[社内ニート]社内ニートをしていた話2

私は、年齢としては30歳少し手前の時期に社内ニートを数年間経験しました。内容は「[社内ニート]社内ニートをしていた話 」の記事に記載をした通りです。
技術部門から営業部門(営業本部)に異動になり、営業部門(営業本部)の中の部門に所属ですが、部長が1人部員が私一人だけの素晴らしい部門に配属され、新規の顧客開拓のミッションを与えられました。いわゆる追い出し部屋おくりです。

ですが、実は社内ニートになったのは、上記が初めてではありません。
実は、私は入社3年目には「閑職」に追いやられており、「社内ニート」をすでに経験していました。

私は、入社当初はオフコンと呼ばれるマイナーなOSで動くシステムのオペレーターの様な仕事についていました。片手間でシステム管理者の様な業務もありましたが、その業務は2年間続きました。
管理者権限を持っているので、トラブルが発生した場合は、システムの開発部門とやり取りをします。通常のお客様の業務代行運用の他に、システムの管理、システムトラブル時の対応、アプリケーションのアップデートの適用作業などもします。
業務運用の代行は、日次処理、週次処理、月次処理、期末処理や特別処理など、その日や週末・月末によって実行内容が異なります。
マニュアルは整備されていますが、間違えを起こしやすいですし、日次処理は毎日やるのでそれほど怖くないのですが、たまに行う期末処理などは、怖いです。作業の実施も、お客様に電話をしながら、お客様とオペレータと交互に作業を行います。月次処理や期末処理は、沢山のお客様から電話が集中し、お客様によっても処理は違うので、間違えやすいです。

開発部門のリーダーの方は非常に怖い方でした。一言目には「死ね」という事を言われました。「頼むから死んでくれ」とも言われました。そのリーダーの部下の人は、「頼むから辞めてくれ」と言われた翌日に、朝出社すると、自分の机の上に自分の荷物が段ボールにまとめられて置かれていたことがあるそうです。今で言うとパワハラですが、その時代はパワハラなんて言葉は無く、精神的に耐える事が必要でした。
私は保守部門所属で、何か私が問題を起こしても、開発部門のリーダーからは「死ね」と言われるだけですが、開発部門の部下だった人は本当に大変だったと思います。リーダーの言葉や行動は異常ですが、重要なシステムでシステムトラブル時の影響も大きく、会社にとっても売上げや利益なども非常に大きなシステムだったので、リーダーの方も精神的に非常に大変だったのだと思います。

この時点では関係ありませんが、このリーダーの方は、時代が変わった事もあると思いますが、数年の年月が経つうちに、牙が抜けてしまい、丸くなってしまいました。リーダーの方はスピードは遅いですが、順調に出世をしていきました。
このリーダーの下で働いていた開発部門の人は、ほとんどの人が比較的早く出世しました。やはり鍛えられていたのと、精神的に強くなっていたのだと思います。会社のランクで、リーダーを抜かす人も複数いました。
私も入社から十年以上が経過し、会社でのランクがあがり、役職でそのリーダーの方に追いつきました。このランクは、当時の私のOJT担当者を始め、新人時代に私を指導していただいた方より高いランクです。昇格した際にばったり当時の開発リーダーに事務所でお会いしたのですが、声をかけていただきました。開発リーダーだった方からは、「おめでとう」という事と、「役職が上がると精神的に追いつめられるという事」「非常につらい仕事である事」「無理はするなという事」を言われました。私の事を心配してくれました。非常に優しく接してくれました。

この上記の開発部門とは関係がありませんが、私はある事で、同僚のオペレータの人と言い合いになり、喧嘩になってしまいました。入社して3年目の事だったと思います。
その時の部門長は、喧嘩両成敗と言って、私を「閑職」に追いやりました。
喧嘩相手も処分が下ったのですが、私の事ではないので記載をしません。

私が異動したのは、設備を見るグループです。はっきり言って、警備員や雑用の仕事です。
事務所を巡回したり、事務所の蛍光灯が切れていたら交換したり、入室時の受付などをするグループです。部門で必要のない人が集められたグループで、グループに所属しているおじさんたちは、よくトイレに行って、トイレで寝ている事が多かったです。年齢は高いが、会社でのランクが最下層の人が多かったです。
また、事務所の部屋も、設備グループの部屋があり、他の部員の部屋からは隔離されました。
私の仕事はほとんどなく、暇な毎日を過ごしました。毎日定時に帰りましたし、やる事がありません。この時は本当に暇で仕方がありませんでした。

私は、入社して20代は仕事を覚えるために、沢山働きたかったのです。
ですが、異動先は警備員の様な仕事。入社3年目で、追い出し部署の様な所に入れられ、社内ニートになるとは思ってもいませんでした。
この時に、部門長に私は仕事覚えるために、20代は仕事をしたいという事をつたえたら、「お前は生き急いでいる。海外にでも行ってきてはどうか。」という事を言われました。これはお金の調整はするので、理由をつけて海外出張に行ってリフレッシュしてこいという意味です。

状況が変わったのは、そのグループに新しい課長が異動してきた事です。
この課長は設備について詳しく、グループの改革を行いました。
また、新規に認証資格を取得する事を目標として、活動を始めました。
新規の認証資格を取得する業務は、設備グループに所属する既婚のお姉さんが担当になりました。このお姉さんはグループでは唯一と言ってよいほど、まともな人でした。
課長は、その活動に外部コンサルタントを入れて本気で取り組んでいました。

この設備部グループに来た新しい課長はとても良い人で、私は、社内ニートで何も仕事をしていなかったのですが、課長と会話をしてちょっとした仕事をする事で、ありがたい事に個人評価はいつも高い評価をつけていただいていました。ですが、部門長評価で評価は落とされます。ボーナスも少ないし、会社でのランクは、私は低いランクのままでした。
まあ閑職ですし、部門の肥溜めの様なグループの所属ですしね。社内ニートで毎日仕事もせずに定時で帰っていたので、部門長の評価は正しいと思います。

課長が力を入れていた認証資格取得ですが、この資格取得の審査の時期が近づくと、お姉さんは急に退職をしました。
このままでは認証取得の仕事をやる人がいないので、私が担当になりました。
認証資格取得の審査予定日は数か月後とかなり近い時期になっていました。
外部コンサルタントからも、お姉さんからも、資料もできているし準備は問題ないと聞かされていました。

私は、コンサルタントとお姉さんからいただいた資料と内容を元に、認証資格の予備審査を受けました。
ボロボロでした。糞です。試験官からは、ぼろくその様に言われました。まったく出来ていないそうです。なぜ私は、こんなに私はぼろくそに言われなくてはいけないのでしょうか?ものすごく理不尽に感じました。

その結果をみて、課長と部長は、認証資格の取得する時期を1年延ばす事を検討し始めました。
私は、非常に怒りがわいてきました。コンサルタントに対しても怒りがありましたし、審査官に対しても怒りがありました。コンサルタントに対しては、一体あなた方は今まで何をしてきたのかという事と、審査官に対してはなぜここまで馬鹿にされなくてはいけないのかという怒りです。
振り返ってみても、私の仕事の原動力は、怒りであることが多いです。
怒りをエンジンに、仕事をめちゃくちゃ行い、事実上暴走を起こします。
私は、課長と部長に、認証資格の審査時期は予定通りとして、延期はしない様に申し入れました。反対されましたが、私は意見を変えずに粘りました。

私は、一からその認証資格の勉強をしました。海外から資料を取り寄せました。コンサルタントの言う事はすべて無視しました。また、コンサルタントの作成した資料も無視・破棄しました。すべて自分の考えで、資料の作成や、業務プロセスの修正を進めました。急な変更をしたので、色々な人には迷惑をかけたと思います。しかし時間が無いので、強引に進めました。

部門長からも進め方が強引すぎるとお叱りを受けました。
本社部門からも、事前に本社に連絡や情報共有が無いや、社内規程を守っていない進め方だという事でお叱りを受けました。
そんな事は知りません。私は入社して3年目なので、事前に本社部門に根回しなんてする意味が分かりませんでした。
資格取得のために、会社の規程はほとんど読んで、熟知していたつもりですが、そんなルールは会社の決定権限規定には書いてありません。

今まで作成されてきたものはすべて無視をして、私の独断と偏見で一から資料を作成し、対応方法などを決めていきましたので、コンサルタントは空気になっていました。

結果として、認証資格を予定通りの時期に審査を受ける事ができ、課題はいくつかありましたが、審査は無事に通過する事が出来ました。
本来は会社を良くした結果、認証資格をパスするのが正しい姿だと思いますが、認証資格を取得するために、対応を行ったというのが今回の姿です。本来の目的が違っており、認証資格を取得する為だけに行った対応ですので、間違った対応方法です。
部門長からは本来の目的が分かっていないや、色々と間違っているという事を言われました。ですが認証資格を取得するという目標は達成をしました。

しかし、この認証資格取得については、自分にとっての自信につながりましたし、今後の仕事に役に立ちました。

社内ニートはいいものです。気が楽ですし、好きな事が出来ます。
社内ニートは、良い上司に恵まれる事はほぼありませんが、奇跡的に良い上司に恵まれたら、とても幸せな事です。

ちなみにこの時の良い課長は、私がグループから異動になり別の部門に行くことになったのですが、その後退職されたそうです。良い人はみんな消えていくのです。悲しい事です。

あと、外出時にお金が無いと言っていたので、1万円を貸したと思うのですが、返してもらっていない気がします。私の1万円・・・


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