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【エッセイ】なぜお酒を飲むのか?

昨日、「なんで毎日お酒飲むの?」と妻に問われ、
咄嗟に「料理がおいしいから」と答えた。
ちょっと考えて、これでは答えになっていないのではないか、と思った。

なぜ山に登るのか?
そこに山があるからだ。

から感ぜられる決意みたいなものが何もない。ひ弱・脆弱である。
「そこに山があるからだ」から漂う「理屈を超えさせていただきます」という覚悟や熱がない。

なぜ俺は「そこに酒があるからだ」とか「逆になぜ飲まない?」という火の玉ストレートを返せなかったのか。悔しい。
「料理がおいしいから」などというスローカーブをなぜ投じたのか。
悶々とした。3日間、これについて考えた。

結論が出た。

私が酒を飲むのは、「料理を完成させるため」だった。

実のところ、私は酒が好きなのではなかった(びっくり)。

酒によって料理を完成させたいだけだったのだ。

刺身という料理は日本酒がないと完成しない。
すき焼きという料理は赤ワインがないと完成しない。
もんじゃ焼きという料理はキンキンの(重要!)ビールがないと完成しない。

そういう風に法律で決まっている。結局そういうことだ。

すき焼きで説明しようか。

甘辛くなったちょっと赤いところが残っている牛肉を卵にくぐらせますよね。それを一口で頬張って、鼻から抜ける牛の風味を感じる。と同時に赤ワインを飲んでその風味、ブドウ農園の空気を混ぜますね?そこまでして【すき焼き】ですね?皆様よろしいでしょうか。

もんじゃ焼きも、刺身も同じです。最後にお酒の風味と混ざることで料理は本当に完成するんです。

ここでナニモワカッテイナイ質問もでるでしょう。

ノンアルじゃだめなんですか?

ダメに決まっているでしょう。

ノンアルではすき焼きは完成しません。料理(というか牛)にぶつかっていくパワーがノンアルでは圧倒的に足りないんですね。複雑性の凄みがない。それこそ脆弱なんです。

化学反応は、AとBが対等のパワーであるときに一番強く効率的に起こりますね。それです。

あぁ、だから私にとってアルコールとは酔うためのものではないんです。酒だけを飲む、ということは決してない。あと、酒がなくても完成する料理のときは、当たり前だけど酒は飲まない。必要がないからです。ラーメンとか、うどんとか。

まだお嫁にいっていない女性で、あんまり飲む人は嫌だな、と思ってる人に提案です。デートでうどんを食べに行くといい。それで彼にお酒飲む?と聞いてみてください。

「飲む」と言えば要注意です。うどんはアルコールがなくても完成しますから、その人はきっと酒自体が好きですね。いわゆる”酒飲み”かもしれない。

「いらない」と言えば、少し安心かもしれませんね。

ということで、酔っ払いによるお酒の話でした。
今日の我が家の食卓は、キムチ鍋でした。
私が何を飲んだかは言うまでもないでしょうか。


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