『山びこ学校』を読む その2
前回の記事の続きです。
岩波文庫版の構成を列挙してみました。表紙めくると、4枚の写真があります。舞台となった山元村と、山元中学校の様子を写した写真です。
1 山元風景(本沢ダム付近)…深い谷間に通る山道と橋が写した村の様子
2 山元風景(1951年春)…二人の弟の子守りをする少年の様子を写した写真
3 雨の日の山元の風景 …山元中学校を遠景に写した写真
4 山びこ学校の教室(学級自治会)
★1〜4の4ページ分の写真は1951年春に田村茂氏が撮影したものと明記されています。
本のはじめに(坪田譲治)【3ページ】
この本を読んでくれる全国のお友だちへ(山元中学校二年生一同)【4ページ】
もくじ【4ページ】
山元中学校付近図【1ページ】
以下、生徒の綴方や詩。綴方には日付が明記されています。作者名、書かれた日付、割かれているページ数を付記しています。
・雪(詩)(石井敏雄)【1ページ】
・母の死とその後(江口江一、1949年12月16日)【17ページ】
・雨(詩)(佐藤代里子)【3ページ】
・すみ山(石井敏雄、1949年12月21日)【2ページ】
・毛虫(詩)(高野武)【2ページ】
・山(詩)(佐藤清之助)【1ページ】
・父の思い出(江口俊一、1960年2月10日)【6ページ】
・病院ぐらし(上野キクエ、1950年3月1日〜5日)【8ページ】
・ながぐつ(詩)(川合哲男、1949年3月1日)【2ページ】
・からめやき[かるめ焼き](川合義憲、1949年1月)【9ページ】
・朝(詩)(小笠原誠)【2ページ】
・夜(詩)(横戸チイ子、1950年1月)【1ページ】
・うさぎ追い(川合末男、1950年3月1日)【16ページ】
・うさぎ(詩)(平吹光雄、1950年1月)【2ページ】
・かていも(詩)(横戸春子、1950年1月)【2ページ】
・杉皮背負い(江口サメ)【3ページ】
・すずめの巣(村上幸重・こうじゅう、1949年5月)【3ページ】
・三輪車(川合貞義、1949年12月)【10ページ】
(学級日記より)
・雑誌はなぜつぶれるか(長橋アサエ・清野ユリ子、1949年8月19日)【5ページ】
・なんでも聞く子供(門間きみ江・門間きり子、12月15日)【3ページ】
・おひかり様(長橋カツエ・前田秋子、1950年2月11日)【2ページ】
(以下、再び生徒の綴方や詩)
・ぼくの家(木川進、1950年2月15日)【6ページ】
・旅行のことなど(阿部ミハル、1949年6月10日)【5ページ】
・まめ(詩)(須藤真佐江、1949年9月、1950年1月)【2ページ】
・もえない根っこ(詩)(川合実)【3ページ】
・教科書代(川合ヤエノ、1949年8月20日)【4ページ】
・ぬか背負い(詩)(小笠原弘子、1949年11月)【1ページ】
・びる(詩)(長橋アヤ子、1949年6月)【1ページ】
・わらびとり(江口久子、1949年)【2ページ】
・稲(川合ハマ子、1949年11月18日)【2ページ】
・田(小笠原勉、1949年11月18日)【2ページ】
・わらびうり(小笠原弘子、1949年【4ページ】)
・ぼくはこう考える(佐藤藤三郎、1949年8月28日)【9ページ】
(調査報告)
・学校はどのくらい金がかかるものか 【13ページ】 (一班班長:佐藤藤三郎 班員:小笠原 誠 阿部ミハル、川合秋雄、川合ヤエノ、平吹光雄、門間テルエ)
・寒(詩)(門間三千代)【2ページ】
・やみ(川合義憲、1949年12月6日)【8ページ】
・すみやき日記(佐藤藤三郎、9月17日〜1月11日)【30ページ】
・私たちが大きくなったとき(横戸惣重・そうじゅう)【6ページ】
・いろりばた(大宮弥助・門間善三郎・川合ハナミ・大風盛幸・川合和雄、長橋カツエ、前田秋子、清野ユリ子、長橋アサエ、門間きり子、川合秋雄)【16ページ】
・くぼ(川合義憲、1949年)【4ページ】
・寒い冬(詩)(門間きみ江、1950年1月)【2ページ】
・いねむり(詩)(門間照江)【2ページ】
・米登録(川合義憲、1951年)【13ページ】
・父は何を心配して死んで行ったか(川合末男、(1950年10月23日)【12ページ】
・あとがき(子供と共に生活して)(無着成恭)
・炭やきものがたり(文集『きかんしゃ』13号)【27ページ】
・答辞(佐藤藤三郎、1951年3月23日)【5ページ】
・作者紹介【6ページ】
・あとがき(無着成恭、1950年11月15日)【18ページ】★無着23歳の時の文章
・新版あとがき(無着成恭、1956年1月15日)【4ページ】★無着28歳の時の文章
・解説(国分一太郎、1955年12月)【21ページ】
・岩波文庫版あとがき(無着成恭、1995年5月)【3ページ】★無着68歳の時の文章
・『山びこ学校』は歴史を創る(鶴見和子、1995年5月)【11ページ】
列挙してみて改めてわかったのは、無着成恭が3年間受け持った生徒43名(男子22名、女子21名)の全員の綴方(詩)が掲載されていることです。丁寧に作品を読んでいきたいところです。