ありがたいの本当の意味
ショッピングモールのトイレを利用したときの話。
便座に座るとドアに貼られたシールが目に入った。
「いつもキレイにご利用くださりありがとうございます」
あらためてトイレを見た。キレイ。
トイレットペーパーはきちんと補充してあって
便器の中はきちんと掃除が行き届いていて
ゴミや汚れが目立つこともなくて、ちゃんとキレイ。
その光景がすごく当たり前のようなんだけど
この”当たり前”をいつも維持してくれている人がいる。
誰だって触りたくないであろう汚れを
誰かの手で、誰かの時間で、綺麗にしてもらってる。
そう思うと、とても気持ちよく使わせてもらってる。
トイレの神様が皆んなにとっての当たり前を
”当たり前”でいさせてくれることに感謝じゃない?
汚れていたら、その違和感にはすぐ気がつくのに
キレイであることの気づきには疎い気がする。
それは常日頃からキレイにしてもらってる証拠だから。
と、ここまで記事を下書きしていた後に
とある本に出逢い、読んでみるとリンクした。
そこには、「ありがたい」の意味が書かれていた。
それは一般的に感謝の意味で表されるけど、
"そうあることがむずかしい" = 有難い ということ。
例えば”健康”であることを普段から
意識して過ごすことは中々ないけど
病気やケガをして初めて健康であることの
ありがたさを知り、健康な身体(状態)に感謝する。
そう、当たり前であることほど"有難い"のだと。
このことが
まさしくトイレで感じたことと一緒だと気づいた。
大切なことは特別なことでも派手なことでもなく
すごく些細で透明のように身の周りにに潜んでる。
今、目の前に広がるあらゆるモノや景色、文化を
ひとつひとつ見つめてみると”根底”が垣間見える。
見ている世界は変わらないのに
物事の視点だけで”見える”世界が大きく変わる。
もう少し、じっくり奥深くまで
”ありがたい”ことに目を向けて見ようと思った。