青天を衝け第41回/最終回を迎えても渋沢栄一を知る旅はまだまだつづく
渋沢栄一×ラジオ
日本におけるYoutuberの先駆者とは誰でしょう?
渋沢栄一です、知らんけどw
渋沢栄一の生きている間にテレビ放送はまだ始まっていなかったので
ラジオ放送なんて当時は画期的な技術だったことでしょう。
自宅からの生放送をしたのは渋沢栄一が初なのかな?
当時の放送機材は今と比べたらきっとサイズも重さもあったろうし
なんかきっといろいろ場所も取ったはず。
となれば栄一ぐらいのお金持ちの邸宅じゃないと
宅録は難しかったのかもなーなんて思ったり。
世界中にインターネット網が張り巡らされた現代なら
スマホさえあれば誰でも簡単に生配信できちゃうし
日本どころか世界中に発信できちゃうんだけどね。
あのラジオ放送は1931年9月6日のことで
栄一が亡くなる2カ月ほど前の出来事だったようだ。
ちなみに初めて日本でテレビ放送が始まったのはいつでしょう?
NHKの記事によると本放送の開始は1953年2月1日の事らしいけど
公開実験放送を含めると、その初めては1939年5月13日で
日本で初めてテレビドラマの実験放送がされたのが1940年4月13日。
1939年ということは
渋沢栄一が1931年に亡くならず
本人が望んだように『100歳まで』生きていたなら
テレビ放送を見る事ができたのかもしれない。
そう思うとなんだかちょっと感慨深いな
と思うと同時に
刀持って歩いてた人がテレビ見れる時代まで生きてるのは
コメディとかマンガの世界みたいで
ある意味滑稽だなと思ったりもしてしまう。
技術革新のスピードは時代と共に速まっているので
今の時代の100年と栄一の時代の100年ではだいぶ違いがあるだろう。
だとしても目まぐるしく社会が変わっている時代に
渋沢栄一という”巨人”が永く日本社会に棲みついていたことを
あのラジオ放送で実感させられた気がする。
「青春はつづく」
最終回のタイトルは「青春はつづく」だった。
青春時代の幕末から老齢となった昭和まで
生涯その場に留まることなく余生を楽しむでもなく
日本のために行動し続けてきた
渋沢栄一の人生そのものを端的に表していて
栄一が亡くなる最終回に最も相応しいタイトルだと思う。
『青天を衝け』のタイトルって基本的には
栄一の名前が入るものがほとんどで
例えば初回は「栄一、目覚める」だし
篤太夫に改名後の第15回は「篤太夫、薩摩潜入」だったし
前回第41回は「栄一、海を越えて」だった。
その一方で栄一の名が入っていないタイトルが
以下の通り、今回の最終回を含めて全部で6回ある。
第11回「横濱焼き討ち計画」
第16回「恩人暗殺」
第18回「一橋の懐」
第24回「パリの御一新」
第33回「論語と算盤」
第41回「青春はつづく」(最終回)
これを見るとわかる通り
栄一の人生のターニングポイントとなるような
特に大事な回ばかりがズラリと並んでいる。
そこにはその回に対する制作陣の強い思いも
込められているのかもしれない。
最終回には名前がタイトルに入っても入らなくても
どっちでもしっくりくる気がしてたんだけど
名前を入れないことによって
よりメッセージ性が強まったのではないか。
そして「つづく」という言葉のせいか
不思議と『青天を衝け』が終わったことに対する寂しさを
思ったほど感じていない自分がいる。
それは放送中封印していた関連書籍の読み漁りや
渋沢栄一を始めとして明治以降に活躍した
政財界の人々をもっと深く知る旅が待っていて
終わっても胸がぐるぐるしっぱなしだからだ。
『青天を衝け』は放送終了したけど
『青天を衝け』を巡る旅は、まだまだつづくのだ。
1年間引っ張ってきたキーマン
個人的には『青天を衝け』は歴代最高大河ドラマ。
といっても『青天を衝け』含めて全60作品を見てるわけじゃないし
過去作と比べる事自体にもあまり意味は感じない。
つまり「歴代最高」というのは言葉の綾みたいなもので
そう言いたくなるぐらいの面白さが
『青天を衝け』にはあった、ということ。
そんな『青天を衝け』の魅力は何だったのか。
考えだしたらあれもこれもと
キリがないぐらい思いつくけど
登場人物の観点からいけば
やはり渋沢栄一と徳川慶喜公、
そしてその二人の糸を紡いだ平岡円四郎。
この三人の人としての魅力と三人の関係性が
物語の中でも一番の魅力だった。
それぞれを演じた吉沢亮さん、草薙剛さん、堤真一さんの
演技力の賜物でもあるのかなとも思う。
でも実は『青天を衝け』を一番牽引していた人物って
語りの徳川家康公だったような気もしている。
栄一の時代にはとっくの昔に亡くなっていて
もはや神格化されちゃってる家康公。
当然メインストーリーに出てくるわけがない。
視聴者と同じく『青天を衝け』を外から眺めながら
ちょっと説明を入れてくるだけなのかと思いきやー
『こんばんは、徳川家康です。』
という家康公の第一声で始まった初回放送。
まるでチャンネル開設したYouTuberが
『配信始めましたよ』
みたいなノリで言ってるように感じちゃって
あれが妙におかしかった(笑)
そうなると次回放送が気になってきちゃって
来週も同じく冒頭出演なのかな?
次回は何を喋るんだろう?
みたいにソワソワし始める。
これはもう完全に徳川家康チャンネルのリスナー気分だ。
あの家康公の第一声で心を掴まれてしまった視聴者は
沢山いる気がしてならない(笑)
だってそれ以降、家康公の動向に
視聴者は注目しっぱなしだったでしょ?
語りがあの家康公じゃなくて
ごく普通に俳優さんが語るのみだったら
最終回まで『青天を衝け』が盛り上がれたかどうか
いや盛り上がれなかったに違いない!()
タヌキじじぃ恐るべし
これがインフルエンサーの力か(笑)
『青天を衝け』はすべてが予想外だった
前回の感想でもちょっと書いたし
なんならことある毎にどこかしらで言ってることだけど
『青天を衝け』をこんなにも楽しめるとは
まったく予想していなかった。
もしも初回で何も感じなかったら
この感想記事を完走することもなくて
序盤の数回でドロップアウトをしていた可能性すらある。
それぐらい興味が無い主役で興味が無い時代
の、はずだったのだ。
ぶっちゃけ明治時代に入っちゃったら
視聴するモチベは完全に失せるかもな~
ぐらいに思っていたのは事実だ。
それが前述の主演三人にハマる内に
知らなかった人物たちの動向にも興味を持ち始めて
近代日本の成り立ち自体にも関心が向くようになり
今まで自分が持っていた幕末以降の歴史に対する価値観は
完全にひっくり返されてしまった。
でも何よりも予想外だったのは
渋沢栄一という人物のスケールの大きさ。
よく言われている「日本の資本主義の父」という肩書は
渋沢栄一を表すほんの一握りの言葉でしかない。
渋沢栄一が日本の近代史においてありとあらゆる分野で
絶対不可欠な大きな存在であったことを
『青天を衝け』でまじまじと感じさせられたからこそ、そう思う。
放送開始前はお金儲けの匂いがプンプン漂う人なんだろうな~
なんて勘違いしていたことが本当に恥ずかしいし
渋沢栄一に心から謝罪をしたい(笑)
歴史上の偉人で尊敬する人物は誰ですか?
歴史上の人物って遥か遠い昔の話なことが多いし
史料も少なかったりすると
より妄想を膨らませやすいのが楽しんだけど
でもやっぱりどこか現実味がなくて
『歴史上の人物で尊敬する人って誰?』
と聞かれると
ちょっと躊躇してしまうところがあった。
個人的には実在像がよく見える人物じゃないと
尊敬するまでには至らないのかなと思う。
でも今同じ質問をされたら即座に秒で答えられる。
『渋沢栄一』と。
覚えきれないほどある数々の業績もさることながら
渋沢栄一の基本理念や道徳観など
あらゆることに今では尊敬の念を抱いている。
それはフィクションと感じる部分よりも
ノンフィクションとして伝わる部分の方が多いからで
渋沢栄一が昭和時代まで長生きてしてくれたことが
大きく関係しているだろう。
それに渋沢栄一はもう一つ大事なことを思い出させてくれた。
自分が小学生の頃に不慮の事故で亡くなってしまった祖父が
そういえば生前、渋沢栄一や渋沢家について話していたことを。
当時は何を言っているのかよく理解できていなくて
『青天を衝け』を見るまですっかり忘れていたんだけど
栄一がそれを思い出させてくれたし理解もさせてくれた。
それが何かは祖父と自分の秘密なので
ここで具体的な事を話すつもりは一切ないんだけど
渋沢栄一を蘇らせてくれた制作陣、吉沢亮さんには感謝でいっぱいだ。
胸がぐるぐるする1年間を本当にありがとうございました!
そして渋沢栄一翁、2024年にまたお会いしましょう!(完)
付録的なものたち
【公式がつぶやく【#青天ナビ】からの抜粋】