儚く美しい夢と凌霄花
19歳から20歳になったとき、特に何か特別な感覚はなかった気がする。母から真珠のアクセサリーを譲り受けたこと、髪をショートカットにしたことくらいだろうか。私は成人式には参加していない(これには地元が遠かったからとか、気持ちが乗らなかったからとか、スケジュールが合わなかったからとかまあ色んな理由がある)ので、特にこれといった感動はなかったのである。
というわけで、もうすぐ29歳から30歳になるのだけれど、特に今回も特別な感覚はない気がする。
友人ともよく話しているのだけれど、私と友人は23歳のときは24歳とか25歳くらいの気持ちで生きていたし、28歳のときは29歳とか30歳くらいの気持ちで生きていたので、正直あまり今の年齢に実感がない。なぜなら今も30歳か31歳くらいの気持ちなのだけれど、まだ20代なのである。
30歳になる記念に何か買おうかとか、考えていたのだけれど、正直なところ何も思い浮かばなかった。服やジュエリーは一通りほしいものは揃っているし(社会人になりたての頃に狂ったように買っていたので)、今の髪型も気に入っているので、とりたてて今何か変えたいわけではない。結局、特に何も変わらずに29歳から30歳になるのかなぁなんてぼんやりと思っていた。
とはいえ、何かやっておけばよかったなぁということを抱えたまま30歳を迎えるのはなぁ、と思い、何でもやっていいよと言われたら、今自分は何がしたいだろうか、と考えた。
そういえば、と思い出す。
私は旅をすることが好きだった。とはいえ、私の「一人旅」というのは、美術館巡りであって、観光地巡りではない。社会人でなかなか時間が取れない中行っていたので、週末日帰りで新幹線に乗り、大抵2か所ほどゆっくり美術館を見たりギャラリーに寄ったりして、夕方には東京に戻ってくる、みたいな旅をよくしていた。(もちろん観光地巡りも大好きで、でも観光地は友人や家族と行きたいタイプ)
携帯とお財布、文庫本1冊だけバックに入れて、新幹線に乗り込むときの身軽さと開放感がたまらなく好きだった。
生まれて初めて、私が一人で新幹線に乗ったのは長野へ一人向かったときのこと。原田マハさんの「生きるぼくら」を読み、たまらなく長野へ行きたくなった。あの、小説に流れている空気を感じたい。
ある暑い夏の日。「明日、長野に行けばいいじゃん」とふいに思い立ち、翌日の長野行きの新幹線のチケットをドキドキしながら買ったことを覚えている。(当時の私にはスマートEXとかえきねっととかの知識がなかったのか、そもそもシステムがなかったのか、ちゃんと紙のチケットを券売機で買ったことも今となれば良い思い出である)
デニムにスニーカーを履いて、小さな鞄一つで新幹線に乗り、東京からものすごい勢いで離れていくのは何だかとても清々しく、長野駅のホームに降りたったときは、涼しい空気が心地よくて「あ、私は自由でどこへだって行くことができるんだ」と思った。
私はいつだって自分の意志でどこにでも行くことができる。
長野駅のカフェで「今、実は長野にいるんだよね」と友人にメッセージをしたら、驚いた様子で返事が返ってきた。そして、今自分が長野にいることを実感した。
このとき訪れたかったのは、長野県信濃美術館(現・長野県立美術館)の東山魁夷館だったのだけれど、残念ながら当時はリニューアル中だったので、長野県信濃美術館の展示と城山公園、ギャラリーを覗いて長野の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
城山公園では、凌霄花が美しく花を咲かせていた。そして、私は明日からの仕事をまた頑張るべく深く深呼吸をした。さぁ、東京へ戻るか、という気持ちで。
あれからもう何年も経った。
私は、あれから何度か東京と京都で東山魁夷の絵を見て長野に思いを馳せ、引っ越したり、結婚したり、転職したり、コロナ禍の自粛生活を送ったり、そんな日々を送っていたけれど、長野には行けないままだった。
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先日、ガラスアーティストの青木美歌さんが昨年亡くなられていたことを知った。
銀座で開催されていた個展で作品を拝見し、ガラスがこんなにも美しく、繊細な作品になっていることに驚きを隠せなかった。また、新しい作品を見ることができることを楽しみにしていたのだけれど、もう見ることができない、と知ってとても悲しい気持ちになった。
そう、きっと見たいと強く思ったときに見ておかなければ、会っておかなければ、行っておかなければ、もう一生見ることができないことだってあるのだ。
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そうして、私は長野行きのチケットを買った。