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旧宅の解体 その4 柱のキズ【音声と文章】
山田ゆり
00:00 | 00:00
※note毎日連続投稿1616日をコミット中!
1527日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも短時間で楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
旧宅の解体 その4 柱のキズ
をお伝えいたします。
50年以上住み慣れた旧宅の解体は、あっという間に内部解体されていった。
私のイメージする「家の解体」は、ショベルカーがやってきて、家をガーっと壊すイメージだった。
しかし、解体業者から「7月4日から内部解体に入ります」と言われ、解体は「内部」をしてから「外部」をするのだと分かった。
私は毎日、会社から帰宅後、すぐに旧宅を見に行った。
家の中はあっという間に変わっていった。
ほとんどが畳の部屋だったので、畳や襖が外された。
壁もどんどん、はがされていった。
一通り本日の変化を確認し、新居へ戻ろうとしたとき、あるものに目がいった。
それは、柱にベニヤ板が貼られていて、そのベニヤ板を下から思いっきりはがそうとして途中で止めたという感じだった。
我が家は築50年以上経つが、当時、親戚で家を建て替えることになり、古い家の柱や襖、建具などを父が譲り受けてそれらをふんだんに使って我が家ができた。
だから我が家ができた時、柱には以前の持ち主のお子様が貼ったであろうシールが貼られてあった。
襖も汚れなどが最初からあった。
それでもずっと借家暮らしだった私たちは「新居」がありがたかった。
キズや子どものいたずら書きなどがたくさんある柱は、そのまま使用されたところと、その柱に薄いベニヤ板を貼り付けたところがある。
お風呂場から出てすぐの玄関のところの柱にはベニヤ板が貼られていた。
私たちはそこに子どもたちの身長をマジックで書いていった。
名前と保育園のクラス名を書いた。
ぞう、ぱんだ、うさぎの3組しかなかったから何歳なのかはすぐに分かる。
小学校に上がってからは年齢を書いた。
柱のキズはどんどん上を目指して上がっていく。
その途中に私や母の記録もあった。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2023/07/20230706_0.jpg
私より大きくなった娘たちが私の身長を書いてくれた。
ただそれだけの板。
安っぽいベニヤ板だった。
家中の壁が取り壊され、家の骨組みがあらわになり、そのベニヤ板も下からはがされる寸前だった。
一気にそれをはがそうとしたが、柱のキズに気が付いたのか、その日は途中でベニヤ板のはがしが終わっていた。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2023/07/20230706_02.jpg
業者さんのその時の心がそこに残っていた。
私たちはこの数日間、家を片付けることに執着していて、その柱のキズの存在をすっかり忘れていた。
二女と二人、その書き込みを眺める。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2023/07/20230706_01.jpg
私のお腹あたりよりも小さいころから書いていた書き込み。
懐かしい。
できればこのベニヤ板をもらいたかった。
ずっととっておきたかったがしかし、それはただの邪魔なものにしかならないのは分かっていた。
でも、このベニヤ板を途中まではがして残してくれたその人に感謝をした。
「今日だけは思い出に浸って下さい。」
そんなメッセージを受け取った。
翌日の夕方、家を見た時はすでにベニヤ板は外されていた。
その残骸はどこにあるのか分からなかった。
そういうものである。
思い出とはそんなものなのだ。
いつまでもそばにおいておけるものではない。
遠い昔、二女はなかなか指しゃぶりが終わらない子だった。
「おかあしゃ~ん」
恥ずかしがり屋で、いつも私のエプロンと足の間に入ってくる子だった。
夏の夜、庭で家族全員で花火をしたものだ。
三人の娘たちは浴衣を赤・ピンク・オレンジ色の薄い三尺で縛り、ズックを履いていた。
父や夫、そして遊びに来ていた姉の息子たち男子組は少し離れたところで打ち上げ花火をしていた。
私たち女子組は線香花火を楽しんでいた。
大きなバケツに水を入れ、
火種が無くなった花火をそれに入れてすぐに次の花火に火をつける。
誰かの花火に新しい花火を近づけてそこから火種をもらう。
シューっと音がして突然花火が火を吹く。
勢いがあるのは一瞬で、やがて火種がぽたりと落ちる。
人の一生を見ているようだった。
花火はきれいだが私はその儚さが人生と重なり少ししんみりする。
人生とはそういうものだと思う。
楽しい事ばかりではない。
でも、辛くて苦しい事ばかりでもない。
人間の一生なんて、人類が生まれてきてからの時間に比べたら、一瞬の瞬きくらいにしかないと思う。
そのわずかな期間にどれだけの思いを感じるか。
柱のキズを見て花火に興じていたあの頃を思い出した。
壁が壊され、柱だけになった我が家を見て、私は人間を見ているような気がした。
どんなに着飾っても、どんなによく見せようとしても、土台がしっかりしていないと薄っぺらな自分が丸見えだ。
そう教えてくれているような気がした。
今まで私たちを守ってくれてありがとう。
柱のキズは無くなってしまったが心の中にそれを記憶した。
これからの人としての成長のキズは心の中に刻もう。
今までありがとう。
今回は
旧宅の解体 その4 柱のキズ
をお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
山田ゆりでした。
P.S.
8月11日までに4冊目のkindle出版をすることをコミットします!
その過程を有料グループチャット
【ゆりのkindle制作の裏側】でお見せしています(*’ω’*)
詳しくはこちらのnoteをご覧ください。
↓
https://note.com/tukuda/n/naf56c832a19b
◆◆ アファメーション ◆◆
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。
私は愛されています
大きな愛で包まれています
失敗しても
ご迷惑をおかけしても
どんな時でも
愛されています
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+
1527日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも短時間で楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
旧宅の解体 その4 柱のキズ
をお伝えいたします。
50年以上住み慣れた旧宅の解体は、あっという間に内部解体されていった。
私のイメージする「家の解体」は、ショベルカーがやってきて、家をガーっと壊すイメージだった。
しかし、解体業者から「7月4日から内部解体に入ります」と言われ、解体は「内部」をしてから「外部」をするのだと分かった。
私は毎日、会社から帰宅後、すぐに旧宅を見に行った。
家の中はあっという間に変わっていった。
ほとんどが畳の部屋だったので、畳や襖が外された。
壁もどんどん、はがされていった。
一通り本日の変化を確認し、新居へ戻ろうとしたとき、あるものに目がいった。
それは、柱にベニヤ板が貼られていて、そのベニヤ板を下から思いっきりはがそうとして途中で止めたという感じだった。
我が家は築50年以上経つが、当時、親戚で家を建て替えることになり、古い家の柱や襖、建具などを父が譲り受けてそれらをふんだんに使って我が家ができた。
だから我が家ができた時、柱には以前の持ち主のお子様が貼ったであろうシールが貼られてあった。
襖も汚れなどが最初からあった。
それでもずっと借家暮らしだった私たちは「新居」がありがたかった。
キズや子どものいたずら書きなどがたくさんある柱は、そのまま使用されたところと、その柱に薄いベニヤ板を貼り付けたところがある。
お風呂場から出てすぐの玄関のところの柱にはベニヤ板が貼られていた。
私たちはそこに子どもたちの身長をマジックで書いていった。
名前と保育園のクラス名を書いた。
ぞう、ぱんだ、うさぎの3組しかなかったから何歳なのかはすぐに分かる。
小学校に上がってからは年齢を書いた。
柱のキズはどんどん上を目指して上がっていく。
その途中に私や母の記録もあった。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2023/07/20230706_0.jpg
私より大きくなった娘たちが私の身長を書いてくれた。
ただそれだけの板。
安っぽいベニヤ板だった。
家中の壁が取り壊され、家の骨組みがあらわになり、そのベニヤ板も下からはがされる寸前だった。
一気にそれをはがそうとしたが、柱のキズに気が付いたのか、その日は途中でベニヤ板のはがしが終わっていた。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2023/07/20230706_02.jpg
業者さんのその時の心がそこに残っていた。
私たちはこの数日間、家を片付けることに執着していて、その柱のキズの存在をすっかり忘れていた。
二女と二人、その書き込みを眺める。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2023/07/20230706_01.jpg
私のお腹あたりよりも小さいころから書いていた書き込み。
懐かしい。
できればこのベニヤ板をもらいたかった。
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でも、このベニヤ板を途中まではがして残してくれたその人に感謝をした。
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恥ずかしがり屋で、いつも私のエプロンと足の間に入ってくる子だった。
夏の夜、庭で家族全員で花火をしたものだ。
三人の娘たちは浴衣を赤・ピンク・オレンジ色の薄い三尺で縛り、ズックを履いていた。
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大きなバケツに水を入れ、
火種が無くなった花火をそれに入れてすぐに次の花火に火をつける。
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シューっと音がして突然花火が火を吹く。
勢いがあるのは一瞬で、やがて火種がぽたりと落ちる。
人の一生を見ているようだった。
花火はきれいだが私はその儚さが人生と重なり少ししんみりする。
人生とはそういうものだと思う。
楽しい事ばかりではない。
でも、辛くて苦しい事ばかりでもない。
人間の一生なんて、人類が生まれてきてからの時間に比べたら、一瞬の瞬きくらいにしかないと思う。
そのわずかな期間にどれだけの思いを感じるか。
柱のキズを見て花火に興じていたあの頃を思い出した。
壁が壊され、柱だけになった我が家を見て、私は人間を見ているような気がした。
どんなに着飾っても、どんなによく見せようとしても、土台がしっかりしていないと薄っぺらな自分が丸見えだ。
そう教えてくれているような気がした。
今まで私たちを守ってくれてありがとう。
柱のキズは無くなってしまったが心の中にそれを記憶した。
これからの人としての成長のキズは心の中に刻もう。
今までありがとう。
今回は
旧宅の解体 その4 柱のキズ
をお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
山田ゆりでした。
P.S.
8月11日までに4冊目のkindle出版をすることをコミットします!
その過程を有料グループチャット
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