクション監督としてシリーズ初参加となる鈴村正樹氏を招聘。日本におけるアクション映画のクオリティを引き上げた『HiGH&LOW』シリーズに携わり、『THE WORST Xにてアクション監督を務めた鈴村氏は、全てのアクションシーンに対しビデオコンテを撮影しイメージを演者やアクターに共有。“キャラクターの深堀り”と“シチュエーション”を重視してアクションを構築したという鈴村アクション監督の仕事ぶりは、先に挙げた三名の監督も鼎談の中で(ホラーデザイン&監修のJIRO氏と併せて)絶賛しており、作品の大きな目玉として公式サイトにも大々的に宣伝されている通り、本作ならではの強烈な個性と魅力を放っている。

 ハイローでは世界観の関係で難しかったソードアクションも、本作ではキャラクターの個性や練度によって個性付けられ、生身で闘う法師の敵と立ち位置を入れ替えながら交差するファイトスタイルは、確かに「ハイロー以降」のそれであり、これまでの『牙狼』シリーズとは異なるダイナミックさと今っぽさがたまらない。深夜特撮という枠組みではなく、「アクションが凄い!」の言葉で鑑賞を勧めたとしても、本作はそれに耐え得るクオリティだと言い切ってしまいたい。

さらに、本作のアクションシーンを手がけるのは映画『HiGH & LOW THE WORST X』など 鮮烈なアクションシーンが記憶に残る数多くの作品でアクション監督を務めた鈴村正樹氏。 また、特殊メイクをふんだんに取り入れた造形を手がけるのは 『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』や『シン・ゴジラ』にも携わったSFX Makeup Artist・JIRO氏。 「牙狼<GARO>」シリーズが初期からこだわってきた「ダイナミックなアクション」と 「ハイクオリティーなデザイン」を新たなアプローチで表現した映像はファン必見です。

公式サイト「INTRODUCTION」より抜粋

 そうした新しい試みが下地を整える一方で、物語はある種の原点回帰を思わせるところが、『牙狼』シリーズに明るくない層にも優しく、歴代作品を観てきた人にとっても胸に刺さるものとなっていて、1クール12話とスケールとしては小さいものの、満足感で言えば過去作と同等、あるいはそれ以上の感動をもたらしてくれている。

 物語は、流牙がとある指令を受けクレアシティを訪れるところから動き出す。この街には、ホラーが初めて人の世に現れる扉となった最古のゲート「破滅ノ門」が封印されており、その門から漂う匂いによって従来であれば獲物にならないような弱い陰我の持ち主でさえもホラーに憑依される異常事態が頻発していた。そのことを憂慮した街の法師のムツギと、その弟子にあたる法師コヨリに助けを求められた流牙だが、ホラーとの闘いの最中に割って入ってきた「ハガネ」の鎧を纏う魔戒騎士・白羽創磨は、よそ者である流牙を激しく拒絶する。

 ハガネとは、称号を持たない魔戒騎士が纏う鎧にして、誰もが最初に袖を通すものである。流牙も(おそらく冴島鋼牙や雷牙も)この鎧から始まり、数多のホラーと闘い勝利して、「ガロ」の称号を受け継ぎ、金色の騎士となった。全ての魔戒騎士の原点となるこの鎧が象徴的に扱われる本作の主人公は、実のところ流牙ではなく白羽創磨という若者に委ねられている。

 三年前に消息を絶った父・ゴドウが帰る場所を守るため、他の騎士がシティに留まることを良しとせず、他者を突き放して生きてきた創磨。剣術の腕は確かでも、騎士道精神が育ちきっておらず、精神的にも未熟な彼は、他者との関わりの中で過ちを繰り返し、余計に他者を遠ざける悪循環に陥っていた。そんな彼を厳しく諭すのが、今回の流牙なのである。

 若き騎士の成長を描くといえば、それこそ流牙たちが当の主役を張っていた初作『闇を照らす者』のメインストリームであり、動機は違えど一匹狼な気質を貫く創磨は流牙にとって初期の楠神哀空吏を思い出させたのかもしれない。流牙は街に招かれた「アゴラの三剣士」との鍛錬を通じて、魔戒騎士としての心得や、闇を受け入れ己の力とする姿を創磨に伝えていく。前述の通り、流牙は精神的にも成熟しており、数多の無名の騎士の憧れをその背に受け、それに相応しい風格を纏った名のある騎士として振る舞っている。

 そんな流牙は、実は過去にゴドウを訪ねており、その際に秘伝の剣技を教わり、かつ息子の存在を知らされていた流牙は、その恩義を返すかのように、創磨を目にかけている。黄金騎士とは剣術の強さのみが証明するものにあらず、闇を受け入れ、他者を鍛えその心構えを継承していくことが肝要なのだと、本作は描いている。そんな流牙との交流を経て、創磨は騎士として、人間としても成長していく。「守りし者」としての決意を固めた創磨は、その使命を全うするために剣を振るい、ハガネを纏う。古来から受け継がれ、磨かれてきた鎧の重みを知ることで、創磨はようやく父の教えに辿り着くことができた。

 ところが、本作の黒幕は「守りし者」としての使命に苦悩し、故に闇に手を伸ばしてしまったことが明らかになっていく。

※以下、本作のネタバレが含まれる。

 クレアシティを守ってきた魔戒法師のムツギは、その裏で破滅ノ門を開き、その奥にある「禁断の果実」を手に入れようと暗躍。彼女は三年前、ホラーから救い出した男がその後に多くの人の命を奪った連続殺人鬼であった事実を知り、犠牲者に手向けられた花を見て涙し、自らの行いを悔やみ続けていた。ムツギは破滅ノ門を開いて陰我を持つ者を炙り出し、禁断の果実がもたらす全知全能の力をもって、陰我を持つ人間の駆逐を企てていたのだ。

 これまでのシリーズでも描かれてきた通り、人間のいるところに邪心があり、それを辿ってホラーはこの世にやってくる。人間がいる限り、ホラーと魔戒騎士の闘いは永遠に続くのである。ホラーのいない世界を誰もが願いつつも、それが叶わないことを、誰もが知っている。だが、そんな世界を本当に願って誤った方向に進む者も過去存在した。例えば、阿号のように。

 ホラーになりうる可能性のある者を抹殺することで成り立つ、良き人間だけの世界。そんな傲慢にすら思える大望を抱くムツギだが、裏を返せば魔戒騎士や法師も一人の人間であり、絶望し闇に堕ちる危険性は誰にでもある、ということ。そんな彼女に対し、どんなに悪人であっても人間である以上守り抜かねばならない「守りし者」という教えは、確かに残酷で救いがないものに受け取られても仕方がない部分もあるかもしれない。

 だが、ゴドウや流牙が訴えるように、それでも愚直に人の光を、希望を信じてホラーからその命を守り闘う者は、強くあらねばならない。人を守るために人を切り捨てるような考えを、魔戒騎士は容認することはできない。なぜなら、「守りし者」とは脈々と受け継がれてきた使命であり、それを果たすために彼らが着るのがガロやハガネの鎧であるからだ。

 容易く絶望に向かいかねない、弱くて脆い人間という生き物の心。その心が闇に支配されそうな時、闇そのものを力に、光に変えて闘う者のみが、「守りし者」となる。ゴドウの奥義「閃光剣舞」とはまさに闇を取り込み光に変えて放つものであり、それはそのまま魔戒騎士としての心構えそのものを表した技といえるだろう。どんなに人間に絶望しても、諦めるな―。父から息子へ伝授されるはずだった奥義は、守りし者としての使命を固く胸に刻むための、誓いを受け継いでいく儀式となるはずだった。

 そんなゴドウの想いを受け継いだ流牙が、創磨に奥義を託し、自身は光を闇に変えて放つ「閃影剣舞」で、ムツギの陰我を切り裂く。光と闇は表裏一体(本作には陰陽太極図のモチーフがいくつか用いられている)であることをジンガとの闘いで知った流牙のみが到れる境地であり、結末といえよう。人の世の平穏を願い、しかし絶望につけこまれた法師の苦悩する魂は、ようやく救われるのである。

 「守りし者」の原点に立ち返る本作は、魔戒騎士や法師として生きる者の苦悩と、それでも人の世の光であろうと闘う者の高潔さに改めて振り向かせる一作となった。人間とホラーと闘いは永遠に続くし、邪心を持つ者がいる限り真の平和など夢物語である。だが、ハガネの鎧に込められた数多の英霊の想いと、魔戒騎士と法師が闘うことで数多くの命が守られてきたことも、また事実。その想いを受け継ぐ覚悟を抱く者こそが、真の「守りし者」たり得るのだろう。

 世界観こそ違えど、冴島大河が死に際に息子に遺した「強くなれ」という言葉の重みも、本作によって増してきたように思える。『牙狼』シリーズの根幹を成す教えを、本流から枝分かれし始まった道外流牙の旅路から学ぶことになるとは、予想外だった。闇を照らし、闇を受け入れ闘ってきた道外流牙は、誰もが認める「黄金騎士」にして「ガロの称号を受け継ぐ者」となった。そんな流牙もいつかは英霊の一人として数えられ、次の世代を導いていくのだろう。その光景を幻視して、つい涙ぐんでしまうのである。

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