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鬱になったのでひとりで生きる決断をしたときの話

6年ほど前、わたしは実家暮らしで、ひどい鬱症状に苦しんでいました。
そのときの話です。
鬱のきっかけは社会人生活が心の許容範囲を超えてしまったことで、そもそも集団行動がまったくできないのでまあ必然といえたかもしれません。
食事が取れなくなり、自室は荒れに荒れ、夜中に声を殺して泣き、不眠も酷くなって毎日朝になるのに怯えていました。体重がどんどん減って本当にきつかった。

そんな状況になったとき、実家暮らしならば家族の助けが得られる場合もあるでしょう。
わたしにも、何もなかったわけではありません。
でも方向性が違ったんです。

うちの家族はあまり鬱に理解がありません。
どういうものだか体感したことがないので当然かもしれませんが、「ちょっと落ち込んでいる」「ちょっと食欲がない」という程度に思われていたようでした。
母に向かってどんなに「食べられない」と訴えても、体調が悪いときほどしっかり食べないと!という答えしか返ってこないのです。
小さなお弁当箱に詰められたお昼ご飯を、昼休みに50分以上かけて食べていました。食べずに捨てる、なんてことはどうしてもできなかった。
それらもまた、母からの愛情だとは分かっていたから。

父は無口な昭和の九州男児で、何か思っていたとしても口に出すタイプではありません。たぶんわたしと同じでしゃべるのが苦手な人なのです。
わたしと母が言い合っていても我関せずという様子。夕食を残そうが、部屋にこもっていようが、関わってはきませんでした。
放っておいてくれるのはある意味ありがたかったけれど、まったくの無関心でいられたり、たまに謎な理由で叱られたりするだけなのは辛いものがありますね。

出かけるときには必ず誰とどこに行くのか報告するような家庭だったので、精神病院に行きたいと言い出すことさえできず、結局「自己との対話」を繰り返すセルフカウンセリングで自力でどん底を脱しました。
よく頑張ったものだと思います。ふらりと死んでもおかしくないくらいの精神状態だったのに。


そうやって少しずつ自分で判断できる精神状態が戻ってきたとき、まず思ったのは

もう家族とさえ一緒にいたくない

ということでした。

そもそもわたしは人間が苦手です。
集団生活が本当に苦手です。
家庭って、小さいけれど密接な集団生活なのです。

ひとりになりたい。
もう大人なのに両親にとって子供として存在し、親の言うとおりに振舞うことが求められているのに耐えられない。
歯を食いしばってどうしようもない苦しみに耐えているとき、「どうして部屋から出てこないの」と詰られたりしない場所に行きたい。
苦しむならせめて、誰にも邪魔されずに苦しみたい。
家でさえ必死に無理をして愛想笑いを浮かべているという事実が、地獄のようでした。


それからしばらくの間ひとり暮らしのシミュレーションに没頭しました。
まだ契約社員で給料は限界ギリギリ。それでも払える家賃の限度額、生活費の限度額、通信費をいくら削れるか、少しでもいいから貯金を続けるにはどうやって生きればいいのか。
調べに調べたあと親友に相談し、親ではなく親友に付き添ってもらって不動産屋を尋ねました。そしてすぐ、今住んでいる物件を紹介されたのです。
立地良し、家賃良し、眺め良し、少し古いけどオール電化でIH、風呂トイレ別!
友人と話し合いながらじっくり内見して即、「ここにします!」と、契約の準備に入ってもらいました。その場で会社に電話して部屋を抑えてくれた担当のひとには本当に感謝しています。
ここに至るまで親に対してはひとり暮らしを仄めかす程度に留め、不動産屋で詳細まで詰めていることは一言も言っていません。
部屋の契約を進め始めてからようやく、話がありますと切り出して家を出る旨を話したのです。
父は一度本気で決めたことならあまり反対する人ではありません。
が、きっとひどく驚いたことでしょう。申し訳なかったけど、どうしても反対されたくなかったし、選ぶ物件について口出しされたくもなかった。
両親も信頼しているだろう親友の名を出して、彼女と一緒に物件を見てきたこと、すでに契約の段階に入っていること、お金の問題のことなどをひととおり説明して自分の意志を通しました。
まあ、契約段階にある物件を今更キャンセルなんてできませんからね!

一気に段取りを進めたのは、なんとなく「わたしというピエロを介してバランスを保っているように見える家庭」から抜け出すには今しかないと感じたのもあります。
このままでは両親、さらに兄との目に見えない柵によって、この家に縛り付けられてしまうと思ったんです。
母からははっきりと依存されていたし、わたしは家族の通訳ではないし、もうこの集団から離れたって許される年齢だった。むしろ「いい加減出ていけ」と言われてもいいような年齢だった。

今しかない、今しかないぞと思い続けていたような気がします。


契約が済み、ちょっとそわそわするような額の初期費用を入金して入居日が決まり、ひとり暮らしへの時間はとんとん拍子に進んでいきました。
荷物を運び入れたあとは引っ越し慣れした友人たちのありがたい厚意であっという間に部屋を片付けてもらえて、なんとたった1日で部屋から段ボールが消えるという快挙。
家主のわたしは邪魔にならないように隅っこでちょこちょこ荷解きだけしていた…友人ズの手際の良さといったら本当にすごかったです。なんなら今のほうが部屋が汚い。なぜ。

before
after(右端に寄せてある箱類には本が詰まっています)

たぶん家族には急な驚きと寂しさとを与えてしまったし、友人たちに手間もかけさせてしまったし、わたしのひとり暮らしは本当にいろんな迷惑をかけたことでしょう。
引っ越し作業のことで珍しく父と口論になったりもしました。
でも、絶対に言える。

ひとりになって良かった。

どんなに鬱や虚無感、希死念慮で苦しんでも、ひとりになって良かった。
休日、抑鬱に飲まれて気を紛らわせるものがなく七転八倒するような心地で過ごしたとしても、ひとりになって良かった!

ここはわたしだけの隠れ家。わたしだけの責任で、わたしを生かしていかねばならない場所。
たったひとり帰宅して、たったひとりぼんやりと座っている時間があることに助けられています。愛想笑いも必要ない。疲れたら疲れたと言っていい。無理に食事をしなくても心配されないし、怒られないし、わたしの挙動で場の空気を作る必要がない。
ああ、本当に、ひとりになって良かった。

人の手を借りながら、それでも自分で掴み取った居場所です。あのときの決断を後悔したことは一度もありません。
家族との距離感も落ち着いています。
正直なところあの家に「母だけを置いてきてしまった」という感覚が消えなくて苦しむこともありますが、互いに大人なのですから、互いに自分でなんとかするべきときだったのです。
共依存になる前に離れられてよかった。

ひとり暮らしを始めてからようやく病院にも通い始めました。
抑鬱も、恐ろしいほどの不安感も和らいでいます。


ひとり暮らしといえど、わたしは本当に孤独ではない。
それを忘れず親にも友人にも感謝しながら、これからも自分で選んだ生き方をしていこうと思っています。


読んでくれてありがとうございました!



#自分で選んでよかったこと

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