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#仲間と作る本 ~いじめられていた時、私は何を考えていたか。【Twitterの考察】~

Twitterの中で、比較的「いいね」が多くいただけたものをご紹介いたします。

小学校6年生の時、一年間、いじめを受けていた当時、
「今、神様が私に試練を与えてくれているんだ。これを我慢すればきっといいことが巡ってくる」と思いながら過ごした日々を思い出しました。
いじめで苦しんでいらっしゃる方に、私の体験談をお伝えいたします。
長いのでお時間のある時にどうぞ。

勘違いされては困りますので最初に申し上げます。
私をいじめた人の悪口を申し上げるつもりは全くありません。

最近、とても落ち込む事があり、なぜなんだろうと、
思い浮かぶことをたくさん書きだしていたら、
今の性格は小学校6年生の時に受けたいじめが大きく関わっていて、
それが現在も尾を引いていると分かり、
自分の棚卸の為に書いてみました。

私は自分で言うのもおかしいのですが、
小学校5年生まではとても明るくてあねご肌で
友達が多く活発な少女でした。
背は小さかったのですが鉄棒やゴム飛び、うんてい、算数、音楽が大好きで、通知表には、「太陽のような性格でとても気持ちが良い」と書かれたこともあります。

しかし、小学校6年生の1年間、A君に突然いじめを受け、
私は、他の女子に被害が及ばないようにと、自ら一人になることを決断し、内にこもるようになってしまいました。

いじめの原因は、私が6年生の時にクラス委員長に選ばれてしまったから。私のクラスは5年生までずっとA君がクラス委員長をしていました。
野球部のピッチャーでスポーツ万能、背が高くて、爽やかで、誰もが一目置いていました。

だから私は6年生の時もA君がクラス委員長をするだろうなぁと思っていました。

ところが、クラスの女子が私を推薦しました。
私はA君にやってほしかったのですぐに断ったのですが、
多数決を取ったら私になってしまいました。
当時、A君に対して密かに思いを寄せていました。
A君は最後の学年もクラス委員長をすると思っていたらしく、残念そうでした。

それからA君からのいじめが始まりました。
中ズックを隠される、ランドセルを踏みつぶされる、机のふたを割られる、けがをしない程度にモノを投げつけられる、「臭い」「汚い」など、根拠のない言葉のいじめなど。

そして以前は爽やか君だったのに、体格が人より早く大人になり始めていたA君は他校のやんちゃな人たちとけんかをするようになり、
学校の番長的存在になっていきました。
A君の周りにはいつも数人の男子がいて、一緒に私をいじめました。

A君の指示なのか、A君の真似をしているのか、下級生の男子からも同じようないじめを受けました。

私は、仲の良い女子達に被害が及ばないように、自分から一人になることを決断しました。いじめを受け始めてからはいつも一人でした。
声をかけてくれる女子達がいましたが、
絶対、彼女たちを傷つけたくなかったので、自分から一人を選びました。

「今は、神様が私に試練を与えてくださっているんだ。
いつかは、楽しい日がやってくる。それまで、頑張るんだ、私。」
そう、自分に言い聞かせていました。

楽しいはずの運動会、遠足、修学旅行。
ずっと一人で寂しい思いをしました。

ある日の学活の日、「先生、A君がゆりさんをいじめています。」と言ってくれた女子がいました。
そして、その事が議題になり、結局、
「A君はゆりさんが好きだからいじめているんだ」と、先生が結論を出して終わりました。

それは半分本当だと思います。
本心を見透かされたA君のいじめは、その後エスカレートしました。

当時、いじめは先生が見ていない所で受けていましたので、
先生方はおそらくいじめの実態を把握していなかったと思います。

こういう場合、今だったら「不登校」になると思いますが、
その時代、「不登校」という言葉はありませんでした。
私は学校を休むという選択肢を考えもしませんでしたので、
ただただ、いじめられに行くために学校へ行っていました。

A君はどんどん体格が大きくなり、
もう、私が大好きだった頃のA君ではなくなっていました。

当時いじめられてとても苦しかったんだ、と、
私が40代位になった頃、母に初めて打ち明けました。
その時は母、
「言ってくれれば良かったのに。お前がそんなに苦しんでいたなんて、全く知らなかったよ。」と言われ、私はつい、母の前で泣いてしまいました。

「そうか、母に打ち明ければ良かったのかぁ」その時初めて気が付きました。
A君のお母さんと母は仲が良かったのです。
私はいじめられていても、まだA君が大好きだったから、
私が母に言えば、A君が叱られると思い、
それではA君がかわいそうだから、
母にも誰にも言えませんでした。

「死にたい」と何度も思いました。
「死にたい。でも、家族が悲しむから、家族を悲しませたくないから死ねない。」いつも、思いが逡巡していました。
もっと他に、誰かに救いを求めれば良かったと、
今では思いますが、当時の私は、
一人になること、一人で我慢する事しか思いつきませんでした。

死ななくてよかった。そう、思います。

私は、同じ学区の中学に進学するので、
A君とクラスが一緒になる可能性がありました。
私は中学校入学式のクラス発表の日まで、
「どうか、A君とは一緒になりませんように」と布団の中で毎日祈りました。

そして、クラス発表の日、A君とは別のクラスになりました。
その時は、世界がパーッと明るく感じました。
近視の私が初めて眼鏡をかけた時のようでした。

A君はその後、中学で番を張り、他校の番長たちとけんか沙汰を繰り返していました。

もう、怖いものはなくなりました。
これでめでたしめでたし、ではありませんでした。

一年間、人を拒絶することを続けてきたので、私は、
自分から人に歩み寄る方法が分からなくなっていました。
そして、「こんな事言ったら相手は傷つくんじゃないか」
「こんな事したら自分が傷つくんじゃないか」と、
そんなことばかり気にして、普通に人と接する勇気がなくなっていました。

ちょっとした勇気で友達を作ることができるのでしょうが、
当時の私は、怖くて人に話しかける事ができませんでした。

だから、休み時間も昼休み時間も独りぼっち。
お昼は、仲の良い友達同士で机をくっつけてお弁当を食べていましたが、
私はポツンと一人、自分の机で下をずっと向いてご飯を食べていました。
昼食の時間は喉がつまる大っ嫌いな時間でした。

集団の中の孤独をいつも感じていました。

女子はトイレや移動教室に行くとき、いつも二人で行動するのが多いです。
でも、私はいつも一人。

学校を卒業して何年も経った頃に、当時のクラスメートに会い、
相手から懐かしそうに声をかけられました。
当時、そんなに話したことが無い人からも。

そうなんです。私は独りぼっちでとっても寂しかったのですが、
誰かに何か声をかけられた時、いつもニコニコして答えていました。
集合写真を撮る時も満面の笑みを浮かべていました。
一人でお弁当を食べている時も、心はどしゃ降りでしたが、暗い顔はせず、一人を楽しんでいる風を装っていました。

だから、他人には私の「誰か、友達になって」の叫びは聞こえなかったけれど、私を暗い人だとは思っていなかったようです。
それが分かったのが、卒業後のクラス会。
フツーに「懐かしー」って私に話しかけてくる。

そうか、私の思い違いだったんだ。
私がちょっとだけ、勇気を出して相手に話しかければよかったんだ。
それを何年も後になって分かりました。

ちょっとした勇気、それが今でも出せないで、足踏みをしています。


意気地なしです。

理屈では分かっています。
分かっているのに一歩を踏み出せないでいる。
まだまだ、修行がたりないなぁと自戒します。

今回のTwitterは、Twitterやネットビジネスを50代から始めた私が、
無くした小学校6年生の一年間を取り戻すべく、リスタートしたという、
明るい気持ちでツイートしました。

でも、私の表現方法がつたなくて、
若い方に比べて私なんて・・・と思っている風にとらえられたようでした。語彙力、もっと勉強します。

今回は、いじめで悩んでいらっしゃる方に、
私のいじめ体験談をお伝えしました。
とにかく、生きていればいい事が絶対あります。
つらいでしょうが、どうか、生きてください。


もしも、つらいようでしたら、私でよろしければお話をお聞きいたします。むりやり叱咤激励なんかしませんのでご安心を。

長い長い文章を読んでくださったあなたに感謝申し上げます。

山田ゆり


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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【皆で作る感動、感謝のエピソード本】
~みんなの力で被災地の子供達の未来を応援しよう!!~

の発起人の拓さんの企画に賛同し、参加させていただきました。

私は「介護する人、される人、みんなが笑顔で暮らせたらいいな」を
仲間と作る本へ投稿させていただきました。
それだけ投稿するつもりでおりましたが

こちらの文章も載せて欲しいとのありがたいご意見をいただき
拓さんのご了承を得て、背中を押されて投稿させていただきました。

たくさんの皆様に感謝申し上げます。


https://twitter.com/takusan_soudan

#仲間と作る本



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山田ゆり
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