いるんだから仕方ない。そんだけのこと、らしい。
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どうも、お久しぶりです。じーもです。
最近わたくしはすこし気分的に落ちていまして…。(ちょっとつらい。)
ずっといい感じで、1年くらいきたはずなんですけどねぇ~。困ったもんです。この身体は。
というわけで、本日は今読んでいる、養老孟司著「ものがわかるということ(祥伝社)」から感じたことを少し書いてみようと思います。
意味=存在価値という社会
著者によると、今は情報化社会であり、そこでは「意味のあるものしか価値がない」と捉える傾向がある、らしいです。まぁ、ここまでくるまでにもいろんな説明があるんですけど…。細かいことはさておき。
自分としては、なんだかしっくりきたんですよね。意味=存在価値となるのであれば、自身についても同じことが言えるわけで。。
うつなんかの気分が落ちてる時って、余計にそんな風に感じちゃいがちだなぁ、と思ったわけです。
「自分なんかいても…」
「自分は結局何もできないから…」
「生きてる意味なんて…」
こんな風に思うっていうのはたぶん、自分自身が情報化社会、いや、自分の中に情報化帝国を築いてしまっているのでは、と。
その情報化帝国では、意味=存在価値が大前提としてあり。そのため、何もできなくなった(思うようにできなくなった)自分を意味のない=存在価値のない存在だと思い込むようになってしまう。
う~ん。これはなかなか厄介なことで。。。
普段、「情報化社会なんて…!」「生きているだけで価値がある!」「無意味だって必要だ!」とか叫んでいても。つい侵されちゃうんですよねぇ~。その考え方に。セルフ手のひら返しが半端ないわけです。
いるんだから仕方ない。
そんな中で、著者は言うわけです。
意味のないものなんていっぱいある。部屋の中でとんでる虫だって、人にしたら意味がない。でも、「いるんだから仕方ない。」って。
これを読んで、ちょっとばかしビビッときちゃいまして。(笑)
「あ、そうかもしんない。」ってなりました。
このことを本の中では、きちんと説明していて、無意識と意識の関係にも言及していくんですけど、ここではさておき。
わたしたちって、ただ、「そこにいるだけ」なんです。
自分も、目の前のあの人も、遠くの方に見えるあの人も。
もちろん、近くにある物だって。
そしてきっと、「いるんだから仕方ない」んです。
誰に何を言われても、自分が自分を否定したとしても。
いるんだから仕方ない。もっと言えば、仕方ないんだから放っておけばいいと思うんです。
なっちゃうんだから仕方ない。
もう少しかみ砕いていくと。
うつになってしまったり、
落ち込んでしまったり、
イライラをぶつけてしまったり、
思い通りにいかなかったり、
どんな状態になったといても、なっちゃうんだから仕方ない。そこに意味なんて何もない。なくていい。
そう考えることで、ほんの少しだけ、救われる気がする…と思うんです。
「この世に意味のないものなんてない。」
そんな言葉もありますけど、私はどっちでもいいかな、と今は思ってます。だって意味を見出そうとするかは自由だし。意味を見つけることで支えられることだってある。それでいいと思います。
でも、今回思ったことは、
意味がなくてもいいんだ。
ってことです。ただ、そんだけ。
最後に。
さて、今回は少し短め。本をしっかり読み進めるつもりで読んでたんですけど、なんだか書きたくなって書いちゃいました。
あと、最近思うのは、気分が落ち込んだときほど、何かを書きたくなるかも、と思いました。そう考えると、ある種のエネルギーになってるのかもなぁとか。。。
ま、これもそんなに意味はないですけど。(笑)
それでは、今回も最後までありがとうございました。よければまたお会いしましょう。では。
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