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繊細さんの戯言。
認知的共感力が高い。
おそらくHSPという繊細さんがゆえの特徴だと思う。
認知的共感力とは簡単に言うと、相手の心を汲み取る力みたいなものだ。
どれだけ相手の立場に立って考えられるか、相手がどう思うかを考える。
私はそれが極端に高い気がする。
確固たる自分の意見を持つひとを尊敬はする。
けど、それをひとに押し付けて、無意識のうちに傷つける人種とは相容れない。
昔から「そういう類の人種を引き寄せるタイプだよね」と言われてきた。
隙があり、つけいりやすいのだろう。
そういうひとからの攻撃をまともに喰らい、最後は心がしんどくなって、離れていく。
そういうひとって最初は分からない。
”いいひとですよ~”のオーラを纏って近づいて、きっと当人ですら気付かぬうちに自分の意見を押し付ける。
わたしが正しい!だからこうしなさい!
あなたは間違ってる!こうするべき!
わたしを助けようとして知らないうちに攻撃力を持った言葉は、積もり積もって結局わたしを苦しめる。
気づいたときには涙が出るほどにしんどくなっている。
わたしは頑固だ。
こうでなければいけない、と思うことも少なからずある。
けど、それをひとに押し付けて自分の思い通りにさせてはいけないんだと、改めて痛感した。
自分にとっては正しいことが、相手にとっては誤りなときがある。
良かれと思ってしたことが、相手を泣かせることもある。
人間ってむつかしいなあ。
去年Twitterで、パーソナルエリアの話をnoteに書きたいと言ったことがある。
そのとき、「わあ、読みたいです!楽しみにしています!」と言ってくれた子が、アカウントを削除して消えてしまった。
だから書いていなかったのだけど、このお話、そういうことを言いたいのかもしれない。
ひとにはパーソナルエリアというものがあって、個人が持つ心理的テリトリー、自分だけの空間というものが存在する。
ここに自分以外の誰かが入ってくると、途端に拒否反応を起こすのだ。
わたしはおそらくパーソナルエリアが狭く、深層部分まで入ってこられると、不快感や不信感を覚えてしまう。
自分ひとりでは何もできません!!みたいな捉え方をされがちなわたしだけど、確かにできない部分もあるのだけど、かといって全部を人任せにするつもりはないし、最後は自分で決めるし、深層部まで入ってきて、これはこうするべき!!と言われても、ピンとこない。
自分の意見が、人生が、経験が、すべて正しいと思ったらそれは大間違いだし、千歩譲って正解だとしても、それを押し付けるような言い方、やり方は、ひとを傷つけるだけだと、自分が涙を流すことで知った。
冒頭の認知的共感力の話に戻すけど、これが高いと意見を押し付けることが少ないのだと思う。
相手が今どんなメンタルかを察して、今ここで言うべきじゃないな、もう少し落ち着いてから話した方が頭に入るな、などと考えることができる。
前職でお店のトップにいたわたしは、新入社員を含め2年間で50人以上の人間にトレーニングすることを強いられた。
そこで教えるときに、何よりも気をつけたことが共感することだった。
例えば、コーヒーとオレンジジュースを間違えるという致命的なミスをしたとして、しかしそんなアホな!というミスにも、相手には必ず言い分がある。
その言い分を聞いて、うんうんと共感してから初めてミスを指摘した。
そのおかげなのか、少なくとも何十人もいる年下年上関係ない仲間には、好かれ、慕われていた自信がある。
意見を押し付けられ、考える時間を奪われ、疲弊していくなかで、こうするべき!!!と言われても正直響かない。脳が働かない。
傷つけるつもりなんて、毛頭なかったのも分かっているつもりだ。
ただ、結果傷ついてしまった。泣いてしまった。
それだけは紛れもなく事実なのだ。
自分は覚えていないような些細な言葉が、相手の奥深くまで刺さることもある。
良いことにしろ、悪いことにしろ。
無意識は厄介だ。
言葉とはとても厄介だ。
認知的共感力を高めろとか、もっと繊細になれ!とかいう話ではなく、自分の紡ぐ言葉には責任を持っていきたい、って話。
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