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【エッセイ】紳士的な人類

「絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか―」(更科功 著)の要約としても読めます。

以前、「時計仕掛けのオレンジ」という映画を見て、暴力は人間の本質である、というようなことを書いた。しかも、そんなことは当然である、という風に書いた。しかし最近、とある本を読んで、この考えは再考を強いられた。確かに人間は、環境を破壊するし、互いにいがみ合うし、差別するし、戦争もする。それは事実だ。しかし、本当にそれが人間の本質なのか。人間は、客観的に見て残酷な種と言えるのか…

なぜこんなことを考えるようになったかと言えば、「絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか―」(更科功 著)を読んだからである。もしかすると我々は、メディアによって「人間は、横暴で暴力的でわがままな生き物である」というステレオタイプを刷り込まれているのかもしれない。

人間という動物は、実は、紳士的な動物と言えるのかもしれない。少なくとも生物学的にはそうなのかもしれない。今私はそう考えているわけだが、そんな考えに至った話をしてみたい。


ホモ・サピエンスとは何か?

人間とは、生物学的に言ってホモ・サピエンスである。このホモ・サピエンスという生き物が紳士的な動物だ、と私は言いたいわけだが、そのためには、ホモ・サピエンスとは生物学的にどういう存在なのか、を説明するのが近道に思える。

ホモ・サピエンスとは、現在、唯一残った人類である、というのが最も端的な定義である。人類は700万年ほど前に誕生した種だ。最も近い種として大型の霊長類があげられる。ゴリラとか、オラウータンとか、チンパンジーとかである。中でもチンパンジーが我々と最も近しい動物であるということは周知の事実だ(ちなみに、我々とチンパンジーの遺伝子情報は98.8%同じである)。だが、ここで勘違いしてならないのは、チンパンジーが進化してホモ・サピエンスになっているわけではない、ということである。歴史の教科書なんかを見ると、チンパンジーから数種類の原人を経て人間に至るかのような進化図(まさにこの記事のトップ画像のようなもの)が示されることもあるが、あれは誤りだ。チンパンジーも我々も進化の最前線の生物なのである。

大文字のアルファベットの「Y」を想像してほしい。右端の先端が我々で、左端の先端がチンパンジーだ。チンパンジーとホモ・サピエンスには共通の祖先がいて、それが700万年前に枝分かれした。共通の祖先から進化し、右側の進化の道をたどったのが人類、というわけである。チンパンジーは、あくまで左側の存在だ。猿だ。だから、チンパンジーが我々に最も近しい動物である、というのは、ホモ・サピエンス以外の人類が絶滅したからこそ真になった理屈である。

チンパンジーと進化の袂を分け、ホモ・サピエンスに至る進化の道を歩み始めた最古の人類は、サヘラントロプス・チャデンシスである。そこから700万年の間に数々の人類が誕生しては消えた。アルディピテクス・ラミダス、アウストラロピテクス・アファレンシス、アウストラロピテクス・アフリカヌス、ホモ・エレクトゥス、ホモ・ネアンデルターレンシス、などがその代表だ。彼らの中には、通称「ジャワ原人」とか「北京原人」などと呼ばれる”おなじみ”もいる。肝心のホモ・サピエンスが誕生したのは約20万年前と考えられている。少なくとも、ホモ・ネアンデルターレンシスやホモ・エレクトゥスとは同時代を生きていたようだ。だが、約4万年前にホモ・ネアンデルターレンシスが絶滅して以来、人類は我々、ホモ・サピエンスだけになった。

チンパンジーとの違い

ここから核心に入る。さて、では、人類とチンパンジーの違いは何だろうか?生物学の進化体系において、「Y」の字の枝分かれは何を根拠にしているのだろう。体毛が薄ければ、あるいは、身長が高ければ、チンパンジーでなく人類に区分されるのだろうか。

答えは、犬歯と大きさと直立二足歩行である。

①犬歯の縮小

ゴリラにせよチンパンジーにせよ、大きな犬歯が生えている。これは主にオス同士の闘争に使用される。犬歯は横向きに湾曲しており、十分な殺傷能力を有している。一方、人類の犬歯はかなり縮小している。最古の人類でも十分小さかったが、ホモ属に至れば、ほとんどないといってもいい。

②直立二足歩行

その動物が直立二足歩行をしていたかどうかを見分ける最も重大なヒントは、頭蓋骨と脊椎の連結方向である。我々の頭の骨は真下に穴が開いており、脊椎は真下に連結している。しかし、四足歩行動物はこれでは具合が悪い。彼らの頭は真後ろに穴が開いて脊椎と連結している。これであれば、四つん這いになったときに無理なく前を向ける。

もう一つは、足の指だ。歩くのに適した形状か、樹木をつかむのに適した形状か。だが、これは補足的な証拠でしかないようだ。

というわけで、以上2点の特徴を備えた種こそ人類なのであり、これまでにこの特徴を備えた種は人類以外にはいない。

二つの特徴が物語るもの

700万年前、チンパンジーとの共通祖先(以後端的に「共通祖先」と呼ぶ)は、先に述べた2つの特徴を獲得し、人類進化ルートへと入ったわけだが、なぜこの特徴を備えるに至ったのか。これを追うことで、タイトル回収にうんと近づける。

まず、犬歯の縮小についてだ。チンパンジーは、我々と同じように社会的な群れを作る。しかし、異なるのは、それが乱婚社会、という点だ。夫も妻も入れ代わり立ち代わりになる。乱婚社会の良い点は、子どもの父親が誰か分からない、ということによって群れの全ての雄が子どもを守る理由を持つこと、である。こうしていれば、むやみにライバルの子供を殺すことはないのだ。だが、メスを奪い合うオス同士の争いは熾烈である。犬歯の大きさは、端的に、彼らの争いの激しさを物語っている。

一方、人類はというと、どういうわけか一夫一妻制の社会を構築した。もちろん、現在の世界にもそうでない社会をもつ民族などはいるが、ごく少数であり、人類の基本婚姻形態は、一夫一妻制といって差し支えないだろう。人類以外にも、キツネザルの一種は、一夫一妻制を採用している。しかし、彼らは、あくまで二人でしか行動しない。群れをもたず、夫婦だけで暮らすのだ。社会的な群れを作り、しかもそのなかで一夫一妻制で生活している、という点において人類は特異なのである。無論、一夫一妻制は、メスをめぐるオス同士の争いを避けるのに大いに役立った。犬歯もそういうわけで小さくなっていったと考えられている。犬歯は時代を経るごとに、小さくなった。ホモ・サピエンスの犬歯など、武器としての能力は無いに等しい。我々は、”ほとんど同種との争いをしない”前提の遺伝子なのである。

次は、直立二足歩行である。まず、大前提として、自然界において、直立二足歩行は不利である。なぜなら、速く走れないし、身を隠すのも難しいからだ。我々は愚鈍そうなカバよりも走るのが遅い。しかも体高は多くの動物より高い。これでは、見つけて食べてくれ、と言っているようなものだ。こんな不利になる進化をなぜ選んだのか。周りにはこんなお荷物な特徴を持っている種はいないのに。

むかし、共通祖先は、森に棲んでいた。木の上であれば、比較的安全だったからだ。けれども乾燥化か何かで森は減り、それに伴って果実などの食べ物も減り、ある集団は森を出ることを余儀なくされた。木から木への生活ではなく、草原のような原っぱで暮らさないといけなくなった。強制的な移住を迫られ、彼らは困った。さて、どうやって生き延びればよいか…彼らが選んだのは、強くなって外敵から身を守る、という正攻法ではなかった。食べられるより多く産んでしまえ!という幾分トリッキーな生存選択をしたのだ。

人類は、大型霊長類に比べて多産な動物である。例えば、我々には発情期というものがない。歳子、という言葉もあるように、女性は子どもの授乳中でも妊娠可能である。しかし、チンパンジーをはじめ、他の霊長類はそういうわけにはいかない。妊娠周期は2~3年と人間と比べて長い。戦中、戦後、日本でも5人を超える出産が日常であったように、少子化少子化と叫ばれるが、人間は、産もうと思えば、生涯でかなりの数を産める動物なのである。

さて、産めば、その子の世話をしなければならない。食べさせて大きくしなければならない。ここで直立二足歩行につながる。直立二足歩行は、食料を効率よく収集するためのものではなかったかと考えられている。歩くために直立二足になったのではない、両手を使うためにそうなった、というわけだ。確かに、食料獲得の効率は四つん這いよりもはるかに良い。

また、付け加えれば、人類は他の動物に例を見ないほど、母親以外が子どもの世話をする動物である。例えば、大型霊長類のオラウータンの母親は、出産後、5年間近くも子どもと母親の二人の世界を生きる。子は母親以外の世界を知らずに成長する。一方、我々は、父親をはじめ、祖母祖父、その他親族、家族総出で子どもの世話をする。これは、母親の妊娠周期が早いことにも関連しているし、女性の閉経とも関連している(歳を拾えば、あとは子育てに専念しろという遺伝子のメッセージなのかもしれない…)。ちなみに、他の霊長類には、閉経という現象はなく、死ぬ間際まで子どもを産む。

この両手は、我が子に食料を運ぶための手である。人類は、自らに迫る危険を排除するより、我が子へ食料を届けることを優先して進化の道を歩んだ。そして、万が一、自分が倒れた時や大変な時には、残った家族が総力戦で子どもを育てるのだ。育った子どもは、また同様に危険を顧みず、その子どものために食料を集める。さらに、運よく歳を取り、自分で子どもを産めなくなるまで老いた個体は、若い母親のために死ぬまで親族の幼子の世話を焼くのである。

人類は紳士的か

まとめてみよう。

人類が人類として種別される所以は、二つの特徴からなのであった。すなわち、犬歯の縮小と、直立二足歩行である。

そして、それぞれの特徴が物語るのは、一夫一妻制の採用によるオス同士の闘争の抑制であり、自己犠牲による子どもへの食料調達、である。

それは、こう言い換えられる。

・人類は、一人の妻、一人の夫と生涯を送ることを決めた動物である。
・人類は、可能な限り同族間の喧嘩をなくそうとする動物である。
・人類は、自らの命より子どもの食料を重んじる動物である。
・人類は、母親任せにせず家族総出で子育てをする動物である。

いかがだろうか。ここまでくれば、私が「人類(ホモ・サピエンスでもいいが)は紳士的かもしれない」と再考するようになった意味をわかってもらえたのではないだろうか。

あくまで生物学的なアプローチだが、一つの希望としてこの話を頭の片隅に置いていただけたら、幸いです。

で、逆に言えば、

・不倫をする人間
・喧嘩ばかりする(それを好む)人間
・子どもより自分がかわいい人間
・子育てに参加しない人間

以上は、比喩や悪口ではなく、生物学的に極めて猿的だ、といってよい。
(皮肉が過ぎるかな笑)


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