昭和歌謡を令和J-popに活かすためには?
昭和の歌謡曲について妻ととりとめのない会話を楽しんだ。
「思い出の歌謡曲といえば?」という問いかけをしてそれぞれ5曲ずつピックアップして、なぜその曲を挙げたのかについて話した。
妻が挙げたのは、
太田裕美「木綿のハンカチーフ」、欧陽菲菲「ラブイズオーバー」、サザンオールスターズ「ラブアフェアー~秘密のデート~」、テレサテン「時の流れに身をまかせ」、槇原敬之「東京DAYS」であった。
歳がバレバレなのである(笑)
私は、
いしだあゆみ「ブルーライトヨコハマ」、沢田研二「時の過ぎゆくままに」、寺尾聰「ルビーの指輪」、欧陽菲菲「雨の御堂筋」、サザンオールスターズ 「チャコの海岸物語」である。
妻に選んだ理由を聞くと、切ない感情が沸き起こってくる曲を選んだという。
「東京DAYS」だけは上京して不安な気持ちを表現していて、それ以外は叶わない恋の切なさの歌である。
私は昔から「歌謡曲とはストーリーの内容に関わらず歌えば機嫌良くなる」という定義を持っている。
また、私の小学校時代は歌謡曲のランキング番組もあり、何がヒットしているかという話題も学校の中で盛んであったので、
当時のヒット曲と学校での出来事や友人の思い出とが結びついている。
例えば、沢田研二の「時の過ぎ行くままに」を聴くと、ドーナツ盤のレコードジャケットが鮮明に思い出され、一緒に口ずさんでいた友人の名前が今でも思い出せる。
しかし、これは私だけの経験かもしれないが、
よく聴いていたクラシックの名フレーズ(例えばチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番第一楽章の第一主題)を聴いても、聴いていたその当時を思い出すことはない。
ということは、
歌謡曲はその時代の空気感や緊張感も表現していたのかもしれない。
歌謡曲の役割について、熱く主張していたのは作詞家の故・阿久悠氏である。彼の著作「企みの仕事術」の中でこのように述べている。
歌謡曲はリアクションの芸術かもしれない。送り手がいかに意欲的であり、情熱的であても、リアクションがない限り何の価値もない。
毎日、ひとつでもふたつでも何かが跳ね返ってくることを期待しながらボールを投げ続ける。
そのうち幾つかが跳ね返ってきて、初めて作詞家として充実感を覚える。では、ボール をぶつけるべき壁、跳ね返してくれる壁とは何か。
それは時代の飢餓感だと思う。今、何が欲しいのだろう、というその飢餓感の部分にボールが命中したとき、歌が時代を捉えたといってもいい。
確かに、その時代に生きている人たちの無意識の代弁者が歌謡曲なのかもしれない。
大ヒットした「ピンポンパン体操」は、なんとキャバレーの踊り子から流行りだしたし、「およげたいやきくん」は組織内で身動きが取れない哀しいサラリーマンの大きな共感が、シングル売り上げ枚数新記録を打ち立てたと言われている。
阿久悠氏の「企みの仕事術」は平成18年初版であるが、十年経過した今も何も変わっていないと思われることがある。
この著作の中で彼は「今、聞き耳を立てていれば、恋の歌かがんばりましょうという歌の2つのテーマしかない」と述べている。
歌謡曲がJ-POPと名称が変化しただけで、何も進歩・発展していないということである。
今もそうではないか?もう少し私が補足するならば、令和の歌は、「あなたと出逢えてよかった」と「人との繋がり」の歌ばっかりだと感じて辟易している。
もちろん、歌謡曲・J-popは商業歌であるから、売れる可能性のあるものしかリリースしないというレコードレーベルの思惑は理解できる。
しかし、阿久悠氏が真剣に求め続けた時代の飢餓感を映すような楽曲が今こそ求められているような気がする。
歌謡曲とは何か?
歌謡曲は、歌舞伎やクラシック音楽などの再現芸術ではないのだから、その時代に生きる人々の無意識の代弁者であるべきだ。
どの業界も趣味・嗜好が多様化して大ヒット商品は作れないと言われているが、そうではないと思う。
今を生きているわれわれの「こころの叫び」を表現する歌謡曲が生まれると、「およげたいやきくん」を超える「日本で最も売れたシングル曲」になり得ると考える。
私もそのような作品作りを目指している。
最後までお読みいただきありがとうございました。
●参考文献
小泉文夫「歌謡曲の構造」冬樹社
阿久悠「企みの仕事術」KKロングセラーズ