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相続した「田んぼ」が売れました【音声と文章】

山田ゆり
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※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1676日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも数分で楽しめます。




おはようございます。
山田ゆりです。



今回は
相続した「田んぼ」が売れました
をお伝えいたします。



我が家は代々、お米と野菜の農家だった。
父が急逝し、その翌年、お婿さんである夫は会社を辞め専業農家になった。

私は会社員をずっと続けていて、定年退職になったら夫の農業をお手伝いしたいと思っていた。
いつかはネット販売もしようと考えていた。


一緒に暮らすアルツハイマー型認知症の母を自宅で介護しながらの生活は、ちょうど3人の娘たちの進学・就職時期と重なり、当時はてんやわんやだった。

そして、母の介護は突然、終止符が打たれた。
自宅のトイレで倒れた母はそのまま戻って来なかった。

父が亡くなって母が亡くなるまでの10年間は特に激動の日々だった。

母の死を悲しむ暇もなく過ごしていた1年後に夫が突然死した。


母の葬儀が終わって、「もう当分はこんなことないから静かに暮らせそうだね」と夫と話していた矢先の出来事だった。


私は夫から田畑を相続した。我が家の田畑は大きく分けて、「田んぼ」、「大きい畑」「小さい畑」の3つになる。

夫のいない我が家は、3人の娘たちと私の4人家族だ。
それぞれ仕事をしているから日中、田畑を耕せない。
重い農機具を持てない。

だから私は農業を諦めた。

田畑を貸したいという申請を農業委員会へ提出したが、全く反応は無かった。

農業をしないと決めた私は、それでいいものだと思っていた。

しかし、田畑は生き物である。
放っておくと草が生える。

耕作しない田畑を見に行くことが無かった私に苦情が来た。

伸び放題の田んぼの堰の草が、周りの田んぼへの水の流れを止めているということだった。

自分が田んぼを耕作しないのだから何もしなくて良いとその頃思っていたが、何もしなくても草の処理はしないといけないことをその時初めて知った。

最初は4時台に起きて田んぼの草を抜いていった。5時には朝の支度と朝活をして7時には家を出ないといけない。

忙しい日々が続いた。そして、思った以上に草取りは進まず、それをしてくださる方を紹介していただき、お金をかけて草を取ってもらうことになった。

労力は減ったが、その分、金銭的負担が出てきた。
その田んぼの草取りは年に3回、取らないといけなかった。


田んぼを持っているのに植え付けをしていないから収入はゼロ。
しかし、固定資産税や土地改良区の賦課金、草取りの手数料などの経費がかかる。

耕作しない田んぼを相続した場合、このように毎年、ただただ、お金だけが出てゆく。

よく、田畑は資産だと言うが、私の場合は負の遺産である。


早くこの田んぼは手放したかった。
農業委員会に出かけて田んぼは売却の手続きに変えた。
安い金額でいいから、誰か買ってほしい。そう思っていたが、買い手は4年間現れなかった。


農業委員会に、「タダでいいので手放したい」と相談に行ったら、「タダはできないことになっている」と言われ落胆した。


こうしてこれから先も、負の遺産の経費を払い続けなければいけないのか。
田畑は我が家にとって重い存在だった。


しかし、4年目の今年、この件は大きく動いた。
田んぼを買いたいという方が現れた。
農業委員会の調整委員の方が四方八方に話をされ、見つけてくださったのだ。

私たちは喜んだ。
田んぼがなかなか売れないのには訳があった。

田んぼのトラクターなどが通る道があるのだが、我が家の近くのその道が崩れやすくなっていて、U字溝を設置した方がいいと言われていた。
しかし、その工事には数十万円かかるそうだ。


耕作しない田んぼに数十万円をかける気持ちは私にはない。田んぼの道が良くないことが田んぼが売れない理由の一つになっていた。


それを承知で買って下さる方が現れたのだ。
売却金額は田んぼの道の状態を考慮して、本来の価格の5分の1の値段になった。
普通だったらそれに異論を唱えたいところだが、今は一日でも早くその田んぼを手放したい。
タダで売ってもいいと思っているからだ。


私は娘たちに話を伝えた。
娘たちはみんな、賛成してくれた。これまでの苦労や金銭的なことを私から聞いていたから、田んぼが売れたことを素直に喜んでくれた。


先日、農業委員会の調整委員の方が自宅に見え、申請書類をお持ち下さり押印した。


あとは農業委員会の会議に掛けられて承認されると金銭の授受をしたら農業委員会へ出かけて書類手続きをすれば良いことになった。


まだ手放したくない「大きな畑」のことは以前、noteに書いた。
愛着のある畑だから、まだ、「売る」ことはできない。当分、「貸す」方向で話はついている。

一方、この「田んぼ」には、愛着はない。
勿論、両親や夫、子ども達と一緒に田植えや稲刈りをした思い出はたくさんある。

夕焼けがあっという間に終わり、暗くなった田んぼに向かってトラクターのライトをあてながら稲刈りをした思い出もある。


でも、この田んぼは草取りの作業やあぜ道などに今後もお金がかかりすぎる。

この田んぼにあまり愛着がないのは、この土地はもともと、親戚の田んぼだったから。

我が家にはその親戚の方(Aさん)の敷地の近くに畑を持っていた。
その畑に行くためには、Aさんの畑の中を通ることになる。

親戚の大本家様が、「いつまで人の畑を通っているんだ。この畑と、少し離れたところにあるAさんの田んぼとを交換したらどうだ。」と言われていた。

父は最初それを拒んだ。
しかし、大本家様はことあるごとに父に言ってきて、次第にその回数が多くなってきた。なぜそのように強くおっしゃるのだろうかと思うほど。


そして父は諦めて、等価交換に同意し、今の田んぼが父に渡った。


しかし、これには実は、裏があったのだ。
いままで耕してきた父の畑に数年後、県の道路ができた。

大本家様のお婿さんは県庁に勤めていらっしゃる。

無学な父は、そんな情報は全く知らなかったのだ。

そして、Aさんはそのお金で豪華な家を建て替えた。



知らないということは損なのである。


そういういきさつを私は父や母から聞かされていた。

だから、この田んぼには、根底では愛着を抱いていない。


相続した「田んぼ」「大きな畑」「小さな畑」。
「田んぼ」は売り手が見つかった。
「大きな畑」は借り手が見つかった。


そして「小さな畑」も今年、大きな動きがあった。

それについては後日、また書くことにする。





今回は
相続した「田んぼ」が売れました
をお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。








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山田ゆり
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