疲れると憑かれるの親和性小話
はい、あんどんです。
今回は少し精神的な話になるので、体験談も交えつつ語りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
では、いきます。
古来より憑かれるというのは、様々な意味で用いられてきました。
・魔性のものに乗り移られる。また、操られる。
というのが一番わかりやすいと思います。
この憑き具合が良すぎると神懸かり(神憑り)となり、悪い状態だと狐憑きと言われてきました。
そして日本では、神様と言われる存在は人にとって良いものばかりとは限りません。
(神様には神様の道理があり、八百万の神々ですので、当然と言えば当然ですが)
ですので、
結局は憑かれた人間の受け取り方なのだ
と思います。
そして、現代で多用される疲れたとは、主に
疲労(身体的な部分)と気疲れという精神的な部分
があります。
ここからは個人的な意味合いが大きいですが、肉体疲労と精神的な疲労(現代では脳疲労とも言えるかもしれません)どちらも無理をすることによって生じます。
その無理を通すには別のエネルギーが必要になる。
故に得体の知れないモノに繋げてその場、その一瞬の生存を図る、人間に秘められた能力なのかもしれません。
(科学的には脳のリミッターを外しているのかもと思いますが、原因不明だと思われます)
と、こんなこと言い出すと変な方向に向かってしまいますので、軌道修正しますが、端的にいうと
『気疲れ』が良くも悪くも『憑かれ』る必要条件
だと個人的には思います。
ですので、
『健全な肉体に宿る健全な精神』
身・精・心の三位一体である循環バランスが、健康第一に繋がっていくと常々思っております。
(体調を崩すことが多いので、本当にこれが第一資本だなと感じますね)
と今回は文章を校正せず、つらつらと駄文を述べてみました。
(なお、学術的にも根拠も信憑性のないので今回の小話は適当に流してくださいませ)
春休みが終わると新社会人の方たちが、一斉に動くと思います。
そんな輝かしい皆様が5月病なんかに負けないように祈っています。
あんどんでした。
ではでは。
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