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「推し」と子ども理解


変容する「推し」という言葉の意味


 いまの子どもたちを理解するには、その子の「推し」をよく知ることが必要だと思うのです。「推し」は、ここ15年くらいで、SNSメディアの隆盛によってその意味が変容してきた言葉です。

 「推し」というのは、自分が特に応援したり好きだったりする人やキャラクター、アイドル、俳優、アーティストなどを指す言葉です。例えば、アイドルグループの中で一番好きなメンバーや、アニメの中でお気に入りのキャラクターが「推し」になります。「推し活」という言葉もあり、それはその「推し」を応援するための活動(ライブに行ったり、グッズを集めたり)を指します。こういった意味であれば「推し」は、「○○ファン」という言葉とほぼ同じ意味といえそうです。

 かつて「推し」という言葉はアイドルグループのファンの間で使われる言葉でした。2011のユーキャン新語・流行語大賞には、推しているアイドルグループの特定メンバーを意味する「推しメン」がノミネートされています。以後、「推し」という言葉や推し活はアイドル以外の分野にも広がっていきました。その拡大を支えているのがSNSであると、精神科医の熊代亨さんは著作で述べていました。

 また、熊代さんは「推し」を通じた人と人とのつながりは「家族や地域、学校、職場という衰退したかつての共同体の代わりになっている」と指摘しています。(朝日新聞2024年1月3日朝刊記事 「『推し』でつながる共同体)

目の前の子どもたちの「推し」はなんだろう?


 わたしは、担任するクラスや定期的にクラス替えをする算数少人数学習のクラスで授業の出席をとるときに「あなたの推しは?」ときいています。子どもたちの返答は漫画のキャラクターだったり、スポーツ選手だったり、歌い手やダンスグループ、アイドルグループだったりするのですが、ここ最近、「ののがの〜」というワードが出るようになりました。

「ののがの〜」とは、「ノーノーガールズの、だれだれ(メンバー)」という意味です。「No No Girls(ノーノーガールズ)」は、BMSG(音楽プロダクション)傘下の新興芸能事務所B-RAVEが主催し、アーティストのちゃんみながプロデュースを務めたガールズグループオーディションプロジェクトです。

 わたしの担任するクラスでも、流行にとくに敏感で影響力の大きい子の「推し」ということで、わたし自身この「ノーノーガールズ」(オーディションの合格者は「HANA」としてデビュー)に注目するようになりました。そして、そのプロデュースをしていた「ちゃんみな」さんに、はまってしまいました。

 「ちゃんみな」さんの楽曲を聴いたり、歌詞を読んだり、生い立ちやインタビュー映像をYouTubeで観たりしています。とくに私の関心をひきつけたのが、その歌詞(詩)、リリックです。

「ちゃんみな」さんの書く詩

 ちゃんみなさんは、韓国人の母と日本人の父の間に生まれました。小学生時代は日本語がうまく話せず、いじめにあっています。これまで出自や容姿で多くの差別的言動や誹謗・中傷にさらされてきたそうです。そのなかで感じた憤りや悲しみが楽曲で歌われる詩やパフォーマンスに表現されています。

とくに「PAIN IS BEAUTY」(痛みって美しいんだ)では、怒りや悲しみといったネガティブな感情を、正直に表現するちゃんみなさんに魅入ってしまいました。

 こういった動画を観たあと、感動の余韻にひたるのですが、これは作られた感動なのか、脚色された感動なのか・・・と思ってしまう自分がいます。これは本物の感動だと信じたいです。

 ちゃんみなさんは、小学生のころから詩を書いてきました。ネットで検索したらインタビューが載っていました。

ちゃんみな:もともと私は、“自分の心の声”をよく聞くことができないタイプだったんですよ。休みが必要なのについ無理をしてしまったり、それで体を壊した経験もあって……でも音楽を通じて、ノートに詩を書きながら“今、何を感じているのか”、”何を欲していて、何が要らないのか”と、自分の心のチクチクしている部分にも向き合うようにしています。私にとって詩を書くのは“セラピー”に近いのかもしれません。詩自体は、7、8歳のときから書いていたんですよ。学校の授業に集中できなくって、自分が感じていることを書き留めるようになったんです。それが習慣化していて、デビューして多くの人に歌を聴いてもらうようになって、中には共感してくれるような人も出てきた。そのとき、自分では気にも留めていなかったけれど、「私が感じていたことを言葉にしていただけなのに、同じような気持ちになってくれる人がいるんだな」と感じて。だったらなおさら“人に求められていること”を書くのではなく、”自分が本当に感じたこと”を書きたいと思った。そうしてそれまで無意識にやっていた詩を書く行為に向き合ってみて、改めて、自分にとってはこれが日課でありセラピーであり、人生のようなものなのだなと思ったんです。

ビルボード・ジャパン<わたしたちと音楽 Vol.12> ちゃんみな 自分の気持ちに正直なリリックでこれからも戦い続けるhttps://www.billboard-japan.com/special/detail/3851

 こういった自身のありのままを表現する姿が、多くの人を惹きつけるのだと思います。そして、観る人やファンの「自己愛」を満たしてくれる存在なのではないかと思うのです。Z世代や思春期にさしかかった子どもたちの心をとらえているのにも納得がいきます。

「推し」は、自己愛を満たす存在だ

 前述の精神科医の熊代亨さんは、その著書『「推し」で心はみたされる?』で、オーストリア出身の精神科医・ハインツ・コフートの「自己対象」「ナルシシズム」や、アメリカの心理学者・マズローの「承認欲求」「所属欲求」という概念を借りて、「推し」や「推し活」の現象を説明しようとしています。

 ひとには、自分を承認してくれる・「いいね!」をしてくれる、つまり承認欲求を満たしてくれる存在が自己愛(ナルシシズム)を満たすために必要です。その存在が「鏡映自己対象」です。

 また、ひとには、尊敬や崇拝できる存在も自己愛を満たすために必要で、その存在を「理想化自己対象」とします。「推し」のキャラクター、「ちゃんみな」さんのような崇拝するアーティストなどは、まさにこの理想化自己対象であると、熊代さんは考えるのです。

 またコフートの考えた概念に「双子自己対象」というものがあり、他者と「似ている」や「同じだ」と感じることを通じて、自己の一体感や安心感を得ることを指します。この概念は特に、自分が孤立していないと感じることや、他者とのつながりを確認するために重要とされています。

 わたしの担任する児童がちゃんみなさんやNO NO Girls(HANA)を推しているのは、その存在が理想化自己対象でもあり、その詩や生き方が双子自己対象でもあると感じられるからだと思うのです。

 また、自分の推しが、ほかの人にも推される存在であり、SNS上や現実の人間関係のなかで「いいね」を得られる存在なので、所属欲求と同時に承認欲求も満たされていきます。

 思えば自分にも尾崎豊やブルーハーツに熱狂している時期がありましたし、その歌詞には今でも胸が熱くなるものがあります。「盗んだバイクで走り出す」「どぶねずみみたいに美しくなりたい」と友達と一緒によく絶叫していましたし、その言葉の意味をよく考えていました。

 自分の内面や抑圧されていた感情を代弁してくれる「推し」と、その「推し」に夢中になっている子どもたちを、わたしは全力で「いいね!」していきたいと思っています。欲を言えば、「推し」をとおしてだけでなく、内面や抑圧されている感情を自分の言葉で表現できる子に育てていきたいのです。そのためには、詩を教育にとりいれることがやはり必要だと思うのです。


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