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2度目の"うつとの遭遇”

#タイトルがすべて #二度目 #うつ #教員 #教育 #学校 #退職 #とりあえず #今は元気です #辛くなる時もあるけど #こうやって書いてます #ありがとう  

気付けばあっという間に1年が終わろうとしていますね。…おっと普通に季節の挨拶になってしまいました。(笑) どうも、じーもです。

昨日、しれ~っと久しぶりの投稿をしまして。

3月31日を最後に、ず~っと今まで何も更新してきませんでした。なんなら、SNSとかもほとんどでした。そのことについてご報告を。というかタイトルでもう9割何の話なのか分かってしまっているんですが。(笑)

実は、今年度。再び教員として謳歌(?)する予定だったんです。

はい。タイトル通りです。

「うつ」と診断されました。

二度目のうつの診断で、今現在療養中。。。いえ。教員については実は10月10日をもって退職いたしました。まだ通院&服薬中ではありますが。

…ん~こんなはずでは。ほんとに。
今回は、目的ははっきりしていましたし。担任ではなく、副担任として関わるはずでしたから。程よい距離感で俯瞰的な視野をもちながら関わろうと思っていたのです。ん~なかなか思うようにはいかないものですね。

しかもですね。

教員として通っていたのは、休日も含めて2週間ほど。うん。実質10日ほどしか行ってないと思います。

正直、今でも自分の中では消化しきれていないこともあります。どう考えたって、現場に迷惑をかけていましたし、たぶん現在進行形でかけているとも思っていますから。

でも。とりあえず今は仕方のないことだと思うことにしておきます。

いえ。現場の方々には本当にお世話になったと思います。短くても同じ時間を共有していたわけですし。実際お世話になりましたから。

ありがとうございます。

で、そのあたりのことをちょこっと今日は書いてみます。

初めは順調だった

さぁ、4月1日。二度目の。これまでとは一味違った自分として。教員の生活が始まりました。

もちろん学校は春休み。初任の時に感じていたクラスや校務分掌が発表されるドキドキ感を少し思い出します。そんな初日のスタートでした。

春休みといえども、もちろんやることは山積みです。担任は教室の移動がありますし。私は副担任でしたし、初めての学校でしたから、とにかく手伝うことを重視しました。まぁ、それしかできないともいえるかもしれませんが。(笑)

ちなみに知り合いの先生も何人かいました。なんなら、所属する学年も、もしかすると配慮(知っている方がいたので)されていたのかもしれません。

少しでも効率よくできないかな~とか考えながら過ごしました。

「ここをこうすればいいかも」「この仕事をすればいいかも?」
「わ、こんなシステムも導入されていたのか!」「これは便利だぞ!」
「ん、便利だけど忙しくなっても使えるのか?」

久しぶりの学校(といっても2,3年ですけど)だったので、改善されているところもありました。まぁ今回の学校に限ったことかもしれませんが。

初日。二日目。そして土日。とりあえずいい感じです。帰ってきたら、その日気付いたこともメモしました(そのうち投稿するかもです)。

休み明けの週はついに子どもたちもやってきます。先生たちもいよいよ近づく新学期に向けて、ギアをどんどん上げていきます。それを手伝いながらも、私自身も担当する教科の勉強や引継ぎを受け、少しずつですが準備を進めていました。

ただ、どうしても、自分の担当は後回しになりがちでした(受け持つ授業のことです)。ん~ここは今考えると反省点かもしれませんね。担任よりは空きの時間もあるし…と余裕ぶっていたこともあるかもしれません。まぁ、実際のところ、初めての学校なのでついて行くので精一杯、ということもあるかもしれませんが。

突然に、でも必然に

始業式です。元気よく子どもたちも登校してきます。まずは赴任していた先生たちの挨拶。テレビで。これは、最近の新型コロナ対策で仕方ありませんが、気を遣わないといけない部分が増えたのだな、と改めて感じました。

そして、担当する学年の子どもたちの前で新しい担任や副担任の挨拶です。自分では、ある程度うまくいったつもりです。(ここまでが最高潮だったかもしれません。笑)

次の日。そして土日をはさんで…



(ムクッ)

「はやく○ななきゃ。○なないと許してもらえない。はやく。」

本来出勤すべき場所ではなく、近くの山へ向かって(なのか他のどこかを目指していたのかわからないけど)外へ飛び出していました。


ごめんなさい。さっぱりわかりませんよね。うん。
でも、あまり細かいところまで言うとよくないと思うので、ここはご勘弁ください。とにかく言えるのは、

人には相性がありますよね。

ってことです。
それも、相手が意地悪な人だ、とかじゃなくて。ただ。ただシンプルに。

自分と合わない。

ってことが往々にしてあるってことです。どちらに非があるとは言いませんし、ていうか言えません。だって、お互いの信念がぶつかって「感じ方」が違うだけの話ですから。ただ、そのときの自分は、うまく処理しきれなかったみたいです。

結局あんまり覚えてない

それからの日々は…。あんまり日が経っていないはずなのによく覚えていません。不思議なものですね。

ただ、相も変わらず自分を責め。実際に行動に移すのは勇気がないので想像の中で…。

あ、そういえば、どこかへ行ってしまったその日(月曜日)は、結局、相方(うちのパートナーのこと)に迎えに来てもらいました。

結局電話も持って行ってたし、電話にもついつい出てしまったんですよね。だから心の中では、かまってほしかったのかもしれませんね。当時を振り返って(まだそんなに経ってないけど)、相方は「これはやばい。」と思ってすぐに病院へ連れて行ってくれました。診察中はずっと下を向いていたと思うけど、もうその日からお休みをいただくことが決まりました。

相方は二人目の育休中で。もちろん子どもたちも家にいるのに。そこからは、布団の中でただひたすらにくるまっている日々でした。

少しずつ…?

そんなこんなで。たった10日。しかも大きな役職があったわけでも。身内に不幸があったわけでもないのに。
(今はそんなこと関係ない!と言い切れる…と思いますが。)

二度目の「うつ」になりました。

今はだいぶ落ち着きましたけど(そうじゃなきゃ書けませんが)。ある時期から、近しい人からは何の連絡もなくなって心配されていたようです。

もちろん家族にも。とくに相方は、私が「たった10日。」なんて言うと

「辛いのに時間は関係ない。それに、同じように苦しむ人にも”そんなこと”だなんて言えないよ。とにかく大丈夫だから。ゆっくり休んで。」

と言ってくれていました。ありがたいことです。子どもたちにも心配をかけたと思います。長女は2歳でしたが、なんとなく察していたような気がします。

そんなこんなで、月日は流れ。初めにいただいていた3か月の診断書も延び、さらに3か月。1年契約だったので、それ以上は延ばせません(それでもかなり恵まれている方だと思います)。ということで自信もなかったので退職することになりました。

実を言うと、復帰する案もかなりあったんです。でも…かないませんでした。いえ、自分で別の道を選ぶことにしたんです。

ここに至るまで、少しずつ良くなっている、というよりかは。上がったり下がったり。下がったり下がったり。今日はちょっと上がったり。とかで。かなり変動的だったように思います。それでも、長い期間で見れば、確実に。ゆっくりでも。よくなっていきました。

最後に。

とまぁ。長くなりそうだったので、端折りながらですが、ご報告でした。また詳細は、気が向くようであれば投稿します。

では、今日も最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。よければまたお会いしましょう。では。

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