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辞令の中は【音声と文章】
山田ゆり
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のり子は就職活動をしていた時に「事務職」をしたいと思っていた。
社会経験のない女子高生のほとんどは事務職を希望するものだ。
のり子がこの会社の就職試験の面接の時に
「事務職の採用枠があまりないから販売職になります。それでもいいですか」と聞かれて、
「事務職の枠が無い場合は、御社には就職をいたしません。」とのり子はお答えした。
後で知ったのだが一緒に試験を受けた皆さん全員同じ質問をされ、「販売職でもいい」と答えていたとのこと。
幼なじみのアツコもそうだったと後で聞いた。
だから自分だけ就職試験に落ちたと思っていたがなぜか内定通知が届いた。
事務職の採用枠がほとんどない状況で内定されたのだから、のり子は販売職になると思った。人と話をするのが苦手なのり子だったが、内定をお断りしたら後輩たちの就職にひびが入ると知っていたのり子はその会社に入社すると覚悟した。
厳しい研修を終え、入社式で辞令をいただいたのり子やアツコ達は寝台列車に乗り故郷に向かった。
寝るまでの間、アツコ達と話をした。
それぞれどんな売り場になったかを言い合った。
「のり子はどこ?」
アツコに聞かれた。
のり子は「事務になった」と答えた。
そうなのである。
てっきり販売職だと観念していたのに事務職として入社したのである。
周りの皆は目を丸くして驚いていた。
それもそうなのだ。
のり子の学校は進学校で、1年生の時は大学進学に向けた授業内容で、2年生になってから就職と進学のコースに分かれる。
そして就職コースのクラスはその時からそろばんと簿記が授業に加わった。
のり子達は卒業までに、そろばんと簿記は2級を取得した。
しかし、2級と言っても「全国高等学校〇〇協会」の認定であって、日商簿記2級ではなかった。
のり子達の取得した2級は日商簿記の3級に値するランクだった。
それに比べて幼なじみのアツコの高校は最初から就職を目標とした学校だから、1年生の時から簿記を習い、アツコ達の生徒は卒業までに日商簿記2級に合格していた。
事務職としての資格はアツコ達の方がダントツで優れている。
それなのにアツコ達は販売職で、のり子が事務職になったのである。
皆は羨望の目でのり子を見ていた。
のり子は何か悪いことをしたような気分になった。
のり子が大人になり当時のことを振り返ってみた。
あの当時、日本の経済は右肩上がりだった。のり子の学校の生徒は、就職試験を受けたらよほど変な人でない限り合格するようになっていたのだと思う。
会社としてはたくさんの人が欲しい。でも「販売職」の募集では人が集まらない。だから若干名の事務職求人を出し、それに憧れた世間知らずの学生が集まる。
面接の時に「販売職でもいいか」と聞いて、いいと答えた人を採用していたのではないか。
恐らく、のり子達もそうだったに違いない。
のり子の学校は百数十年の歴史があり、就職実績の中には大手企業の秘書課勤務の方が数名いらっしゃる、県内でも有名な女子高だ。
そのような立派な先輩方のお陰でのり子の学校の就職率はまわりの学校よりも高かった。
好景気な時代でもあったから、その頃、のり子の学校の生徒が就職試験を受けたら必ず合格するようになっていたのでなないだろうか。
そこへたまたま、「事務職がなければ入社いたしません。」というのり子が現れ、会社側としては仕方なく事務職として採用したのではないだろうかとのり子は思った。
のり子が入社して分かったことだが、昨年、事務職に高卒で入社された方が、今年、売り場異動されたそうだ。
しかもその方はのり子と同じ学校卒の方だった。
事務職は販売職とは違い、異動があまりない。それなのに彼女は僅か一年で売り場に異動になった。
のり子が事務職として入社するために同じ学校の先輩が売り場異動されたのだとのり子は理解した。
面接試験の内容を進路指導の先生にお話しし、落ち込んでいるのり子の話を聞いた先生がニヤリとしていたが、その笑顔の意味がのり子はやっと分かったような気がする。
試験を受けたら絶対合格するような時代でありそのような学校だった。
「事務職」として入社できれば、今後の就職を希望している生徒に対して「事務職に入社した」という実績の値がまた一つ増える。
これは学校としても進路指導の立場からも有利なことだ。
進路指導の先生は、のり子が事務職で入社できるとその時予想できたのだと、数年経ってからのり子は理解できた。
小6の時に一年間いじめにあったのり子は、友達に被害が及ばないようにと、あえて一人になることを選んだ。
そして中学へ進学し、虐めの本人とはクラスが変わったことでいじめは終わった。
しかし、自分から人に話しかけることができなくなったのり子は、中学・高校の間、クラスに友達という人がいない、寂しい学生生活を送った。
寂しくて惨めな過去とはお別れして、のり子の社会人としての生活がスタートした。
長くなりましたので、続きは次回にいたします。
※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1786日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。
どちらでも数分で楽しめます。#ad
~辞令の中は~
未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す
※今回は、こちらのnoteの続きです。
↓
https://note.com/tukuda/n/nba7839fff8d3?from=notice
社会経験のない女子高生のほとんどは事務職を希望するものだ。
のり子がこの会社の就職試験の面接の時に
「事務職の採用枠があまりないから販売職になります。それでもいいですか」と聞かれて、
「事務職の枠が無い場合は、御社には就職をいたしません。」とのり子はお答えした。
後で知ったのだが一緒に試験を受けた皆さん全員同じ質問をされ、「販売職でもいい」と答えていたとのこと。
幼なじみのアツコもそうだったと後で聞いた。
だから自分だけ就職試験に落ちたと思っていたがなぜか内定通知が届いた。
事務職の採用枠がほとんどない状況で内定されたのだから、のり子は販売職になると思った。人と話をするのが苦手なのり子だったが、内定をお断りしたら後輩たちの就職にひびが入ると知っていたのり子はその会社に入社すると覚悟した。
厳しい研修を終え、入社式で辞令をいただいたのり子やアツコ達は寝台列車に乗り故郷に向かった。
寝るまでの間、アツコ達と話をした。
それぞれどんな売り場になったかを言い合った。
「のり子はどこ?」
アツコに聞かれた。
のり子は「事務になった」と答えた。
そうなのである。
てっきり販売職だと観念していたのに事務職として入社したのである。
周りの皆は目を丸くして驚いていた。
それもそうなのだ。
のり子の学校は進学校で、1年生の時は大学進学に向けた授業内容で、2年生になってから就職と進学のコースに分かれる。
そして就職コースのクラスはその時からそろばんと簿記が授業に加わった。
のり子達は卒業までに、そろばんと簿記は2級を取得した。
しかし、2級と言っても「全国高等学校〇〇協会」の認定であって、日商簿記2級ではなかった。
のり子達の取得した2級は日商簿記の3級に値するランクだった。
それに比べて幼なじみのアツコの高校は最初から就職を目標とした学校だから、1年生の時から簿記を習い、アツコ達の生徒は卒業までに日商簿記2級に合格していた。
事務職としての資格はアツコ達の方がダントツで優れている。
それなのにアツコ達は販売職で、のり子が事務職になったのである。
皆は羨望の目でのり子を見ていた。
のり子は何か悪いことをしたような気分になった。
のり子が大人になり当時のことを振り返ってみた。
あの当時、日本の経済は右肩上がりだった。のり子の学校の生徒は、就職試験を受けたらよほど変な人でない限り合格するようになっていたのだと思う。
会社としてはたくさんの人が欲しい。でも「販売職」の募集では人が集まらない。だから若干名の事務職求人を出し、それに憧れた世間知らずの学生が集まる。
面接の時に「販売職でもいいか」と聞いて、いいと答えた人を採用していたのではないか。
恐らく、のり子達もそうだったに違いない。
のり子の学校は百数十年の歴史があり、就職実績の中には大手企業の秘書課勤務の方が数名いらっしゃる、県内でも有名な女子高だ。
そのような立派な先輩方のお陰でのり子の学校の就職率はまわりの学校よりも高かった。
好景気な時代でもあったから、その頃、のり子の学校の生徒が就職試験を受けたら必ず合格するようになっていたのでなないだろうか。
そこへたまたま、「事務職がなければ入社いたしません。」というのり子が現れ、会社側としては仕方なく事務職として採用したのではないだろうかとのり子は思った。
のり子が入社して分かったことだが、昨年、事務職に高卒で入社された方が、今年、売り場異動されたそうだ。
しかもその方はのり子と同じ学校卒の方だった。
事務職は販売職とは違い、異動があまりない。それなのに彼女は僅か一年で売り場に異動になった。
のり子が事務職として入社するために同じ学校の先輩が売り場異動されたのだとのり子は理解した。
面接試験の内容を進路指導の先生にお話しし、落ち込んでいるのり子の話を聞いた先生がニヤリとしていたが、その笑顔の意味がのり子はやっと分かったような気がする。
試験を受けたら絶対合格するような時代でありそのような学校だった。
「事務職」として入社できれば、今後の就職を希望している生徒に対して「事務職に入社した」という実績の値がまた一つ増える。
これは学校としても進路指導の立場からも有利なことだ。
進路指導の先生は、のり子が事務職で入社できるとその時予想できたのだと、数年経ってからのり子は理解できた。
小6の時に一年間いじめにあったのり子は、友達に被害が及ばないようにと、あえて一人になることを選んだ。
そして中学へ進学し、虐めの本人とはクラスが変わったことでいじめは終わった。
しかし、自分から人に話しかけることができなくなったのり子は、中学・高校の間、クラスに友達という人がいない、寂しい学生生活を送った。
寂しくて惨めな過去とはお別れして、のり子の社会人としての生活がスタートした。
長くなりましたので、続きは次回にいたします。
※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1786日目。
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~辞令の中は~
未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す
※今回は、こちらのnoteの続きです。
↓
https://note.com/tukuda/n/nba7839fff8d3?from=notice
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