【つながる旅行記#190】『大大阪』再現ゾーンで等身大に心ブラを楽しむ【大阪歴史博物館】
前回は難波宮とジオラマ天国を味わう事ができた。
なんだかもう既に満足感がすごいが、まだまだ展示はある。
この先も見ていくとしよう。
おぉ……!!
さきほど江戸時代を再現したジオラマを楽しんだと思ったら、今度は自分が等身大のままジオラマの世界に入ったかのような風景が広がっていた。
ここに再現されているのは『大大阪(だいおおさか)』の風景だという。
1925年、大阪市は周辺の44の町や村を編入し、人口211万人の日本最大の都市となった。これを大大阪と呼ぶのだ。
当時の大阪市は人口・面積・工業出荷額において国内第一位であり、東京を上回る大都市だったのである。
(1923年の関東大震災で大量の人口移動が起きたせいでもあるのだが)
再現ゾーンにあったこの子供服店の店名は『ツネヨ』ではなく『ヨネツ』である。
横書きを右から読むというのには自分は未だに慣れないが、戦前はこうやって当たり前のように使われていたのだ。
また、このお店は心斎橋にあったのだが、心斎橋は東京の銀座と並ぶ名店街であり、ウィンドウショッピングしながら心斎橋をブラブラすることを、当時の人は『心ブラ』と言っていたらしい。
なんかもうブラジャーの新商品にしか思えない響きだが、博物館が言ってるんだから本当に言っていたのだろう。
心ブラ。
そしてなんと調べたら銀ブラもあったらしい!(銀座ブラブラ)
なんだか輝いてそうである。
(なお、銀座でブラジルコーヒーを飲むことを銀ブラの由来とする説があるが、商業的に宣伝されだした根拠のない説とのこと)
いやしかしジオラマも素晴らしかったが、こうやって自分自身で歩いて昔の風景を楽しめるのもまた良い!
江戸東京たてもの園に行ったときにもとても楽しめたのを覚えているが、自分はこういう再現ゾーンが好きなようだ。
展示の中に、戊辰戦争と大阪城について書かれたものがあった。
(ジオラマやらだけでなく、こういう展示もちゃんとある)
戊辰戦争は旧幕府軍と新政府軍が戦った内乱なわけだが、この説明文によると徳川慶喜は大阪城にいたらしい。
大阪城は戦国時代と変わらず当時も軍事拠点だったので、そこから色々指示を出したりとかしていたのだろう。
だが鳥羽・伏見の戦い(京都)で幕府軍は新政府軍に負けてしまい、慶喜は「軍事施設たる大阪城にこもって迎え撃つ」or「江戸に逃げる」という2つの選択肢から一つを選ぶことになる。
慶喜が選んだのは「江戸に逃げる」だった。
しかもこっそり逃げたので、翌朝になって「将軍いねぇぞ!!?」という状態になってしまい、大阪は大混乱。大阪城も大炎上することとなった。
思えばこのあとも陸軍用地として使われることになるのだから、大阪城もなかなか大変な運命である。
そんなわけで大阪歴史博物館、とても良かった。
難波宮から始まり、近現代までのあれこれを楽しく学べた気がする。
大大阪も心ブラも初めて聞いたし。
では、大阪城へまた戻るとしよう。
やっぱりここまできたら天守と中の博物館は見ておきたい。
混雑が解消されていればいいが、果たしてどうなる……?
次回へ続く…!