調和の喜び
戻れない羽化
戸田真琴さんの文章を偶然twitterのshe is の投稿で読んだ。
今の自分にぴったりすぎて、声に出して読んでみたら涙が零れた。
突然すべてが照らされてしまうような、ぱんぱんに膨れたまま固まっていたサナギが亀裂をやぶって弾けだすような、そんな一瞬の中。胸の一番奥深くで解るのは、「これは一瞬の奇跡じゃない」ということだった。
今かけられた魔法ではない。魔法なんて、信じない。だけど、すべてのあなたが私の中に貯蓄していった愛のかけらは。積み重なってついにはサナギをやぶった、その確かな重量は。それだけは、信じる。
手で触れる、目で見ることができる、言葉を交わすことができる、満ちたり欠けたりもする、愛。
それだけが、戻れない羽化へと導くのだった。
今あなたに、羽化の兆しが見られずとも、あなたが気づかない程にほんの、ほんの少しずつ、積み重なっている愛はある。あなたがこれを読んでくれているという事実ひとつだって、私の中に今、積み重なった。それと同じことが、あなたの身体の中にも起きているのだと思う。
世界を変えるのは、圧倒的な光でも、怪物級の巨大で強靭な愛でもない。かよわい私でも、繊細なあなたでもその両手で掬える星屑のような、ちいさなちいさなものだと思う。
ずっと続いていくという、その生命の営みと合わさって、初めてひらく羽根がある。
最初に読んだ時はおそらく11月。
羽化の兆しは全くなかったから、なんとなくの感覚で読むことしかできなかった。
それでも自分のことのような気持ちになぜだかなった。
もしかしたら私にも羽化の瞬間が訪れるかもしれないという期待と、一生変わらないという諦めを含んだ絶望。
羽化のきっかけとなった出来事はあるけれど、その変わり目は拍子抜けしてしまうほど一瞬だった。
気がついた時には(自覚した時には)すでに自分のアイデンテティ、拠り所、本体が別者になっていた。
今まで読んできた言葉、出会った人、経験。
積み重ねてきたすべてが集結して、15年以上びくともしなかった扉が突然に開いた。
今までに感じたことがないほど優しい光に包まれて、守られている、愛されていることを全身で享受した。
気がついていなかっただけで、私の行いに関わらずずっと温かいまなざしに包まれていたことも確信した。
報恩の誓い
人間にかなうわけがない。
それなのに目を背け、耳をかさず、さからい続けていた。
「生きてごらん」と差し伸べてくれている手が目の前にあるのに、自ら背を向けて振り払う。
授かったものを受け取らず、ないものばかり求め続ける。
もしも他者(他人)に対してこんな行いをしたら皆離れていく。
それなのに自然は…。
全く態度を変えることなく、なお愛を与え続けてくれるのだ。
数えきれないほどの眩い風景を見せてくれて、私に内在する授けてくれた灯りを消すこともしない。
傲慢。
申し訳なさと恥ずかしさで胸がいっぱいになった。
心がえぐられて、無音の深夜の自室で嗚咽が止められなかった。
それと同時に、満ち溢れるとてつもなく大きな愛に包まれた。
そうして私は誓ったのだ。
空の上の皆さん、両親、先生、友達。
いつも貰う側だったから、これからは真心を尽くしてお返しさせて頂くと。
私という容器に収まりきらない無償の愛。
さからうのをやめた途端に溢れ始める。
私は与えられた容器を満たすだけの愛しか受け取ることができない。
この枠を超えてこぼれる分は、身近な他者、大切な人たちにすべて与えよう。
それが、自分が満たされた状態で初めてできる奉仕なのだ。
自分を救えない人間が他の誰かの役に立てるわけがない。
自己犠牲をして他者に尽くしてもそれは依存であろう。
大きい方の自分、魂の私(自然)にさからっていたら、遅かれ早かれ機能不全状態が訪れる。
調和がとれなくなって気づかされる、ということもあるとは思うが。
これから羽化した新しい自分と一緒に歩いていけるのが楽しみだな。
よく分からない自分
「自分のことは、あまり自分ではわからないものなのですが、神様が知っていますので、感謝をして、日々すごしていたらいいのだと思っています。」
Soniiさんがコメントのお返しで下さったメッセージ。
素直に受け止めることができた。
私は宗教についてのこだわりはなくて、神様、仏様を一緒にイメージして手を合わせることも多い。
私にとって神様は神性を感じるものの象徴だ。
神性をとは、存在しているけれど、いかにして作られたか人智では到底分からないもの。
つまり、人間が意図的に意志を持って作った物事を除いたすべてを意味する。
太陽、空、海、言葉、人とのご縁、生死の不思議、自分がこの「Rei」であること。
挙げたらキリがない。
自分の得意、苦手、好き、嫌い、性質、性格も。
文章を書いている時も泉が湧くように言葉が出てくる。
何か大きな存在と一体化している感じがして、「自分で書いた」とはあまり思っていない。
これも最近自覚したことなのだけれど。
言葉を介してやりたいこと
昨日、サークルの先輩(Aさん)と遊びに行った。
私のnoteを読んで下さってとても嬉しかった。
「内容ももちろん深いのだけれど、私はReiちゃんの文章の書き方や言葉の使い方がすごく好きなのでこれからもぜひ続けてみてほしい☺️」
皮を破る前の私だったら、「大好きなAさんに褒めてもらえて嬉しすぎる!」と手放しで喜んで、「人生で1番幸せ♪」とルンルンした気持ちで有頂天になっていたと思う。
でも今日は自然と涙が出てきた。
嬉しい、というのは一緒なのだが、その気持ちが湧き上がってくる深さが全く違った。
ありのままの私を見てもらえていると感じた。
文章は、ちっぽけな私(サークルと学科が同じ後輩、喫茶店でバイトしてる女子大生、などのすべての肩書と属性)を超えた、宇宙から授かった何かの力(天性、魂の自分)にアクセスして、それを「属性の積み重ねでできた私」(小さい方の自分)と調和させながら書いているから。
言葉を介した翻訳、交信。自分との対話だ。
無意識と意識、具体と抽象の行き来、目に見えるものと見えないものの往復をして内面世界がどんどん多彩になっていく。
語彙を増やしていくごとに細部まで表現できることが嬉しい。
小4の時に誕生日プレゼントに母からもらった百色色鉛筆。
こんなに色があるのかと感動するが、語彙の多様さはそんなレベルじゃない。
考えはそれだけで宇宙旅行ができてしまうほど広大。
でも言葉はフィクションの域を出ることがない。
目に見えない世界は言葉を使って共有する以外の術がない。
だからできるだけ忠実に、狭義に絞る語彙がほしい。
マクロとミクロを自由自在に行き来できる唯一の手段が考える行為なのだと思う。
求めるのをやめたら、手に入った
今までは分からないことが怖かった。
全知全能になりたかった。
他者に自分の考えを否定されると、他者の考えを変えさせようとしていた。
今は違う。
自分のことが自分でよく分からなくても、それに対する恐れはない。
そればかりか「これが自分!」と思い込むのをやめたことによって、勝手に内側から言葉が溢れるようになった。
夢、天国。
生まれ変わらなくても辿り着きたい場所に来られた。
求めるのをやめた途端に、望むものがあちら側から自ずと目の前に現れる。
こんな夢みたいな話、信じられるかって?
信じるんじゃなくて実感。
すべてが万全のタイミングで合致する。
なんとなく向かった都庁の展望台で美しい青空が見れたり、偶然入った建物に2人とも好きな抹茶のお店があったり。(笑)
ちっぽけな自分を消していくことで、曇っていた本来の自分が目覚め始める。
そして自ずから、どこまでも個性的な人間になっていく。
逆説的だけれど、これが身を持って知る真実だ。(やっと入り口に立った)
以前はとにかく外に求めていた。
「これが食べたい」「○○先輩に会いたい」「友達にも会いたい」「コスメが欲しい」「勉強もしなきゃ」「動画も観たい」「料理もできるようになりたい」
あれもしたい、これもしたいで1日24時間に追われるようにして、心が雑然としていた。
時間は守れず、いつも過去と未来が頭の半分以上を占めていて、生き急いでいる感じ。
どこに向かっているのか分からなくなった。
行きつく先を見失ったまま目先の刺激に惑わされていた。
求めるのをやめた途端、時間が流れるイメージが失われた。
ただ「今」が断絶している。
「明日」と「十年後」が同じくらいのところにある。
過去、今、未来が全部ここにある。
後悔と恐れにむしばまれていたはずの心の病みはあっという間に消え去り、晴れ晴れしさが残った。
もう一人の自分との調和
Aさんが、「私が就活の時にした自己分析をReiちゃんはもう3周くらいしてるみたい(笑)10代でそこまで行ってるのすごい」と仰った。
これも、以前までの自分だったら「私ってすごいのかも?」とテンションマックスになり、舞い上がっていたことだろう。
でも奥に冷静なもう一人の自分がいた。
大いなる存在が導いてくれたからだなと落とし込めた。
そしてしんとした、静かで深い喜びが底に漂った。
ラフマニノフの曲のような重さ。
(もうちょっといい比喩ないかしら)
大きい方の自分(魂の私)も小さい方の自分(肩書、記号、役割、属性による私)もAさんのことがスキ。
だから約7時間一緒にいても全く疲れない。
とても良い波動で満たされていくのが分かりました。
『「ありがとう」がエンドレス』 田口ランディさんの本の通りだな~。
本当にありがとうございます!!
それでは。
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