【労働】余暇時間の大切さを実感する毎日
noteに書くことはあれど、記事にする時間が無い。
いや、どう考えても自分で選んだ4勤2休の勤務形態のせいなのだが、本当に困ったもんだ。
一日の12時間を仕事に取られ、
通勤で往復1時間、
家に帰って風呂と洗濯と食事と娯楽で3時間、
目が覚めてからの用意や食事で2時間。
なんと残された余暇時間はたった6時間だ。(もちろんこれは睡眠に使う)
……いやこうしてみるとホントに問題だなこれ!?
まさに「生きるためだけの仕事」を地で行く感じの勤務形態なんだなと実感するわけだが、まあ他になんの趣味もない人はこれでも良い気はする。
なんとなく仕事をするだけでそこそこ生活費は得られるし、勤務時間が長い分、休日はちょっとだけ多い。
……でも、何かやりたい事がある人にとっては辛いところだ。
平日はこんな感じなので、休みにならないと何もできないのだから。
いやまあ、さり気なく入っている「娯楽」の時間を削ってなにかしろという話でもあるのだが……娯楽すらない生活は病むだろう?
成功者の話として、「ブラック企業に勤めてましたが、僅かな時間を使って努力して成功しました!」というのは定番ではあるが、自分には無理そうだ。
それはともかく、こんな生活でも生きていれば書きたいことはあれこれ溜まっていく。
・おニューの自転車のタイヤがグニャッた話
・自転車の良さげに思えた中華ライトが結局アレな感じになった話
・死んだ折りたたみスマホが自然治癒してた話
……などなど。
しかしこれらを書こうとすると自分の文書作成性能では1記事で2時間以上必要になってしまうため、とてもじゃないが仕事のある日には書けたもんじゃない。
かといって休日に記事をたくさん書こうと思っても、自分は1記事仕上げると「いや〜仕事したわぁ〜〜!!」という達成感に満たされ、もう次の記事を書く気がなくなるのだ。 (なんでnote続いてるんだろう…?)
かつて一発逆転を夢見るオタクの特徴とも言えるライトノベル作家を目指す時期が自分にもあったが、いざ始めたら本気で向いてなかったんだろうなと思う。
記事は1日1つまで。それが自分の限界らしい。
さて、自分のnoteは過去の旅行記と日々の雑記で構成されているが、これは何年後か何十年後かに見直して「懐かしいなあ…!」と思うことを想定して書いている日記的な思惑もある。
なので振り返ったときの情報量を多くするために、そこそこの文字数は欲しいのだ。
そしてせっかくなら読者が得するような知識もひとつまみ入れたいと思っているので、その調べ物で記事作成時間がどんどん伸びていく。
……まあこれは自分の知識強化にもなるので辞める気はないのだが。
そういえば、自分は過去に盛岡にある原敬(はらたかし)の生家に行ったことがあるのだが、平民宰相と言われた彼が日記をそりゃもうしっかり書いていたという展示をどこかで見た覚えがある。
そう、たしか彼は「子供の頃から日記をかかさずつけており、それがまとまって本になった」とかなんとか……?
確かほんの数行で終わる日もあったりして、「ああ、日記ってこんな感じでもいいんだ」と思った記憶がある。
……と思って今検索してみたら、「毎日は書いてない」とか、「若い頃の日記はない」とか出てきちゃってもうわけがわからん。
いやまあ自分の記憶力が曖昧なのは今に始まったことではないので、驚きはないけども。
うん、これは確認のために、また盛岡に行けってことだな……!
原敬の日記に関する展示を見たのが盛岡でのことだったのかは、正直よく覚えてないけど。(記憶力)
……そう、こんな記憶力なので、過去の写真を見つつ当時を思い出して、つながる旅行記として記事にしておく必要があるのだ。
noteならリンクも貼れるし、文字で検索もできるし、多くの人に見てもらえたらモチベーションも上がるし、コメント欄でその地域の新たな知識を授けてくれる人もいるので、一石いっぱい鳥である。
そんなわけで、今後も自分の薄れゆく記憶をどうにか残していこうと思う。
まあそのためにも余暇時間が必要って話なのだが……
きょ、今日を乗り切れば明日は休みだし、頑張るぞ!!(宣言効果)
書けるときに書かねば……!
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