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祖父の「自死」を私は尊重したい

先週末、祖父が亡くなった。
仕事中の急な訃報には死因や時間について詳細はなかった。途方に暮れた。全ての感情が消え、音も聞こえなくなった。
「もしかして」と思ったそのもしかしてだった。迎えに来てくれた父から「おじいちゃんは自分の選択でそうしたみたい」と聞かされた。

「なんでそんなことを…」と責める気持ちは一切湧いてこなかった。
ただただ「じいちゃんがどれだけ苦しかったろうか、慮ろうとも慮りようもない」ということが分かっただけだった。祖父にとって耐え難い苦しみがあった、その最期の気持ちに対して私はあれこれ言えない。その気持ちや選択を大事に受け止めることが唯一私にできることだと思った。

遠くに住んでいたから「もっと会いに行けばよかった」という後悔はもちろんある。しかし、もっと私が会いに行っていたからって祖父の自死は防げなかったと思う。
だって最愛の祖母にすら何も告げずに置いていったんだから。
「ばあちゃんは俺の太陽だ」って言ってたじいちゃんが、ばあちゃんを残して自ら死を選んだ。みんなを悲しませると分かっていて選んだ。「どうか解ってください」と残して選んだ。

そんな祖父のことを誰が責められようか。どれほど苦しかったろうか。
誰も責められるべきではない。残された人が自分たちを責める必要もない。


祖父は自身の病気と薬の副作用に苦しんだ。そして薬の副作用がもたらす症状によって、本来の自分を失ったことに苦しんだ

日本の食と健康が脅かされていること、これが根本的な問題ではないだろうか。


私は祖父の自死を尊重したい。
そして引き続き現職で、農業や食、健康の問題を解決していくために試行錯誤したい。こうやって未来につなげていくしかない。



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