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この世は空(くう)【音声と文章】

山田ゆり
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毎日投稿しているnoteだか、何を書けばいいのか分からないことが多い。

書くことがないというよりも、
「こんなこと、書いていいのか」と迷っている。

毎日の思いを日記のように書けたら楽である。
しかし、その中には、ホワイトな自分もあれば
ブラックな自分もある。


特に意図してブラックなことを書こうとしなくても
日々の出来事を記すと、ブラックな内容になってしまうことがある。

そのまま書いてしまうと誰かが傷つくかもしれない。
だから筆が進まない。



ところで
目の前に起こっていることは、「真実」だと思う?
見えていることをそのまま書いたものが「正しい」と思うか。


これまではそう思っていた。
「これが真実です」
そう、胸を張って言えていた。



しかし、人には感情がある。

例えば暗い部屋に一人いた時の状況を
「絶望」「失敗」「悲しみ」を前面に出して表現する人もあれば
そのような中、一筋の光を感じると表現する人もいる。


目の前にあるのは「私」が感じた世界であり
別の人が見たら別の世界が見えているはず。



「自分」は自分にとって大切な存在である。
この世になくてはならない存在である。


しかし、例えば交差点に立った時に、周りを見回してみると
たくさんの人が立っている。

その人達もそれぞれ、その人にとって、なくてはならない存在である。


でも、「私」から見て他人は、私の世界では無関係なのだ。
そこに居てもいなくても同じということ。

逆に他人から私を見ても同じことが言える。


どういうことかというと
親からみて私は二女。
姉からみて私は妹。
夫からみて私は妻。

会社にいると私は会社員。
学校のPTAの集まりで私は〇〇ちゃんのおかあさん。
交差点で立っている他人から見ると私は知らない人。
居ても居なくても関係ない人。


どれが本当の私か?
どれも本当であり、私を見る相手によってその見え方は変化するのだ。


つまり、この世は空(くう)なのだ。

「私」という物体は「在る」と思っているが見えているからそう思っているだけで本当は無いのだ。

「私」という情報が目の前にあるだけ。
「私」は何者でもない。

何者でもないということは、何者にもなれるということ。


これを拡大解釈すると、私が以前、noteで書いた「シフトドア」は実現可能だと思う。

↓ シフトドア(妄想の世界)
https://note.com/tukuda/n/n6630e7c0f1df



誰か、シフトドアを作ってくれないかなぁ^^







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山田ゆり
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