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うたげ のあと【音声と文章】

山田ゆり
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※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1640日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも数分で楽しめます。




おはようございます。
山田ゆりです。

今回は
うたげ のあと
をお伝えいたします。




あれから4年が過ぎた。
振り返ってみるとあっという間の4年間だったと思う。



4年前のあの日、18時頃帰宅した私は
ベッドの中で亡くなっている夫を発見した。
(死因は簡単に言うと、突然死だった)


階段を踏み外さないよう、手すりにつかまりながらドドドと降りて家の電話から救急車の要請をした。

そして、消防署の職員の指示に従い、夫の部屋に戻り、私は夫にまたがり救急車が来るまで心臓マッサージを試みた。

慣れない心臓マッサージは数回しただけで疲れてしまった。

でも、やめられない。
救急車、早く来て!

心は土砂降りだったが、もしかして生き返るかもしれないという一縷の望みを持ち、私はやり方が正しいのかどうかも分からず一心不乱に心臓マッサージを続けていた。


でも夫は戻ってこなかった。




***
夫の命日の日に、姉がお菓子を持ってお線香を上げに来てくれた。

最初、仏間でしんみり話をしていたが女性の話は長いものである。

夕飯の支度を進めるために姉にダイニングの椅子に座ってもらい、私はキッチンでハンバーグの種を作り始めた。


姉のご主人は私の夫より数年前に病死していた。

「お互い、同じ境遇になっちゃったね。」

そして、お互いの思い出話に花が咲いた。


玉ねぎ3個をみじん切りにしていた私は何度も涙を拭き、鼻をかみながら姉と1時間30分位雑談をした。


すべての食材を切り、肉と調味料を混ぜ合わせ、練り込んでいるところで「私もそろそろ夕飯の支度をしなくっちゃ」と言って姉は帰って行った。


庭で姉の車が見えなくなるまで手を振り、そして私はハンバーグを焼き始めた。




我が家はいつもはダイニングで食事をするのだが、その日は仏間で家族全員で うたげ をすることに決めていた。

家族全員が仏間で食事をした。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2023/10/20231028_182717-scaled.jpg


お仏壇の脇には、白と黄色の菊と真っ赤なカーネーションを飾った。
お仏壇の中には、片方はビールと姉が持って来てくれたお菓子、もう片方には家族全員が大好きなバナナを飾った。


お線香の煙はスーッと上に伸びていた。
白檀の香りが神聖な心を思い出させてくれるようだった。



二女がBGMにと、アイフォンからラジオの音声を低く流した。特にラジオを聞くのではなく、少しざわついた感じが心地よかった。

「こんな感じもいいねぇ」
のんびり時間が過ぎていった。
何本目かのお線香が終わった。
私たちは笑って食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んだ。



夫が亡くなった当日と翌日のことをみんなで話したが、私の記憶が飛んでいたことが分かり、当時の記憶を鮮明に覚えている娘たちの記憶力に驚いた。



夫は誰も知らないところで亡くなったため、事件性があるかどうか、そして死因を解明するために、夫の遺体は警察署へ搬送された。

当時、都会に住んでいた二女は、三女からの連絡で、カバンひとつ持っただけで新幹線の最終便に飛び乗った。
あと30分連絡が遅かったら、当日の新幹線には間に合わなかったからラッキーだった。



深夜に二女が帰ってきて、娘3人と私は警察署に向かい、夫の顔を見に行った。
(三女だけは建物の中に入らなかった。)


そこは建物とは離れたところにあった。
その建物までの道のりは、女性の警察官の方が誘導して下さった。

夫の第一発見者は私である。
夫を発見した時は天井を見て「へっ?」というような、キョトンとした顔をしていたが、その時見た顔は目を閉じていた。


夫が自宅から運ばれていった時のことを私は思い出そうとした。
夫は、大きな袋に入れられ、ファスナーを閉じられて運ばれていったからあの時の顔は確認できなかった。

気が動転している時は記憶が一部飛んでしまうのかもしれない。




翌日、警察署から電話が来た。用件は2つだった。

1つは検死が終わったから遺体を引き取りに警察署に来てほしいということ。

もう1つは、検死をしてくださった医師の病院へ死亡証明書をとりに行ってくださいと言うことだった。


私たちは葬儀屋さんに連絡をした。
遺体を移動するにはそれを許可された人以外はできないからだ。

2つのことを私たち4人でどうするのか。
私は全員で警察署に行き、その後全員で病院へ行くことしか考えていなかった。

しかし、娘たちは私よりしっかりしていた。



三女はおじいちゃん(私の父)が亡くなった時、まだ小学生だったが、おじいちゃんの死に顔に大きなトラウマを受けている。
その後、何日も夢にうなされ心に深く傷を負ってしまった。


だから、その後、私の叔母やおばあちゃん(私の母)が亡くなった時、とっても大好きな二人なのだが、唯一、死に顔を見ることを三女は拒否した。


三女の死体に対するトラウマを知っている長女と二女は、
夫の遺体を引き取りに警察署に行くのは私と二女が行き
病院には長女と三女が行く

これを、長女と二女二人、目だけで会話をしてこれらの役割分担を決めたのだ。




その日のうたげが終わり、二女と私だけ仏間に残っていた。
そして、なぜ私と二女が警察に行き、長女と三女が病院に行ったのか、その理由を二女から聞いた。


私は当時をうっすら思い出した。

二女は言った。
「私とお姉ちゃんは、あの時、目で会話をして、それを決めたんだ。」


長女と二女は、目で会話をして三女を気遣ったのか。
そうだったのか。

私は娘たちの心の成長が嬉しかった。




**
書斎に移った私はPCを入力していた。そのそばで二女がヨガマットに寝ころび、スマホをいじっている。

別に何も話すことはないけれど同じ空間にいる二人。
二女の足がバタバタ動く。


今の幸せは、ご先祖様が見守ってくれている。



だから
ありがとう。





今回は
うたげ のあと
をお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。








◆◆ アファメーション ◆◆
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大きな愛で包まれています

失敗しても
ご迷惑をおかけしても
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山田ゆり
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