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青天を衝け第1回/オンテレーレンを探す旅

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」に続き
放送が始まった「青天を衝け」。
個人的には戦国時代と幕末以外は
あまり興味が無かった時代が長い。
そのため「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一が活躍した
明治時代以降や近現代史はまったくの無知。

平和な時代に生きる方が断然好きなのに
戦乱の時代の歴史じゃないと興味が持てない
ていうのはわりとよくある話?
なのかどうかはわからないけど
時代がちょうどあまり興味ないところっぽかったので
「青天を衝け」の制作決定時は
申し訳ないけどほぼ興味ゼロだった、すんませんw

ところが、この渋沢栄一という人
よくよく調べてみたら
あの坂本龍馬と年齢が4つぐらいしか違わない。
以下はWiki情報だけど
坂本龍馬の誕生日は天保6年11月15日(新暦・1836年1月3日)で
渋沢栄一は天保11年2月13日(1840年3月16日)だった。
しかも渋沢栄一って長生きで昭和の時代も生きていた人らしい。
亡くなったのが1931年11月11日。
満91歳で亡くなったらしいけど、なんか1並びで縁起がいいw
昔は元号がコロコロ変わってたから江戸時代だとそう珍しくはないけど
幕末を経て明治・大正・昭和って生きた偉人も
そんなに多くないのでは?知らんけどw

あとTwitterでも関連したことをつぶやいたんだけど
Wikiに掲載されている渋沢栄一の姻族関係図が
バカ大きすぎてわけがわからない(笑)
幕末から明治の日本を牽引してきた大物たちの名前ばかりで
天皇家も入ってるし、現代でいえば安倍晋三元総理や
麻生太郎副総理の名も入ってたりして
ああこうやって日本を動かす人たちは繋がってるんだな
と思いながら眺めていた。
が、そこへ止めを刺したのがジョン・レノンの名だ(笑)
ジョン・レノンはあのビートルズのジョン・レノンだ。
世代を超えて愛されるイギリスのロックバンド、
ビートルズのジョン・レノンだ。
漢字だらけの姻族関係図なだけに
ちょっと浮き気味にそのカタカナ名が浮かび上がるw

渋沢栄一とジョンレノンの関係w

どうやらジョン・レノンの奥さんの家系が凄いらしい。
そんなに興味もないので詳しくは調べなかったw

というようなこともあって
渋沢栄一は何気に坂本龍馬たちと同じぐらいの世代だし
好きな幕末の時代から物語が始まるということもあって
ちょっと興味が湧いた状態で初回放送を見ることができた。

そして始まった初回放送の第一声は
「こんばんは、徳川家康です」
というナレーション役の徳川家康のセリフ。
アナウンサー徳川家康のニュース番組が
これから始まりそうな雰囲気を醸し出してたのがとても良かった。
この徳川家康の冒頭の挨拶は視聴者のウケも良かったのではないか。
初回放送のMVPはナレーションの徳川家康といっても過言ではないw
ナレーションを務める徳川家康を演じるのは北大路欣也さん。
北大路欣也さんといえば、大河ドラマだと「花燃ゆ」で
「そうせい侯」の毛利敬親役だったのが記憶に新しい。
でも最近だとやはりTBSドラマ「半沢直樹」の印象の方が強いか。
いずれにしても偉い人役がとってもお似合いの俳優さんだ。
かっこいいお爺ちゃん。

そういえば先週最終回を迎えた「麒麟がくる」。
おそらくあの世界線で麒麟を呼ぶことができた人物は
徳川家康なんだろうけど
麒麟を呼んだ徳川家康が「麒麟がくる」に続く「青天を衝け」の
ナレーションを務めるのは何か意味がありそうな気がしてしまう。
それは考えすぎで「麒麟がくる」との繋がりは何もないんだろうけど
ちょっと「何かを」期待してしまうのは私だけではないはずだ。
それに、自分自身が開いた江戸幕府の終末を
ナレーションとして見届ける徳川家康ってちょっとシュール。
どんな思いで幕末の時代とその先の未来を見ていくのか
大政奉還の時にどんなナレーションが流れるのか
気になるポイントではある。
なんか今の所ネタ的扱われ方が多くなりそうな気配?(笑)

さてこの徳川家康の冒頭ナレーション、
自慢話満載で結構長かったけど(笑)
文久4年(1864年)の京に。
文久4年っていうと何が会った年だっけ?
と思って調べたら、池田屋事件や禁門の変の年だった。

前年、八月十八日の政変によって
京から追い出されていた長州藩士を中心とした尊王攘夷派勢力が
会津藩主であり京都守護職の松平容保打倒を掲げて挙兵する。
京都市中で始まった市街戦により京の多くの家が消失し
その戦火は帝のおわす御所にも。
結局長州勢は多くの要人たちが戦死するなど
大敗を喫してしまうのだが
京都御所への攻撃もあったことから長州藩は「朝敵」にされてしまう。
この禁門の変の際に幕府側の指揮をしていた一人が徳川慶喜。
将軍後見職であり福井藩主の松平春嶽と共に文久の改革をおこなった人、
そして江戸幕府最後の将軍なのは有名だろう。
渋沢栄一が京へ出たのは八月十八日の政変直後だったらしいので
徳川慶喜の京での出会いは
禁門の変の起きた前後のことなのかどうか
その辺はよくわからない。
何しろ天保15年(1844年)に飛んでしまったので(笑)
「麒麟がくる」だと十兵衛の前半生が不明なこともあってか
青年期からのスタートだったけど
渋沢栄一は書物やら何やらで伝わってることも多いだろうから
幼少期からのスタートになったのだろう。
きっと幼少期に出会った人たちが渋沢栄一の将来に
大きく影響するようなストーリー展開になるはず。
よく知らないけどきっと高島秋帆はその一人?

正直な話、渋沢栄一が登場する本(記憶に残るレベルで)を
多分過去に一度も読んだことがないし
ドラマも見たことが無いので
渋沢栄一視点で出てくる人物は個人的に新鮮だ。
要するに、よく知らない人たちがちらほら出てきそう。
高島秋帆もその一人で、正直知らない。
なんとなく名前は見聞きした記憶があるような無いような……
ていうぐらいのレベルだ。
歴史好きといっても知識がめちゃくちゃ偏ってる時点で
歴史好きとか語っちゃいけないんじゃないか
とか最近よく思うんだけど、それはまた別の話。

高島秋帆を玉木宏さんが演じてるし
きっとキーパーソンの一人だろう
なんてメタいこと考えながら見ていたら
高島秋帆が口にした蘭語が気になって仕方なかった。
罪人として岡部に囚われの身の高島秋帆を見にいこうと
友人たちと夜中にこっそり出かけた渋沢栄一。
番犬?に吠えられて友人たちとははぐれてしまった渋沢栄一だが
何やら小さな声が聞こえてくることに気づく。
その小さな声を辿っていくと目的の罪人、
高島秋帆が囚われている牢に辿り着くことができた。
この辺は主人公スキルが働いていたが故だろう(笑)
牢の側にやってきた少年と会話を始める高島秋帆は
この国の将来について語りだす。
その時の高島秋帆のセリフがこちら。

『私は長崎で生まれた。
出島で砲術を学び
シーボルトやスチュルレルからナポレオンの話を聞き
ゲベール銃やモルチール砲を取り寄せ
肥後や薩摩ひいては江戸でもオンテレーレンした』

ちょっと待て。
なんで最後の動詞っぽいとこだけ外国語なの?(笑)
この”オンテレーレン”が気になったので
Google先生に聞いてみたんだけど
どうやらGoogle先生にもわからないらしい(笑)
仕方がないので文脈や高島秋帆の人生から推測してみた。

ここから「オンテレーレン」を探す旅が始まった。

高島秋帆は長崎生まれの砲術家。
自分でも言ってるとおり、長崎でオランダ語や西洋砲術を学んで
高島流砲術ってのを創始したらしい。
その後は幕府から砲術の専門家として重用されて多くの門人に
高島流砲術を広めたっぽい。
言わずもがなこの辺は全てウィキペディアの情報受け売りなので
正確性はよくわからないがw
で、問題の”オンテレーレン”に話を戻そう。
おそらく”オンテレーレン”は蘭語、つまりオランダ語だろう。
文脈的には「学んだ」か「教えた」か
どちらかの意味になりそうな気がする。
流れ的には「学んだ」の方がしっくりはくる。
でもセリフの冒頭で『出島で砲術を学び』と言っているので
わざわざオランダ語で言っているのは
「学ぶ」とは違う意味だからなのかなということで
「教える」の方が適切な気がする。
当時既に西洋砲術伝授側の立ち位置にいたことを鑑みても
「教える」が正解な気がする。

そしてここからはGoogle翻訳先生の出番だ。
Google翻訳でオランダ語で「教える」の単語を調べたら
出てきたのは「dingen om te leren」。
これは「教えること」っていう意味らしい。
なんかちょっと余計な単語くっついてるけど(笑)、
「om te leren」は「オンテレーレン」っぽい。
じゃぁ「om te leren」はどんな発音でどんな意味?
と思って調べてみたら
発音は「オンティリーラ」に聞こえる。
意味は「学ぶために」だ。
これはもう間違いない!
「オンテレーレン」はオランダ語で「om te leren」だ!!
でも意味が「学ぶ」方の意味だと
なんでわざわざオランダ語で言い換えたのかが疑問に残る。
最初は日本語で「―学び」って言ってたのに
言い換えたのは意識高い系だからですか?(笑)

というわけで
「オンテレーレン」の旅は終わった気でいるけど
オランダ語は単語も文法もさっぱりわからないので
有識者の見解を詳しく聞きたいところ。
「om te leren」について教えてくれる
オランダ語の先生を募集中。
そもそも「オンテレーレン」=「om te leren」で正しい?
いや、その前に「オンテレーレン」がオランダ語という前提も
確定事項ではないのだけど(笑)

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