DFM VS RRQ戦と的外れな選手批判
はじめに
前提としてこの記事は批判・誹謗中傷を肯定する物では断じてありません。そのように受け取られた方がいた場合は私の文章力の問題なので見逃してください。。。
1月19日に行われたVCT Pacific kickoffのDFM vs RRQ戦。
残念ながらDFMは負けてしまったものの、Meiyのスーパープレイや日本リージョンで見てきたJemkin 新星Kushyの強いところも見られたので個人的には満足だった。
しかしながら試合中のコメント欄はもちろんのこと、試合後のXには各選手への批判などが相次いでいて、それを諌める人もいてと混迷を極めている状態となっていた。
そこでちょっと思ったことを、文章を書く練習のついでにnoteで書いてみたいと思ったという流れだ。(大学のレポートなどを書く機会が増えてるのでその対策である)
批判について
過去の批判
そもそも批判・誹謗中傷自体は今に始まったことでもなく、それこそ2021年最初のVCT(現VCJ) CR vs Absolute JUPITER 決勝のコメント欄は差別コメントなどにあふれていた。
今よりもひどい状況だったと記憶している。
その要因(言葉を選ばずに言うのなら)としては
視聴者がまだ大会に慣れておらず、特に日本国籍外のプレイヤーに対する偏見などがあった。
特にCRとJUPの対立煽り
国際大会へ向けられる期待
の3つがあげられるのではないだろうか。
現在でもまだあるとは思うものの、海外籍のプレイヤーがチームで活躍することに視聴者が慣れてきたこと、海外籍プレイヤーが日本語で話したりツイートなどをすることで親近感が湧いてきたことなどが影響して差別的なコメントは少なくなってきている印象だ。
当時はCRとJUPが二強状態で、この2チームの対戦は大きな注目を集める反面、荒れる原因にもなっていた。また、国際大会未経験という背景から、日本チームへの期待が過剰に高まり、それが批判へとつながっていたと考えられる。
愛国心などからくる現在よりも勝てるという漠然とした期待と現実とのギャップが批判を巻き起こしていたのだ。
現在の批判
現在の批判の主な要因は
リーグ方式になったことで日本を代表として戦うチームは2チームに絞られた
このことが大きいと思う。
日本というリージョンを背負って代表として戦う以上その応援する理由にある種の愛国心があるのは事実であろうし、そのことが批判的な感情を抱かせる一つの要因となっていると思う。
過去の批判と現在の批判の比較
もちろん数年前のことなので当時のことに関する記憶は薄れてきてはいるものの、肌感覚としては批判のベクトルに関する質は上がっているように感じる。
たとえば昔だったら
『○○人チーム』
『エイムが悪い』
等々ゲームと関係ない人間性などに関する部分やゲームでのより浅い部分での批判・誹謗中傷だ。
現在は
『○○の基礎力が~』
『マクロ・ミクロ云々かんぬん』
など、方向性としては少しは建設的な方面に向かっているのかなと思う。
(重要なことだが、批判するポストなどが正しいことを言っているわけではなく、向上しているのはあくまでも方向性である。)
批判の言っていることは正しいのか
私はあくまでも一般プレイヤーで競技を見るのが好きな下手くそなので試合自体の解析に関しては間違っている部分も多々ある点を注意していただきたい。
例えばXで検索すれば特定のプレイヤーのみを批判したりするポストが大量に出てくる。(この場では諸般の事情で引用しない)
例えばこの選手を変えろだの、このプレイが悪いだのそういうのだ
しかしそもそも、プロプレイヤーの試合でたった一人のプレイヤーを変えたところで負け試合が勝てるようになるのかといえばそれは全く違う。
そんな1選手で変わるのだとしたらそんな楽なことはないだろう。
(実際試合をしっかり見ているとRRQはDFMの動きを読んでいるような動きであったりそれをつぶす動きを見せていた。
2map目のパールではAメインテイクに対する対応も難しく、対応したものをうまく対応されたりなど、苦しいラウンドが続いたように思う。)
art選手はインタビューで対策をされて苦しかった。基礎的な押し付けが結構初めてと語っていて、選手目線ではもっと苦しい試合であったことが想像できる。
RRQは一人変えたところで勝てるような相手ではないと思う。
上記を前提に考えると批判コメントの大半は的外れであるということになる。(上記のも含めて)
そもそもVALORANTのような5vs5のゲームでは選手やチーム関係者にしかわからないことが余りにも多い。
例えばスクリムの成績であったりチームコンセプト、インゲームでの決まり事やインゲームコミュニケーションなどだ。
外から神視点で見ているだけでももちろんわかることはあるとは思うが、そこから的確な指摘ができる人はXにはほとんどいないし、そういう人はコーチになっている。
今回の試合の批判で説得力のある、なるほどなとなるようなポストは今の所0件である。
ほとんど的外れな批判は悪なのか
ほとんど的外れで意味のない、なんならそれを見た選手や関係者、ファンなどが傷つく可能性のあるポストは悪なのだろうか。
まず前提として誹謗中傷や殺害予告、人格攻撃などは論外である。
今の時代簡単に訴えられるので気を付けたほうがいいし、そもそも倫理的にも有り得ない。
その上で批判は、個人的には"悪"とまで断じるものではないと思う。
なぜか、
そもそも人はなぜチームを応援するのだろうか。
言ってしまえば他人がゲームしているだけである。
個人的には共感が大きな役割を果たしていると思う。その共感が試合に負けた時悔しさとなり、そして批判をするという感情につながっていってしまう。
この流れは非常に感情的なものだから抑えることができている人は、人が出来た素晴らしい人だと思う。
批判をするという感情は応援するという感情の副作用
そうとらえると批判する人の気持ちはとてもよくわかるし悪と断言するのは少し違う気がしてしまうのだ。
eスポーツ含めスポーツのビジネスモデルの仕組み上、批判を0にすることはとても厳しい道にあることには違いない。
批判する人はそのチームをおそらく応援している人だし、そのような人もある側面ではチームを支えているわけである。
※それにサッカーを好きで見ている筆者からすると、批判は一切なく応援コメントしかない状況は、ある種宗教的な恐怖心を抱かざる負えない。
それに過剰でない批判であれば、たとえ的外れであったとしてもプラスに働くそくめんもむ。
他スポーツのプロ選手のインタビューだったり記事では批判が間接的に実力強化につながったという声も見かける。
もちろんこれが批判する側の免罪符になってはいけないがそのような側面は指摘されている以上無視できない。
以上のことから筆者は批判を悪と断じることはできないと思う。
最後に
とまあ色々書いたわけではあるもののこの記事は、批判を肯定はしていない。その現象に対する分析(大仰な言い方だが)をしているということである。
この記事に書いてあることが批判ポストであったりを下支えするようなものではないし、根拠にもならないことは注意してほしい。
その上で批判はスポーツの特徴の一つだと思うし、何かを応援するという感情で避けては通れない道であると思う。
もちろん過剰な批判や誹謗中傷、人格攻撃が許されないしそれによって選手が追い込まれてしまうようなことはあってはいけない。
それに対してチームなどは、積極的に名誉棄損による開示請求を行っていくべきだし、界隈としてもそのような意識を高めていくべきである。
それでも筆者は、批判を悪とは言い切れないと考える。
最後にZETA DFMがそれぞれ26日と27日にあるので、もしよければリアルタイムで応援してほしい。