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ひとの子ニッコ

『くまの子ウーフ』を読んで


『くまの子ウーフ』を読みおえてわたしは思った。
いいなー!ウーフになりたい!

ウーフのいる世界はあたたかさとおどろきに満ちていてキラキラしていた。
どんな生きものとも言葉を交わし、優しいおかあさんとおとうさんに見守られながら、毎日ちいさな冒険をするウーフ。
つりがね草、なでしこの花、きんぽうげの野原にみどりの森。
木に登ったり、草っ原をころころころがったりしてウーフは全身で世界と抱きあっていた。

金色のみつばち。川の中のふな。めんどり。きつねのツネタ。きつつきの夫婦。うさぎのミミ。小鳥のピピ。こがねむし。ツネタの弟のコン。りすのキキ。ねずみのチチ。ウーフのおとうさんとおかあさん。

『くまの子ウーフ』の中でウーフと言葉を交わした動物をかぞえてみたら14ひきもいる。
ウーフ、ウーちゃん、なんて呼ばれておなかがくすぐったいだろうな。
幸せだろうな。
ウーフになりたいな。

物語のはじめでくまの子ウーフは思う。


「木になりたいな。」
「さかなになりたいな。」

ウーフ、おまえもか!?
じぶん以外のものになってみたい、鳥になって飛んでみたい、さかなになって泳いでみたい。
みんなが思うことなのかもしれない。

もしかしたら、みんながじぶん以外の生きものに
憧れて、羨んで、真似しあっているのかも。

ほかの動物はどんな気持ちなんだろう。
どんな生きものとも話せたらいいのに、とわたしは思う。

ウーフはいつも質問している。
これはなんだろう?
どうしてなんだろう?
ウーフのまっさらな眼でみる世界は、まるで不思議の国だ。

「ぼくはなにでできているんだろう?」
「たからものってなんだろう?」
「おっことさないものってなあに?」
「いざというときってとんなとき?」

ウーフが問いかける「どうして?」は読むものすべての心の深いところに響いてくる。
そしてこれを読んだら、ウーフの問いに対するじぶんのこたえを考えずにはいられない。

わたしはなにでできているんだろう?
血と骨と肉と、たくさんの臓器と、髪と爪と。からだの成分で言うなら、図鑑を見れば詳しく載っている。
炭素と水素と、って元素で言うことだってできる。
このからだは両親からいただいたもので、毎日ごはんやおやつを食べて維持されていて、呼吸して運動して排泄して眠って。
だからあしたもこのからだがある。
会ったことのない祖父の遺伝子や、蛇を怖がる原始人の記憶もわたしのなかにある。
わたしのからだは、過去に実った作物や殺した動物でできている。
うつくしい黄金の稲穂や可愛らしい目の牛は未来のわたしのからだだ。
そのうえ、わたしのからだのなかには押し込めた言葉や言葉にならない気持ちがつまっている。夜に見る夢もからだのなかにある。
亡くなった友達の存在もわたしのからだのなかにある。

わたしは、わたし以外のものでできている。
空気を吸って、空気に包まれて、この世の果実を食べて、わたしのからだは存在している。
「たからもの」も「おっことさないもの」もきっとここにある。
たったひとつのわたしのからだ。
そのなかにぜんぶつまっている。
喜びもかなしみも、必要なものは、ぜんぶ。

『くまの子ウーフ』には、「たったひとつのそれぞれのからだ」に対する不思議と、敬意が滲んでいるように思う。
くまは、さかなは、鳥は、まったくちがうけれど等しくたからもののような命。
本当は、草花やぜんぶの動物とコミュニケーションできるのに、牛を食べたりちょうちょを愛でたり虫を踏んづけている私たちは、ウーフの眼を思いださなきゃいけない。

生きているものがどれも違ってみんな光っているすごさ、じぶんのからだを肯定する道のり。
ほかの動物はどんなふうにちがうの?どんな気持ちなの?


『くまの子ウーフ』を読んだあとでは、もう読むまえには戻れない。
ウーフの眼が読んだ人にもうつってしまったからだ。
ウーフの眼でみる世界は「どうして?」でいっぱいのワンダーランドだ。
この現実も、ウーフの物語のなか。
ここで私たちは「ひとの子ひとりぶん」目をキラキラさせながら一生懸命に生きていこう。

「うーふー」と楽しそうにうなる、くまの子ウーフ。人間は笑うことができるから「ひとの子ニッコ」として、じぶんだけのからだで見にいこう。今日の不思議を見つける冒険に。


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道駒らいか
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