もうひとつのHeaven's feel『劇場版Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ 雪下の誓い』
ただのスピンオフだと思ってたのに、いつのまにか4シーズン42話、挙句の果てに劇場版まで観てしまった。無邪気で楽しかった日々はとうに過ぎ去り、いつのまにか小学生が滅びゆく世界を救う話へ。『プリズマ☆イリヤ』というよりも『プリズマ☆シロウ』な本作は、これからの物語へ進むための重要な一作であった。
囚われた美遊を救うために訪れた並行世界。エインズワース家を一度は退けたイリヤたちに、美遊の兄である並行世界の衛宮士郎は、真実を語った。
幼い衛宮士郎とその養父である衛宮切嗣は、冬木市を飲み込む”闇”を消し去った謎の光を目撃する。その光を発したのは、神稚児と呼ばれる神聖な少女、朔月美遊。人の願いを無差別に叶える「聖杯」の力を宿す少女の発見に、切嗣は滅びゆく世界を救う鍵を彼女に見出し、美遊を連れて帰る。
それから5年後、切嗣は病で亡くなり、彼女を犠牲に世界を救うという正義の在り方に疑問を覚えた士郎は、美遊をふつうの人間として外の世界と触れる機会を与える。しかし、その神秘の力を探し求めるエインズワース家の当主ジュリアンに美遊をさらわれたことで、士郎は聖杯戦争に足を踏み入れていく。
TVアニメ第4期『ドライ』最終話Cパートより続く、並行世界の士郎と美遊の過去が語られる本作。『ドライ』はシリーズの中でも最もシリアスでハードな展開が続き、魔法に彩られた世界であっても「正義」の行方を語ることからは逃れられないという、『Fate』の本質を振り返る章だった。それを受けての本作は、衛宮士郎という正義の味方の誕生を描く、アメコミヒーロー映画でいうところの「ビギンズ」というジャンルに数えられる。重要なのは、その正義の行方がどこに向かっているのか、誰のための正義なのか、という点だ。
滅びが間近に迫った世界。人類救済の方法を探す衛宮切嗣と士郎は、強大な力を持つ「神稚児」と呼ばれる少女、美遊と出会う。人の願いを無差別に叶えるというその力の正体は、聖杯そのもの。その力に目を付けた切嗣は、美遊を家に連れ帰り、屋敷の外に出すことなくその存在を秘匿した。万人を救うための機能に徹し、大を救うために小を切り捨てることを躊躇しない。スピンオフといえど、『stay night』『Zero』で描かれたものと本質は変わらず、衛宮切嗣は目的のために何かを犠牲にすることをいとわない。そういう在り方こそ、彼なりの正義なのだから。
一方の士郎は、人類救済のために一人の少女を犠牲にする切嗣の在り方に、疑問を抱くようになる。回想で示唆される通り、本作においても第四次聖杯戦争が起こり、切嗣と士郎の出会いもまた原典『stay night』に準じている。おそらくこの世界の士郎も切嗣の理想に共感し、それを継ごうと生きてきたのだろう。そんな彼に変革を導くのが、本作の事実上のヒロインである美遊の存在。
本人の意図せぬまま「聖杯」という大きすぎる力を宿し、それゆえに外界から隔絶されていた少女。育ての母を亡くし、無感情に生き延びてきただけの美遊は、士郎と食卓を囲み、生活を共にしていく中で、士郎と家族になりたいという意思が芽生える。その気持ちが込められた「お兄ちゃん」という言葉は、士郎にとっては生き方すら変えてしまう、大きな力を持っていた。
士郎と美遊、二人が心を通わせるまでの日常が描かれる前半を観て強烈に思い浮かぶのは、『Heaven's Feel』の物語。このルートでは日常の象徴たるヒロイン・間桐桜がフィーチャーされ、過酷な体験から自我を失ったに等しい彼女にとって士郎が「大切な人」になるまでを、丁寧に描いている。桜と美遊は同じく「器」としての性質を持っており、士郎との生活の中で人間味を取り戻す、という点でも似通っている。元より原典へのリスペクトに溢れたシリーズゆえ、これは確信犯だろう。美遊に収束する一連の物語は、『プリズマ☆イリヤ』における『Heaven's Feel』だ。
美遊の兄として、彼女を陽の当たる場所に連れ出したいと考えた士郎だったが、彼女の力を求めるジュリアン・エインズワースによって、その願いは砕け散る。美遊を救うために身を投じたこの世界の聖杯戦争は、カードに宿る英霊の力を自らに投影し闘う、というもの。ケイネス先生や雁矢おじさんらしき参加者を打ち倒す度に、士郎は「英霊エミヤ」そのものに変貌していく。もちろんエミヤとは「どこかの未来、どこかの世界で正義の味方であることを選び続けた衛宮士郎」なのだが、原典を踏襲するのならそれは切嗣と同じ方向の正義を選び取った末の未来の自分自身。しかしその力を宿す今の衛宮士郎の正義とは、美遊を救うという、世界を切り捨ててでも叶えたいたった一つの願い。万人のための理想を捨て、大切な人のための正義の味方という在り方を選択する。美遊のお兄ちゃんになった時から、衛宮士郎は妹の幸せを願うヒーローになった。
そしてご丁寧にも、ジュリアン・エインズワースの正義の在り方は切嗣のものと同質であることが強調され、ジュリアンとの闘いを通して父と決別し乗り越えるという構造まで用意されている。改めて『Fate』とは、切嗣と士郎、二人の「エミヤ」の在り方を問う物語であることを、オマージュというよりは「引用」という言葉が相応しいくらいに、再演してみせる。さらに『Heaven's Feel』のみならず、わざわざギルガメッシュの力を宿す宿敵を用意するあたり、本作は『Unlimited Blade Works』も投影してみせた。スピンオフならではの手法で、『stay night』における二つのルートをドッキングした、衛宮士郎の新たな闘いを描く。原作:ひろやまひろし氏のFate愛が炸裂した、見事な構成に舌を巻いた。
かくして、長きに渡り謎めいていた美遊の物語が語られ、同時にスピンオフといえど『Fate』の遺伝子が深く刻まれていることを再確認するための劇場版であったことを、観客の多くが悟っただろう。それを受けて、世界と友達の両方を救うと誓ったイリヤの闘いは、少なくともアニメではこれから描かれることになる。衛宮切嗣(エインズワース)でも衛宮士郎でもない、それこそ聖杯でも叶えられなかった「全てを救う」という正義が果たされた時がくるのか、それとも原典から外れた希望を描くことは作者の美学に反するのか。とにかく続きが気になってしょうがないのだが、次回作はギャグOVAだそうで、本筋が語られるのはまだ先の話になりそうだ。